第十二話 見えない道と銀の鐘
本日2話目です。
次の日を待たず、父さん、ダリオさん、セラと僕の四人で北の柵を調べることになった。広場に現れた青い火が、古戦場の方へ続いていたからだ。
僕は青い火の流れを見て、セラは銀の鐘で残火を調べる。父さんとダリオさんが前に立ち、危険があれば全員で戻ると決めた。北の柵には村の男二人が残り、何かあれば板を二度鳴らす手はずだ。
「調べるのは、境にある石柱までだ」
出発前、父さんは地図の上で範囲を示した。
「残火の流れがそこから先へ続いていても、今日は追わない」
父さんが預かっていた短槍をセラへ返し、母さんは四人の顔を順に見てから、戸口の脇へ寄った。
「四人とも、気をつけて。行ってらっしゃい」
◇
北の柵へ着くと、青い火は地面から少し浮き、古戦場の奥へ流れていた。さっき広場から北へ伸びていた火の続きだ。
「全部、北へ動いてる」
僕が言うと、セラが銀の鐘を持ち上げ、鳴らさずに耳へ近づけた。
「鐘も、北へ引かれています」
「誰かが呼んでるのか?」
「分かりません。こんな動きは、教本にもありませんでした」
ダリオさんが片手を上げ、その合図で僕たちは動きを止めた。ダリオさんは、そのまま柵の外を指した。
「あそこに新しい跡がある」
声が低い。地面には六本脚の跡が続いていて、一つ一つは一昨日出会った白喰いのものより一回り小さい。くぼみの底に残る白い灰は乾いており、古戦場の奥から境へ向かっていた。雨がやんでから、ここまで来た跡だ。
父さんの手が僕の肩を押して、自分の後ろへ下がらせる。ダリオさんは音を立てないようゆっくり弓へ矢をつがえ、セラも銀の鐘を握ったまま、もう一方の手を短槍へ伸ばした。
背中の三本の傷が服にこすれ、熱を持った。
「昼なのに……また来た」
かり、と石をかく音がして、誰も息をしなくなった。
倒れた石柱の向こうで白い背中が持ち上がる。横一文字の口が開いて黒い歯が見え、新しい白喰いが、地面を低くかきながらこちらへ近づいてきた。
「動くな。白喰いは音と揺れを追う」
父さんがセラへ告げる。
「分かっています」
白喰いの頭が、セラの腰へ向いた。残火の流れを追うため鐘の口を布で塞いでおらず、僕たちが足を止めても、ここまでの小さな音までは消せない。
セラが鐘の中へ布を詰めて音を止めても、白喰いは近づいてくる。六本の脚が踏むたび、まとった灰から青い火がこぼれていた。
「残火を食べています」
セラが小声で言った。
「灰から火を送れば、動きを鈍らせられます。ただし三度、近くで鐘を鳴らす必要があります」
「近くって、どれくらい?」
「槍が届くくらいです」
それは、白喰いの口も届く距離だ。
「柵へ戻れば、こいつを村まで引きつける。古戦場側へ追い返すぞ」
「三度目を鳴らしたら、鐘を古戦場の奥へ投げます。音を追わせれば、柵へ戻る時間を作れます」
父さんは細い予備の縄を取り出し、セラの鐘についた鎖へ結ぶ。
「なら、これを使え。鐘は柵の内側から回収する」
セラは結び目を引き、ほどけないことを確かめた。
「俺とダリオで脚を止める。カイ、《三歩の道》は使えるか」
「使える。全員が離れられる道を探す」
僕は白喰いから全員が離れられる道を願った。胸の奥で斥候の火が揺れ、三つの青い足跡が現れる。
けれど足跡は柵の内側へ向かわず、柵の切れ目から古戦場へ入り、倒れた三本の石柱の間を抜けていた。
(外へ?)
