第十五話 九つ数える獣
見張り塔に残された六人を迎えるため、僕たちは五人で古戦場へ入った。先頭のガランさんは一度も振り返らない。それでも、全員がついてきていることは足音で分かるらしい。
「次の平たい石まで、前の者と同じ場所を踏め」
声は小さいが、後ろまで届く。白喰いが今どこにいるのかは、まだ分からない。泥に足を取られて大きな音を立てれば、こちらの居場所を教えることになる。
ガランさんが選ぶ足場は、雨で表面を洗われた石か、枯れ草が地面へ張りついた場所だった。泥の深さが分からない所には、先に短剣のさやを差し込む。青い足跡は使っていない。それでも、一度も靴が沈まなかった。
古戦場へ入ってしばらくすると、ガランさんが振り返らずに手だけで僕を呼び、父さんの前へ入れた。足場の選び方を、すぐ後ろで見せておくつもりらしい。
一度だけ、僕は前の石へ急いで足を伸ばしかけた。ガランさんの手が横へ出て、胸の前で止める。次の瞬間、その石の下から濁った水がしみ出した。表面は乾いて見えたが、誰かが踏んだ跡だけがゆっくり沈んでいる。
「前の者と同じ場所、と言ったが、前の者が次へ移ったからといって、すぐ安全になるわけじゃない」
「石が戻るまで待つんだね」
「重さを受けた後に割れる石もある。足跡だけでなく、状態の変化も見ろ」
僕は伸ばした足を戻し、にじんだ水が止まるまで待った。
「見て覚えろ」
ガランさんが前を向いたまま言う。
「青い足跡に頼らなくても、地面を見れば分かることはある」
「雨で光っている石は固い?」
「全部ではない。もろくなっている石もある。そういう石は音が違う」
ガランさんは少し先の石を、短剣の柄でたたいた。低い音が返る。
「これは中まで詰まっている。見た目の大きさや表面の質感に合わない音がしたら、気をつけろ」
名もなき斥候も、こうして道を覚えたのだろうか。生まれた時から安全な足跡が見えたわけではない。地形を見て、何度も歩き、失敗しながら危険を見分けられるようになったはずだ。能力だけを使っていたら、僕はあの人が力を得る前に積み重ねたものを受け取れない。
そう考えた時、ガランさんが片手を上げた。全員が止まる。
前方に、腰ほどの高さまで崩れた壁がある。ガランさんは大盾を地面へ寝かせ、右手を片手剣の柄へ添えたまま、僕たちへ低くなるよう合図した。
壁の向こうから、六本の脚が地面を打つ音が聞こえる。ガランさんが壁の隙間から向こうをのぞいた。僕も、その隣にある別の隙間へ目を寄せる。
見張り塔は、ここからまだ遠い。それでも崩れた壁の隙間からは、塔の西側だけが根元まで見通せた。その根元を、白喰いが一体、六本の脚で歩いている。
「塔の周りを回っている方だ」
この隙間から見えるのは塔の西側だけだ。北側の正面口にいるはずのもう一体は、まだ確認できない。
白喰いは塔の西側を南から北へ進んでいた。北西の角で右へ曲がると、塔の奥へ姿を消す。僕は白い背中が角を越えた瞬間から、心の中で一定の速さで数え始めた。
一つ。二つ。
九つ目を数えたところで、白い背中が西側へ再び現れ、北西の角を右へ曲がった。塔を一周したのだ。
(九つで、一周)
そのまま十周分を見守った。九つで北西の角へ戻ったのが七回、八つで戻ったのが二回。残りの一回は、途中で横一文字の口を塔の壁へ押しつけ、中の音を探っていたため十一までかかった。
「九つぴったりじゃない」
「だから、九つ目を出発の合図にはしない」
ガランさんは北西の角を見たまま答えた。
「九つは、白喰いが北西の角へ戻ってくる頃を知るための目安だ。実際に角を右へ曲がり、塔の奥へ消えたのを確かめてから動く」
