第十三話 古戦場から来た男
本日3話目です。
銀の鐘は、北の柵を離れても北を指したままだった。
僕たちは一度オルバン村長の家へ戻り、境の石柱で見たことを順に報告した。昼でも古戦場の端まで白喰いが来ること。その灰の中に残火が取り込まれていたこと。青い火が、何かに呼ばれるように北へ流れていること。
セラは地図に、残火と銀の鐘が引かれた方角を書き込み、父さんは北の見張りを二人に増やした。
僕の左足には、《三歩の道》を続けて二度使った痛みが残っていたが、力は抜けていない。自分で家まで歩き、昼食を食べてから、しばらく横になった。
今回の件で、白喰いが残火を食べることと、異変が僕の中だけでなく古戦場全体に起きていることは分かった。けれど、残火を北へ引き寄せている理由は分からない。
答えが出ないまま日が西へ傾いたころ、見張り台の板が一度鳴った。人影を知らせる音だ。
僕が父さんと北の柵へ着くと、セラは先に銀の鐘を耳元へ近づけ、かすかな響きを確かめていた。鐘の口は、昼から変わらず古戦場の北へ傾いている。
その方角から、古戦場を歩いてくる男がいた。今度の客は、銀の鐘を持った少女ではない。自分の体を半分隠せるほどの大盾を背負った、大きな男だ。腰の左側には片手剣、右側には短剣を下げている。
男は古戦場の中で立ち止まり、後ろへ長く伸びた縄を短剣で切った。縄には穴を開けた骨と小石がいくつも結ばれていて、風に押されると離れた場所でばらばらに音を立てる。男は大盾の縁で石柱も一度たたいた。古戦場の西で骨が鳴り、東で小石が鳴り、最後に中央で盾の音がする。
その間に男自身は、雨で地面へ張りついた枯れ草の上を選んで進んでいた。青い足跡など見えていないはずなのに、柔らかな土も崩れた石板も踏まない。
「あれで白喰いを別の方向へ向けたのか」
僕が言うと、隣にいたセラがうなずいた。
「一つの音を追わせるより、場所の違う音を順番に鳴らした方が長く迷わせられます」
白喰いの習性を知っているだけではない。いくつもの音で白喰いを迷わせる工夫までしている。あの男は何者なのだろう。
男は柵まで来ると、両手を見える位置へ上げた。四十歳くらいだろうか。短い髪には白いものが混じり、左の頬に古い傷がある。着ている鎧は傷だらけで、王国らしい印は削り取られていた。
「村長か、守りを任されている者と話したい」
低い声だった。
「先に名と要件を言え」
父さんが柵の内側から答える。
「ガラン。旅人の護衛をしている」
セラの表情が変わった。
「元王国騎士のガラン……? 北の街道の戦で、盾一枚で敵を押し返したという」
ガランさんは銀の鐘とセラの外套を見る。
「冠灯院の見習いか。俺の古い話は後にしてくれ。頼みがある。取り残された者を助けるため、力を貸してほしい」
「どこに取り残されているんですか?」
「古戦場の北西にある見張り塔に六人。商人夫婦、御者、薬師、十歳の娘、それと胸をひどく負傷した案内人だ」
「あなたも入れれば、七人ですか?」
僕が尋ねると、ガランさんの目がこちらへ向いた。
「そうだ」
その答えを聞いて、門番の記憶が少しだけ胸で動いた。
(何人を、どこまで逃がすのか)
あの門の前で数え損ねたものを、今度は先に数えておきたかった。
「どうして塔にいるんですか?」
「昨日、南の街道を進んでいたら、土砂で道が塞がれていた。引き返す時間もない。古戦場の古い街道へ回ったところで、日暮れ前だというのに灰追いに出くわした」
「灰追いというのは、白喰いのことだな?」
父さんが確認すると、セラがうなずいた。
「ここでは白喰いと呼ぶんだな」
ガランさんは村の呼び名へ言い換えて、話を続けた。
