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名もなき英雄の残火 ~死者の技を継ぐたび、少年は強くなる~  作者: 冬月樹
第一部 青い火の古戦場

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第十七話 崩れた階段

 崩れた階段から十一人全員を下ろすには、先に一階で受け止める者が必要だった。


 最初に下りたのは、ガランさんだった。


 縄を使わず、崩れた階段の残っている部分を選んで一階へ降りる。途中で石が一つ外れたが、ガランさんは身をひねって避けた。


「今の石は踏むな。右側の板も割れている」


 下から指示が飛ぶ。


 父さんとダリオさんは、二階の柱へ縄を二重に回した。薬師のテオさんと、行商人のマルクさんも縄を持つ。


 二人目は、馬車の御者だったボルさん。三人目はマルクさん。四人目は、マルクさんの妻でリナの母でもあるユナさん。


 下りた者は、次の人を支える者だけを残し、東側の脇口近くへ移る。狭い一階へ人が重なれば、落ちてきた石を避けられないからだ。


 ボルさんは縄のそばに残り、次の者が床へ足を下ろすのを支えた。マルクさんは脇口の前へしゃがみ、邪魔になりそうな石を一つずつ手で静かに端へ寄せる。ユナさんは、十歳の娘リナを受け取れる位置まで戻った。


 一人が下りるたび、ガランさんが番号を確認する。


「四」


「いる」


「六」


「いるぞ」


「八」


「はい」


 ガランさんは、一階と二階の両方へ聞こえるよう、番号を一つずつ区切って呼んでいた。本人に自分の番号を覚えさせ、周りにも誰が何番か伝えるためだ。塔を出たあとも、この番号で互いの無事を確かめる。


「七、次だ」


 リナが縄の前へ立った。


 下を見た瞬間、足が止まる。


 二階と一階の間は、大人の背より高い。崩れた石の先には、暗い穴が開いているように見えた。


「無理」


 リナが後ろへ下がった。


「落ちる」


「縄は二本ある。下ではガランさんが待ってる」


 ユナさんが手を伸ばす。けれど、リナは首を振った。


「怖いものは、怖いと言っていいです」


 セラがリナの隣へしゃがんだ。


「私も、初めて高い鐘楼から下りた時は足が動きませんでした」


「セラも?」


「今も高い所は好きではありません」


「でも、下りられるの?」


「下りられます。怖くなくなったからではありません。怖いまま、縄を握って下りるんです」


 セラは自分の両手で縄をつかみ、握る場所を見せた。


「怖くなくなるのを待っていたら、ずっとここにいなければなりません。だから、怖いままでいいんです。私が後ろで一緒に数えます」


 リナは涙をぬぐい、もう一度、穴の前へ立った。


 父さんが一本の縄をリナの腰へ回し、外れないよう二重に結ぶ。もう一本は、セラが示した場所をリナに握らせた。


「一、二、三で足を下ろします」


 セラがゆっくり数える。


 三で、リナの足が床から離れた。


 父さんたちが腰の縄をゆっくり送り、ガランさんが下で受け止める。


 リナは目を閉じたまま一階へ着いた。


 ユナさんが抱きしめようとしたが、リナは先に縄を離し、次の人の邪魔にならないよう二歩横へ動いた。


「怖いままでも、できた」


「できましたね」


 セラが二階から答えた。


「七」


 ガランさんが呼ぶ。


「いる!」


 今度の返事は、少しだけ大きかった。リナは慌てて、両手で口を押さえた。


「十一、次だ」


 セラが縄を握る。父さん、ダリオさん、テオさんが縄を送り、ガランさんが一階で受け止めた。


「十一」


「います」


 セラは銀の鐘に詰めていた布を抜き、短槍を構えた。正面口が破られた時にすぐ《送火》を使える距離で、白喰いの動きを見張る。


 次は僕だった。


 縄を握って足を下ろすと、崩れた階段の奥から小石が落ちた。


 こつ。


 続けて、もう一つ。


 僕は下を見た。


 小石はまっすぐ落ちず、途中の板へ当たって左へ跳ねている。


「一! 左の壁から離れて!」


 僕が叫ぶ。


 直後、二階を支えていた石の端が崩れた。


 大きな石が板へ当たり、さっき小石が跳ねたのと同じ方向へ落ちる。


 一番のガランさんはリナを抱え、右へ転がった。


 石は一階の左壁へぶつかり、床を割った。


「よく見ていた」


 ガランさんが立ち上がる。


 能力は使っていない。小さな石が先に落ちたことと、跳ねた向きを見ただけだ。


 胸の奥の残火は静かなままだった。それを確かめると、少し安心した。残火が反応したから気づいたのではない。


 塔へ向かう途中で、ガランさんは「足跡だけでなく、状態の変化も見ろ」と教えてくれた。今度はその変化に自分で気づき、声を出せた。青い足跡が見えない時にも、僕の目は役に立つ。