盾の残火で見た門番も、十を数えていた。けれど、十という数そのものが人を守ったわけではない。次に何が起きるかを考え、その間に人を逃がしていたから意味があったのだ。
「もう一体は?」
父さんが尋ねる。
ガランさんは足元から、手のひらほどの平たい石と二つの小石を拾った。平たい石を地面の中央へ置く。
「これが見張り塔だ」
塔に見立てた石の西側へ、小石を一つ置く。
「今、俺たちに見えているのはこいつだ。塔の周りを回っている」
もう一つの小石は、平たい石の北側へ置いた。
「もう一体は、北側の正面口の前だ。姿は見えんが、さっきから同じ場所で石をかく音がしている」
ガランさんは巡回する方の小石を指で示した。
「音で塔から遠ざけるのは、今見えているこいつだ」
その小石を塔から北西へ離し、今度は平たい石の東側を指でなぞる。
「北側の一体からは塔の壁が遮りになる。その間に東側へ回り、一階にある小さな脇口から中へ入る」
十周を見守る間、ガランさんは戻ってくる速さだけでなく、白喰いの脚の運びも見ていた。六本の脚のうち、後ろの一本だけをわずかに引きずっている。北西の角を右へ曲がる時には、その脚の動きが遅れ、体が外側へふらついた。
「塔へ逃げ込んだ時、俺が大盾で石枠へ挟んだ脚だ。まだかばっている」
ガランさんは平たい石の西側へ、指で二つの点を描いた。
「右へ曲がる時に遅くなるなら、その遅れも使う」
ガランさんは大盾の裏から、骨と小石を結んだ縄を二本出し、一本を父さんへ、もう一本をダリオさんへ渡した。
「塔の西にある石柱と、そこからさらに塔を離れた北西の倒木にかける。石柱の音から倒木の音へ向かうには、あいつは右へ曲がる。合図したら、石柱、倒木の順に引け。二つ同時に鳴らすな」
「一つ目へ向いた後、二つ目を鳴らすのか」
「そうだ。獲物が北西へ移動していると思わせる」
ガランさんは大盾の裏から、三つの木片を結んだ細いひもも外した。ノアが作ってくれた音具だ。
「ダリオ、倒木へ音具を仕掛けたら、その北西にある枯れ木へこれを結んでくれ。張りすぎず、風が吹けば木片同士が触れるくらいにしておけばいい」
「鳴る時は選べないぞ」
「構わん。木片の音は小さい。白喰いが塔の近くにいるうちは聞こえず、二つ目の倒木まで近づいて初めて届く。そこで鳴れば、もう一度だけ注意をそらせるかもしれん」
父さんは石柱へ、ダリオさんは北西の倒木へ、体を低くして向かった。二人は一度に仕掛け終えようとはしない。白喰いが北西の角を曲がって塔の奥へ消えるたびに次の物陰まで進み、西側へ戻ってくる前に身を伏せる。
父さんは縄を石柱の根元へ回し、骨と小石の束を柱の側面へ垂らした。こちらから縄の端を引けば、束が石へ打ちつけられる仕掛けだ。
ダリオさんも倒木の低い枝へ縄を通し、もう一つの束を硬く乾いた幹へ触れる位置に下げた。それから倒木より北西へ十数歩離れた枯れ木まで進み、ノアのひもを枝へ結ぶ。軽い木片は、風が吹けば触れ合うように垂らしてあった。
三周目に、二人は縄の端を地面へ這わせながら、崩れた壁の陰まで戻ってきた。
作戦が始まれば声を出さずに指示を送れるよう、ガランさんは手で出す合図の意味を全員へ説明する。
「指一本で石柱。二本で倒木だ。拳を握ったら、縄を引かずに待て。開いた手を東へ振ったら、できるだけ足音を立てずに東へ走る」
ガランさんが指一本、二本、握り拳、開いた手を東へ振る動きを順に示す。父さんとダリオさんは、それぞれ自分の縄を握ってうなずいた。僕とセラも、四つの合図をもう一度、目で確かめる。セラは銀の鐘の中へ布を詰め、僕の隣に伏せた。
