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名もなき英雄の残火 ~死者の技を継ぐたび、少年は強くなる~  作者: 冬月樹
第一部 青い火の古戦場

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第十八話 三歩ずつ、十一人

 見張り塔の東には、広い泥地があった。来る時は五人だったから、泥の下に残る板を一列で渡れたが、今は十一人いる。胸の奥にある斥候の火は静かで、僕の息に合わせてかすかに揺れていた。


 大盾に横たわるユハンさんの胸が、浅く上下している。前をガランさん、後ろを父さんが持ち、二人は泥地の足場を見比べていた。リナはユナさんと手をつないでいる。


 塔の中では、白喰いが倒れた戸を踏みつけていた。石壁に囲まれて向きを変えるのに手間取っているが、いつまでも閉じ込めてはおけない。


「五、斥候の火は今日まだ使っていないな」


「うん。左足も痛くない」


「この泥と人数じゃ、俺には安全な足場を見切れん。ここは道の指示を頼めるか」


「分かった。泥を抜けられる道を見る」


「頼む」


 胸の奥で斥候の火が揺れ、三つの青い足跡が泥の上へ現れた。


 最初の足跡は、来る時と同じように、一人で通るための道を選んでいる。一つ目は平たい石。二つ目は泥から出た木の根。三つ目は幅の広い板。どれも一人なら渡れるが、盾を二人で運ぶには狭すぎた。


「待って」


 僕は最初の足跡を誰にも踏ませず、十一人全員を振り返った。胸の奥では、昨夜選んだ斥候の火が一つだけ揺れている。一から十一まで、声には出さず数えた。


「十番を乗せた盾も渡れる、十一人の道」


 願う相手と運び方を選び直すと、最初の三つの足跡が消えた。新しく現れた足跡は、前の道より大きく右へ回っている。崩れた石壁の根元を通り、泥地の向こう側にある二人が並べる石板へ続いていた。


 遠回りにはなったが、選ばれた三つの足場は、どれも泥から同じくらいの高さまで出ている。盾の前後を持つ二人が、片方だけ高くなったり沈んだりせず、ユハンさんの胸を揺らさずに進める道だ。


 僕一人なら、最初の足跡の方が早かった。


(泥を抜けたい、だけじゃ足りなかったんだ)


 誰を何に乗せ、どう運ぶのかまで決めて、初めて今の道が現れた。


「今の間は……道を選びなおしたの?」


 セラが尋ねる。


「うん。最初は一人ずつの道だった。誰を、どうやって運ぶのかまで考えないとだめみたいだ」


 能力は言葉だけではなく、僕が何を安全だと思ったかに応えている。


「先頭は俺。五はすぐ後ろで足場を言え」


「分かった!」


 僕は三つの青い足跡を、手前から順に指さした。


「一つ目は壁の右端にある平たい石。二つ目はその先の黒い石。三つ目で大きな石板へ!」


 ガランさんと父さんは、大盾を泥地の手前へいったん下ろした。テオさんがユハンさんの息の深さを確かめ、肩の下に入れた外套のずれを直す。


 ガランさんが一つ目の石へ短剣のさやを伸ばし、中央と端をたたいた。割れた音がしないことを確かめてから、片足を乗せて少しずつ体重をかける。石は泥へ沈まない。


「大丈夫だ。行くぞ」


 ガランさんと父さんがユハンさんを乗せた盾を持ち上げ、僕が示した三つの足場を進む。僕は盾のすぐ後ろにつき、二人が足場を一つ進むたび、次に踏む石を伝えた。僕のすぐ後ろにはユハンさんの息を見るテオさんがつき、その後ろに、リナとユナさん、マルクさん、ボルさん、ダリオさん、セラが順に並んでいる。


 盾が赤い石の横を通り過ぎた直後、その石が泥の中へ沈んだ。見た目は大きかったが、中が割れていたらしい。


 ガランさんと父さんは三つ目の石板へ着くと、盾をゆっくり下ろした。すぐ後ろから渡ってきたテオさんが、ユハンさんの顔色と呼吸を確かめる。息は浅いままだが、泥地へ入る前より悪くはなっていない。ガランさんが後ろの列を振り返った。


「後ろの全員も、今の三つの足場を順に踏め。赤い石は踏むな!」


 列の後ろへ伝わるよう、一人ずつ同じ言葉を送る。


「赤い石は踏まない」


「赤い石は踏まない」


 列の後方にいるダリオさんへ届き、最後尾のセラまで伝わる。反対に、後ろで起きたことも前へ送られた。


「七の靴の布がほどけた」


 ユナさんから声が上がる。


「止まれ!」


 僕が伝えると、後ろの列もその場で止まった。ユナさんがリナの靴へ布を巻き直す。


「七、歩ける」


 リナの声が先頭へ届いてから、列はまた動いた。僕が三つ目の石板へ上がり、続いてリナとユナさん、マルクさん、ボルさんが同じ三つの足場を渡る。


 塔へ入り込んだ白喰いが、東の脇口を壊した。六本の脚が地面を打つ音が近づく。


「走るな!」


 ガランさんが言った。


「前の者が三つ目の足跡を空けてから進め。走って泥へ落ちれば、引き上げるまで全員が止まる。白喰いに、その時間をやるな」


 列の後方にいたダリオさんと、最後尾のセラも、走らず三つの足跡を渡りきった。セラが泥地から出たことを自分の目で確かめると、青い足跡が消え、胸の奥の火も静まる。


 白喰いは泥地の手前で止まっていた。目は見えなくても、僕たちが一列で進んだ振動を追っている。泥へ前脚を入れ、引き抜く。重い体では、僕たちと同じ板を渡れない。白喰いは泥地の縁に沿って動き、こちらへ渡れる場所を探し始めた。


「止まるな。崩れた壁の間を抜けるぞ!」


 ガランさんと父さんが大盾を持ち上げる。僕たちも、並びを崩さずに歩き出した。


 僕は歩きながら、左足の指を靴の中で動かす。痛みはなく、いつもどおり動いた。今日一度目の《三歩の道》は、痛みを残さず終わっている。


「左足は?」


 盾の後ろを持つ父さんが尋ねた。


「まだ痛くない。でも、次に《三歩の道》を使えば痛むと思う」


「なら、今は自分の足で進め」


「うん」


 名もなき斥候は、地図を一人で運ぼうとしていた。今は十一人が、足場を伝える僕の言葉を一人ずつ後ろへ渡しながら進んでいる。青い足跡が見えるのは僕だけだ。けれど、道を作っているのは僕一人ではなかった。


 塔の東側にある泥地を抜け、僕たちは崩れた壁沿いの石畳を進んだ。その先には古い排水路がある。


 ガランさんが初めから決めていた帰路だ。十一人の足音を村の北の柵まで続けさせないため、迷わず先頭を進んでいく。僕も青い足跡ではなく、自分の目で足元を見た。


 白喰いが泥地を回り込む前に、十一人は止まらず水路へ向かった。

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