(今のは、僕が自分で見つけた)


 青い足跡を見つけた時とは違ううれしさが、胸の奥に静かに残った。


 僕が一階へ下りた。


「五」


「僕だ」


 二階には、父さん、ダリオさん、テオさん、そして胸をひどく負傷して自力では動けない案内人のユハンさんが残っている。


 ガランさんが大盾へ縄を結び、父さんたちが二階へ引き上げた。父さんとダリオさんがユハンさんの体を持ち上げ、テオさんが肩と背を支える。


 大盾へユハンさんを寝かせ、畳んだ外套で上半身を少し高くする。胸を締めつけないよう、肩の外側と腰、両足を革帯と縄で固定した。


「俺を荷物みたいに縛るなよ」


 ユハンさんが言った。


「途中で落ちたいなら、一本外してやる」


「全部、二重にしてくれ」


 声は軽いが、言い終えると胸をかばい、浅い息を二度繰り返した。額には汗が浮かんでいる。


 父さん、ダリオさん、テオさんの三人が縄を持ち、柱に回した縄を少しずつ送りながら盾を下ろした。ガランさんは一階で待ち、揺れる盾へ両手を添える。


 半分まで来た時、衝撃とともに、北側の正面口の戸が大きくへこんだ。


 横一文字の口が、板の隙間から見える。


 正面口にいた白喰いが、戸を破ろうとしている。


「止めるな!」


 ガランさんは揺れる盾へ両手を添えた。声は乱れていない。


「そのままの速さで下ろせ」


 戸がもう一度へこむ。


 木が裂け、白い前脚が中へ入った。


 セラが銀の鐘を正面口へ向け、一歩前へ出た。


 澄んだ音が一度鳴り、《送火》を受けた前脚の灰が薄く浮き上がる。セラは短槍の柄を前脚の下へ差し込み、戸口の石枠を支えにして、ユハンさんを下ろしている場所から爪をそらした。


 一度では白喰いの動きを止められない。それでも、振り回される爪が大盾へ届くまでの時間は稼げる。


 三度鳴らせば、まとった灰をはがして動きを鈍らせられる。けれど、灰の下にいる本体は細い。ここで灰をすべて送れば、壊れかけた正面口を抜けやすくしてしまう。


 しかも鐘を続けて鳴らせば、北西へ遠ざけたもう一体を呼び戻す危険もある。今は倒すことより、目の前の一体を戸口へ詰まらせたまま、全員を下ろす方が大切だった。


 白喰いはまだ頭を通せない。前脚だけが床を探るように動いている。


 爪が石をかくたび、床へ白い灰が落ちる。灰の中に青い火が混じっていないか見そうになり、僕はすぐ視線をユハンさんへ戻した。


 今は新しい残火を探す時ではない。


「十、聞こえるか。息は苦しくないか?」


「聞こえる。息はできる。胸の痛みも、さっきと変わらない」


 ユハンさんは途切れず受け答えでき、上半身を支える布も革帯もずれていない。父さん、ダリオさん、テオさんは同じ速さで縄を送り続け、ガランさんが下から盾の揺れを抑えた。


 盾が一階へ着いた。


 父さんは、それまで手で支えていた縄の一本を柱へ固く結び直した。残る三人が一階へ下りるための、動かない縄にするためだ。


 テオさんが最初に縄を伝って下りる。


「九」


「います」


 ガランさんとテオさんが大盾の前後を持ち、ユハンさんの呼吸を確かめながら東側の脇口へ運ぶ。


「十」


「いる」


 ダリオさんが続く。


「三」


「いる」


 最後に父さんが、二階に誰も残っていないことを確かめてから縄を下りた。


「二」


「いる」


 全員が地上へ下りた。


 その瞬間、北側の正面口の戸が内側へ倒れた。


 白喰いの頭が、暗い塔の中へ入ってくる。


「東の脇口から出る! 外で帰りの並びを作れ!」


 先に下りていたセラが、その場に残って正面口へ短槍を向ける。ほかの者を先に脇口から出し、自分は帰路の最後尾へ回るためだ。


 ガランさんと父さんが、ユハンさんを固定した大盾を持ち上げる。


 僕たちは一人ずつ脇口を抜けた。


 脇口の外へ出た者から、帰りの並びを作る。ガランさんと父さんがユハンさんを乗せた盾を運び、そのすぐ後ろに道を見る僕と、ユハンさんの息を見るテオさんが続く。リナはユナさんの手を握る。ダリオさんが列の後方を守り、最後尾のセラが残火と白喰いを見張る。


 並びが変わっても、一人ずつを確かめる番号は変えない。


 最後尾のセラが脇口を出ると、銀の鐘へ布を詰め直した。直後、白喰いの爪が一階の床をかいた。


 もう塔へ戻ることはできない。


 十一人で動ける道を、今度は外に作らなければならなかった。


 塔の中で決めた番号を、僕はもう一度、胸の中で十一まで数えた。

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