「冠灯院でも、ああいう方法を教える?」
「音で注意を引くことは習います。でも、あれほど少ない道具で長く注意を引く方法は習っていません」
「ガランさんは、白喰いと何度も戦ったのかな」
「戦ったというより、何度も逃げた人の動きです」
セラは悪く言ったのではなかった。逃げて生き残った回数も、今は技になっている。
やがて、白喰いが再び塔の西側へ現れた。北西の角を右へ曲がり、その姿が塔の奥へ消える。ガランさんは父さんとダリオさんの顔を順に見て、二人が縄を握っていることを確かめた。
ガランさんが指を一本立てた。父さんが縄を引く。塔の西の石柱で骨が三度鳴った。
白喰いが塔から離れ、音へ走る。横一文字の口が開き、石柱から返る音を飲み込むように首を振った。
五つ数えたところで、ガランさんが二本目の指を立てる。ダリオさんが縄を引いた。今度は、石柱の北西にある倒木で小石が鳴る。
白喰いは右奥へ向きを変えた。傷めた後ろ脚が一拍遅れ、体が外側へふらつく。それでも倒木の音を追い、塔から北西へ離れていく。
ガランさんが開いた手を東へ振った。僕たちは、できるだけ足音を立てないように壁の陰から走り出す。
最初は固い石畳だった。ガランさんの足だけを見て、同じ場所を踏む。けれど、塔の東側へ近づくと石畳が泥の下へ沈んでいた。
ガランさんがさやを差し込む。柄の近くまで一度に埋まった。村で地図を見た時、ガランさんにも五人で通れるか分からないと言われた場所だ。
「止まれ。道を探す」
ガランさんは石畳が続いていた向きへ、さやの先をゆっくり泥の中に滑らせた。二度目は泥をかいただけだったが、三度目に木をこする鈍い音が返る。さやの縁で表面の泥を払うと、細長い板の端が現れた。一人が足を置ける幅しかないが、塔の東壁へ向かってまっすぐ続いている。
ガランさんは短剣を納め、片足を板へ乗せた。少しずつ体重をかけても、板は泥へ沈まない。
「前の者が石陰へ着いてから、一人ずつ渡れ。板の中央から足を外すな」
ガランさんが先に渡り、向こう側から足を置く場所を示した。父さん、ダリオさん、僕の順に、泥から出た板の端だけを見て進む。最後尾のセラが渡るまで、板は少し沈んだだけで持ちこたえた。
「一度に一人の重さしか支えられないかもしれません。帰りに使うのは難しそうです」
セラが石陰へ入ってから言う。
「ああ。負傷者を抱えてここを通るのは難しい。帰りは予定どおり、排水路へ回る」
来た道が、そのまま帰り道になるわけではない。人数も重さも変わるからだ。僕は《灯名帳》を開かず、そのことを頭の中で三度繰り返した。
「全員、渡った」
ガランさんが、後ろへ届くだけの低い声で告げる。
胸の奥にある斥候の火は、静かなままだった。青い足跡へ頼らず、五人で泥地を抜けられた。
泥地の先には、塔の東壁から落ちた大きな石が重なっている。そこまで行けば、白喰いから姿を隠せる。ガランさんが僕の肩を押し、石の陰へ入れた。全員が続く。
遠くで、木片の軽い音がした。ノアが作ったひもを、風が鳴らしている。北西へ向かっていた白喰いが、さらに遠くの音へ頭を向けた。
「役に立ったな」
ガランさんが言う。
「帰ったら、ノアに伝える」
塔の北側で、もう一体の白喰いが正面口の石をかいた。
僕たちはようやく、見張り塔の東壁の陰へ着いた。《三歩の道》を一度も使わずたどり着けたことが、少し心強い。それでも六人は、まだ階段の崩れた二階に取り残されている。