「逃げる途中で、案内人が白喰いの体当たりを胸に受けた。あばら骨が何本か折れ、息をするだけでも痛むようだ。折れた骨が肺を傷つけば命に関わると、薬師が言っている。背負って胸を圧迫することも、体を揺らすこともできん」
商人と御者が外套と棒で作った担架へ案内人を寝かせ、薬師が体を支えた。そうして何とか近くの見張り塔まで運んだという。ガランさんは背負った大盾の革帯を握った。
「俺も騎士の端くれだ。大盾と剣で応戦したが、白喰いは、普通の剣では太刀打ちできない。大盾で一体の脚を塔の戸口の石枠へ挟み、傷を負わせるのが限界だった。白喰いがひるんだ隙に、負傷者の担架を運びながら全員で塔へ逃げ込んだ」
ガランさんは、もう一度塔のある方角を見た。
「塔へ入った後は、すぐ全員を二階へ押し上げた。だが、白喰いが正面口で暴れ、古い階段は体当たりの揺れで崩れた。俺たちは下へ降りられなくなったが、白喰いも二階へ上がれない。その場では、全員無事だった」
ガランさんは、そこで一度言葉を切った。
「白喰いはしばらく正面口で暴れたあと、塔の外へ出た。ただ、階段の崩れる大きな音に引かれ、古戦場の奥からもう一体現れ、塔の近くに居着いてしまった。夜が明けても二体は残っていた。このままでは全員助からないと思い、俺は外壁から縄で下り、助けを求めに来た」
「今、白喰いはどこに?」
父さんが尋ねる。
「俺が塔を離れた時、傷を負わせた一体は塔の周囲を巡り、音に引かれたもう一体は正面口の前から動かなかった。食料は明日の夜まで。水は明日の昼まで持てばいい方だ」
空になった水袋を見せながら、ガランさんは必要なことを順番に答えた。
「俺一人なら、音を散らして抜けられる。七人では無理だ。一体を別の場所へ引きつけ、もう一体を止めている間に、全員を安全な道へ向かわせたい。日暮れ前に戻れないなら、急いで今夜出るより、夜明けに確実な人数で動きたい」
「そのために村の人手を借りたいのか」
父さんが言う。
「そうだ。この村にも事情があるのは分かっている。それでも、俺一人では六人を連れ帰れない」
ガランさんは腰に残った縄を握った。
「負傷者を二階から下ろすには、俺のほかに縄を扱える者が複数人必要だ。帰り道を選ぶため、古戦場周辺の地形に詳しい者と、白喰いに詳しい者がいると助かる」
必要な役目をすべて話してから、ガランさんは柵の向こうで頭を下げた。
「勝手な頼みだと分かっている。それでも、力を貸してほしい」
「助け出したあと、白喰いがみんなの足音を追って村まで来ませんか?」
「塔から村へ向かう道は二つある。短い方は北の柵へほぼまっすぐ続くが、俺はそちらを使わなかった。近道には塔を巡る一体がいる」
「もう一つは、どんな道ですか?」
「遠回りだ。途中に古い排水路がある」
ガランさんは腰袋から、古戦場で切り離してきたのと同じ、穴を開けた骨と小石を細縄で結んだ音具を取り出し、その細縄を指へ巻いた。骨と小石が、手の中で触れ合う。
「俺は細縄を岸の石へ結び、水が音具の骨と小石を鳴らしている間に水路を離れ、村へ向かった」
柵へ近づく前にも、ガランさんは三つの方向へ音を散らしていた。三つの音は、村へ続く一方向には並んでいない。
「帰りも排水路で一体を人の列から離す」
「もう一体は、どうするんですか?」
「縄か別の音で止める。全員が硬い墓道へ移り、追跡が切れるまで村の柵は開けない。それでも来るなら、負傷者の盾はほかの者へ任せ、俺が古戦場へ引き戻す」
「そこまで終えて、救出だな」
父さんが言うと、ガランさんはうなずいた。
「それなら、村にできる人がいます」
僕は思わず言った。
父さんとダリオさんは縄を扱えるし、猟師のダリオさんは古戦場周辺の地形にも詳しい。ガランさんが挙げた役目は、もうこの柵の内側にそろっている。
