第二十二話 銀色の道標
翌朝、オルバン村長の家へ行くと、ユハンさんはまだ眠っていた。
「地図の話は、目を覚ましてからにしてください」
寝床を確かめたテオさんが、僕たちへ言った。
昨日より息は深くなっているが、胸の傷が一晩で治るわけではない。無理に起こして地図を説明させるより、今は眠らせた方がいいのだろう。
ユハンさんが目を覚ますまでの間に、セラが北の巡回路へ置いた測定板を回収することになった。
「三枚とも、巡回路に残したままです。道を調べ始める前に、古戦場側の残火がどう動いたか確かめたいです」
「どのあたりに置いた?」
父さんが尋ねる。
「三枚とも、柵から見える巡回路です。測定板だけでなく、周囲の残火も調べたいので、カイにも同行してほしいです」
「分かった。僕も行く」
残火を目で追えるのは僕だけだが、父さんは返事をする前に、僕の左足へ目を向けた。
「足の痛みはあるか?」
「朝から痛みはないよ。《三歩の道》を使わずに戻れる範囲だけを調べる」
昨夜選んだとおり、今朝も灯っているのは斥候の火だった。使わずに済むならその方がいいが、灯していない火は、呼んでも出てこない。
「なら、一緒に行こう。柵から離れすぎるな」
測定板を回収するだけではなく、見張り塔の周りにいた白喰いがまた境へ来ていないかも確かめる必要がある。足跡と石陰は、父さんとガランさんが調べることになった。
父さんは縄を持ち、ガランさんは大盾と片手剣を確かめる。白喰いが一体でも見えたら板を残して柵まで退くと四人で決めてから、北へ向かった。ダリオさんは、見張り塔から来た人たちと村を守るために残る。
朝の光が古戦場の石を白く照らしていた。塔の周りにいた二体がどこへ戻ったかは分からず、日中でも境まで来た個体を見た以上、明るさだけを当てにはできない。
「一枚目は、あの白い石の横です」
セラが柵の向こうを指した。銀色の細い板が、石の隙間へ立っている。白喰いの新しい足跡はなく、倒れた石の陰にも動くものは見えなかった。
「ここからは、塔の時みたいに番号で呼ぶ?」
柵へ手をかけたガランさんに聞くと、少しだけ考えてから首を横に振った。
「四人なら、顔の見える所から離れん。名前で足りる。離れることになったら、その時に決める」
「分かった」
ガランさんが先に柵を越え、地面と左右の石陰を確かめる。
「来い」
父さんが縄を手に後ろを守り、僕とセラが続く。セラは板の上へ銀の鐘をかざして小さく振った。鐘が短く鳴ると、板の表面からかすかな音が返ってくる。
「板が残火を集めるの?」
「いえ、板が集めるわけではありません。表面の銀へ残った響きを、置いた時と比べます」
「どれくらい移動したかも分かる?」
「正確な数は分かりません。強くなったか、弱くなったか。その程度です」
セラはもう一度だけ音を聞いてから、一枚目を土から抜いた。
「ここは、置いた時とほとんど変わりません」
布に包んで袋へ収める。倒れた石柱の根元にあった二枚目も同じだったが、三枚目の目印である三本の石まで来ると、銀色の板が見当たらなかった。
「ここに差したはずです」
三本の石が三角形に並び、その中央の土へ板を差した細い穴が開いている。目印は合っているのに、測定板だけがなくなっていた。六本脚の跡はなく、人の靴跡も、僕たちが今つけたものだけだ。
「風で抜けたのか?」
ガランさんが尋ねる。
「半分まで差しました。風では抜けるようなものではありません」
セラは穴へ触れず、周りの土を目で追う。父さんが片膝をついた。
「穴から北へ溝が続いている」
穴の縁から、指一本より細い溝が伸びていた。重い物を引きずった跡ではなく、薄い刃で土の表面を切ったような線だ。北の灯籠を動かした溝よりずっと細いが、足跡を残さず物だけが動いたところは似ている。
「溝の先が、土の下へ入っている」