「セラは白喰いのことを知っていますし、《送火》も使えます。僕にも、帰り道を探すためにできることがあります」
ガランさんは、僕とセラを交互に見た。
「子どもを連れていく話はしていない」
「私は灯葬士です」
「見習いだろう」
「見習いでも、《送火》は使えます」
「使えるからといって、連れて行くという判断にはならん」
昨日、墓地で白喰いを前にした時、《三歩の道》は使えるからといって、今使っていいとは限らないと考えた。ガランさんの言葉は、それと同じ筋だった。だから腹は立たなかった。
「見張り塔まで、どんな道を通るんですか?」
僕はガランさんへ尋ねた。
「行きは短い方を使う。どちらの道から入っても、塔の東側には泥のくぼ地がある」
「泥は通れるんですか?」
「分からん。俺一人なら抜けられたが、雨の後に五人が同じ足場を使えるかは確かめていない。通れなければ排水路側へ回る」
泥の深さは、地図には書かれていない。五人でそこまで行き、自分たちの目で確かめるしかなかった。
「白喰いはどこにいるんですか?」
「一体は塔の北側にある正面口から動かない。もう一体は塔の周囲を巡回している。一周するのに、九つ数えるくらいだ」
「塔から出たあとの帰りは、どちらを通るんですか?」
「遠い方だ。十一人の足音を北の柵まで続けさせるわけにはいかん」
ガランさんは、背負った大盾の縁を前後からつかむ仕草をした。
「こちらなら、狭い場所でも二人は並べる。負傷者は上半身を少し起こして俺の盾へ固定し、前後から持つ。胸を圧迫せず、できるだけ揺らさず運ぶ」
泥のくぼ地と、崩れた壁の間。普通の道が途切れる場所なら、《三歩の道》が役に立つかもしれない。僕はすぐに能力のことを話さず、父さんを見た。
「僕にできることを、話してもいい?」
父さんはガランさんを見てから、僕へ視線を戻した。
「どこまで話すかは、お前が決めろ」
「聞くのは構わん。だが、子どもを連れていくかは別だ」
助けに使うなら、できることだけを話しても足りない。僕はガランさんの顔を見た。
「救出に関係する能力と、その制限は全部話します」
僕は青い残火へ触れてから、《三歩の道》と《退かぬ盾》を使えるようになったことを説明した。
《三歩の道》は安全に踏める足場を三つ見つけ、ほかの人にも同じ場所を伝えられる。《退かぬ盾》は、正面から来るものを十数える間だけ止められる。ただし、一度に使えるのは一つだけで、今は《三歩の道》しか出せない。
残火、と聞いた所で、ガランさんの目が細くなった。
ガランさんは、しばらく何も言わなかった。僕の方を見ているのに、その目は僕より遠くの何かと見比べているようだった。
「……人の足場まで見えて、それを他人へ伝えられる力か。そんな話は聞いたことがない。にわかには信じられん。見えるのは、お前自身の安全な足場だけじゃないのか」
「私も、今日その力を体験しました」
セラが銀の鐘を押さえながら答えた。
「足跡そのものは私には見えませんでした。それでもカイの指示を信じた四人は、全員ここへ戻りました。全員無傷です」
ガランさんは僕ではなく、今度はセラを見た。
「本当に、他人の足場まで見えるのか」
「はい。一度に見えるのは三歩だけです。続けて二度目を使うと左足が痛むので、そこで止めます」
「自分から弱点まで話すのか」
「知らないまま任せられる方が、困りますから」
ガランさんの視線が、僕の顔から左足へ下がり、そこで口を閉ざした。僕と父さんを何度も見比べる。父さんは何も言わず、決断を待っていた。
長い沈黙のあと、ガランさんが重い息を吐く。
「子どもの力を当てにしていい話じゃない。だが、俺たちの方法だけでは全員を逃がせない時に、お前の道があれば助かる者がいるかもしれない」
ガランさんはもう一度、僕の顔をまっすぐ見た。
「まずは俺が地形を読む。足音を隠せる場所も、白喰いの向きを変えられる物も、休める石も、使えるものは先に使う。お前に無理をさせるつもりはない。ただ、どうしても俺たちの力じゃどうにもならなくなった時だけ、お前の道を頼ってもいいか」
「はい。その時は任せてください」
セラは銀の鐘を両手で持ち、ガランさんの正面へ向けた。
「私は白喰いの性質を知っています。《送火》でまとった灰を崩せます。銀の鐘があれば、残火が動く方角も確かめられます」
「危険だと判断した時は?」
「ガランさんが退くと決めた時は、私も従います」
ガランさんは腕を組み、僕とセラを見直した。視線が僕の左足と《灯名帳》、セラの銀の鐘へ移り、短槍を握る手で一度止まった。
「子どもを危険な場所へ連れていくつもりはなかった。だが、年齢だけで二人を外せば、安全な道と白喰いへの備えを一つずつ失う」
ガランさんは組んでいた腕を解いた。
「二人とも作戦に必要だ。同行を認める。ただし、勝手に動くな。俺が退けと言ったら、二人とも従え」
「分かりました」
「はい」
ガランさんは父さんへ向き直った。
「勇敢な子どもたちだな。二人は、俺が命を懸けて守る。約束する」
◇
オルバン村長の家で、救出へ行く人数を決めた。ガランさん。父さん。ダリオさん。セラ。そして僕。
これ以上の人数が村から離れれば、東の道と地下道の見張りが足りなくなる。五人で動き、塔の六人を連れ帰る計画になった。
「六人を置いてはおけない。だが、助けに出た間に村を空けるわけにもいかん」
父さんが言うと、オルバン村長がうなずいた。
「ダリオが受け持つはずだった北の見張りは、ワシが代わろう」
オルバン村長は見張りの表を引き寄せ、北の時間へ自分の名を書いた。
「行く五人の役目はそなたに任せる。残る者の配置と、戻った十一人を受け入れる場所はワシが責任をもって用意する。異論がある者は今言ってくれ」
村を守る側と塔へ行く側の両方へ責任を持つ決め方だった。誰からも反対は出ない。
母さんは地図を見たあと、僕へ尋ねた。
「カイ。自分の役目と、やめる時はどう考えているの?」
「普通の道が切れた時だけ《三歩の道》を使う。一度使ったら、続けずに済む方法を探す。誰かが危ない時だけ二度目を使って、痛みが出たらすぐ言う。ガランさんか父さんが戻ると決めたら、僕も戻る」
昨日までなら、母さんから言われるのを待っていた内容だった。母さんは一つずつ聞き終えると、静かにうなずく。
「自分でそこまで決めたなら、私は止めない」
母さんは僕の顔をしばらく見つめた。心配が消えたわけではない。それでも、その心配を理由に、僕が出した答えを取り上げようとはしなかった。
「もう、自分のことを私に決めてもらうだけの子どもじゃないのね」
「うん」
母さんは地図の端を押さえ、ガランさんの説明へ目を向けた。
「夜明けに出る」
ガランさんが卓の上へ古戦場の簡単な地図を広げる。
「日が出ていても安全だと思うな。今の白喰いは、昼と夜の区別をしていない」
地図の北西に、四角い見張り塔が描かれている。ルカ村の外へ出る東の道は崩れたままだ。見張り塔へ向かうには、誰も通ろうとしなかった古戦場へ入るしかない。
胸の奥で、名もなき斥候の火が静かに揺れた。道を伝えられなかった人の力で、今度は六人を迎えに行く。
僕は《灯名帳》を開き、最初のページへ出発する五人と、待っている六人の数を書いた。歩き出す前に、帰る人数を確かめる。
明日の帰り道には、十一人いる。誰も欠けさせないための道を、僕は探す。
明日から1話ずつ投稿していきます!引き続きよろしくお願いいたします。