ガランさんが短剣の先で溝の脇の土をそっと払うと、黒い糸が一本、土の中から現れた。
根のように見えたが、先は測定板に巻きついている。おそらく消えた三枚目で、板の半分は土へ沈み、少しずつ北へ引かれていた。
セラが手を出しかけた僕を止める。
「触らないでください。その糸は灰のように見えます。表面から落ちる粉の色と崩れ方が、冠灯院で扱った灰と同じです」
「灰が糸になるの?」
「普通の灰なら、こぼれた粉が風に散ります。糸の形を保ったまま動くことはありません」
糸が動くたび、細かな黒い粉が土へ落ちる。形は崩れないのに、表面だけが灰のようにこぼれていた。
銀の鐘を近づけると、鳴らしていないのに内側の小さな金具が細かく揺れて縁へ触れ、かすかな音が続いた。黒い糸も震え、板を巻いたまま土の上へ浮く。
黒い糸は、細かな灰の粒が寄り集まって一本の形を保っていた。粒がずれるたび、隙間から針の先ほどの青い火がいくつも見える。大きな一つの火ではなく、砕けた欠片が灰と一緒により合わされているのだ。
「中に残火の欠片がある!」
黒い糸が北へ走った。ガランさんが進路へ短剣を突き立てると、糸は刃を避けて平たく広がり、石の下へ潜ろうとする。
「一度だけ鐘を鳴らして、反応を見ます!」
セラは銀の鐘を黒い糸へ近づけ、手首を返して一度鳴らした。
糸に絡んでいたのは、一人分の残火よりずっと弱い欠片だ。鐘が鳴ると、青い火が一つだけ黒い灰からほどけて、《送火》の淡い光に包まれて消えた。
黒い糸が身を縮め、巻きついていた板が曲がって、先端を残して折れる。父さんが縄の輪を投げるより早く、糸は地面の割れ目へ入り込んだ。あとには折れた銀の板と、黒い粉がわずかに残っている。
セラはそれを布へ包み、無事だった二枚とは別の袋に入れた。
「白喰いの灰とは違います」
「灰が糸の形で動く話を、冠灯院で聞いたことはあるか?」
父さんが尋ねると、セラは黒い粉を包んだ布へ目を落とした。
「似たものの名前だけなら知っています。食べた残火の形を残し、技をまねるもの。《墓喰らい》です」
食べた残火の技をまねる。その言葉が、胸の奥へ重く落ちた。
「それなら、僕も同じなの?」
セラは目を見開き、僕の胸元へ視線を向けた。
「同じではありません。カイが受け取ったのは、一人分としてまとまった残火です。願いを聞き、自分で答えています。今の糸に絡んでいるのは、まとまりを失った欠片です」
違いを並べてもらっても、胸の重さは消えなかった。残火の技を自分の力として使っているという一点だけは、僕にも重なっている。
「黒い糸のことも、記録にあるの?」
「記録にあるのは、黒い人影です。師も実物を見ていません。この糸だけで墓喰らいだとは決められません」
黒い灰は残火の欠片を巻き込んで測定板を北へ引き、銀の鐘を近づけると震え、《送火》で欠片を一つ離すと逃げた。今分かっているのは、そこまでだ。
ガランさんが、糸の消えた割れ目へ短剣を差し入れる。先はすぐ石に当たって、それ以上は入らなかった。
「灯籠を引いたものと同じ可能性はあるな」
「はい。ですが、追うには地面の下を調べるための準備が必要だと思います」
「そうだな。一旦今日は戻るぞ」
ガランさんは立ち上がり、北へ続く溝から視線を外した。
「相手の形も、通る場所も分かっていない」
僕も、溝をたどりかけていた目を戻す。
北には、まだ回収できていない境の灯籠がある。黒い糸が同じように取っ手へ巻きついたのなら、足跡がなかった理由も説明できるが、それだけで同じものだと断定はできない。
四人で柵の内側へ戻ると、セラが折れた板の袋を持ち上げた。
「ユハンさんが起きたら、地図にこの辺りの地下道の記載がないか確かめましょう」
地面の下へ逃げた黒い糸。その行き先を、今度は木板に刻まれた線から探すことになる。