逃げるだけなら村へ戻れるはずだが、僕が願ったのは、白喰いを止めたあとも全員が離れられる道だ。足跡は、戦う四人が立つ場所を示しているように見えた。
「道は外にある。僕も行く」
父さんは足跡の見えない地面と僕の顔を見比べた。
「二度目は危ない。必要になったら、先に言え」
「分かった。まずは一度だけ使う」
「退く合図は俺が出す」
「分かった」
セラが短槍を構え、僕の前へ出る。腰を落とし、穂先を低く据えた構えに迷いはない。柄を握る両手の間隔も、長さを知り尽くした置き方だった。
「最初は右。灰色の平たい石を踏んで!」
セラが僕の言葉だけを頼りに足を置き、父さんとダリオさんが続く。一つ目で灰色の平たい石を踏み、二つ目で倒れた石柱の左へ回って、三つ目は白喰いの正面から外れた石柱の陰だ。四人が通り終えると、青い足跡は消えた。
僕たちが動く振動を追って、白喰いが頭を振る。父さんが石を遠くへ投げると、音に反応した白喰いが反対側へ向いた。
その瞬間、セラが駆けた。
銀の鐘から布を抜き、白喰いの横で一度鳴らすと、まとわりついていた灰が薄く浮いた。
白喰いが口を開いてセラへ前脚を振るったが、セラは短槍の石突き(いしづき)を地面へつき、それを支えに元いた石柱の陰へ滑り込む。爪は外套の端だけを裂いて、石柱をかいた。
二度目の鐘が鳴り、白喰いの背から灰がはがれて、青い火となって空へ上がった。
「この隙に、動きを止める!」
ダリオさんが輪にした縄を投げて後ろ脚の一本へかけ、父さんが反対側から縄を引いて倒れた石柱へ回す。白喰いが暴れた。
二人が、青い足跡で入った左右の位置から縄を引くと、二本の縄が地面近くで交差して、六本脚のうち三本を束ねた。それでも白喰いは縄を一本引きちぎり、僕へ横一文字の口を向ける。
「父さん、二度目を使う! 僕が引きつけるから、セラは鐘を!」
黒い石を越えて右へ折れる三つの足跡が現れ、僕は走らずに一つずつ踏んだ。
白喰いが飛びかかる。黒い歯が肩の横を通り過ぎた時には、三歩目へ着いていた。足跡が消え、左足へ冷たい痛みが走る。
「セラ、今だ!」
僕を追った白喰いは、セラへ灰の薄い背中を向けている。
セラは短槍の石突きで地面をたたいて頭を一瞬だけ自分へ向けさせ、その横をすり抜けながら、銀の鐘を三度目に鳴らした。
白い灰が一斉に吹き飛んだ。中から現れた体は思っていたより細く、灰で隠れていた皮膚は黒に近い灰色で、六本の脚が骨ばっている。
父さんとダリオさんが縄を引くと、重さを失った白喰いの脚が持ち上がって横倒しになった。口が地面をかんだが、そこにはもう誰もいない。
セラが銀の鐘を古戦場の奥へ投げると、予備の縄につながれた鐘は水路の坂を転がり、跳ねるたびに音を鳴らした。
起き上がった白喰いは僕たちを追わず、転がる鐘へ向かう。灰を失った細い体は足がもつれていたが、それでも音を追って古戦場の奥へ消えていった。
四人が柵を越えてから、ダリオさんが縄をゆっくりたぐる。石へ当てて鳴らさないよう時間をかけ、銀の鐘を柵の内側へ回収した。
左足には冷たい痛みがあったが、力は抜けていない。僕は自分の足で立ったまま、膝と足首を曲げてみせた。
「カイ、左足は動くか」
「二度使ったから、やっぱり痛い。けど、動く」
僕の三歩だけで白喰いを退けたわけではない。セラの鐘が灰をはがし、父さんたちの縄が脚を止めたから、四人で柵へ戻れたのだ。
「セラは、槍に慣れてるんだね」
「院で教わるのは、送り方だけです。槍は師から習いました。《送火》は、槍が届くほど近づかなければ届きません。近づく以上、自分の身は自分で守れなければならない、と」
石突きを支えに石柱の陰へ戻った動きは、とっさの思いつきではなかったのだ。
セラが裂けた外套の端を指でなぞる。元いた石柱へ目を向け、短く息を吐いてから、僕の顔へ目を戻した。
「あなたの示した石柱の陰へ戻れていなければ、外套だけでは済まなかったでしょう。あなたは、安全な足場を見つけただけではありません」
「何が違うの?」
「あなたが示した道を通ってから、白喰いの爪も口も、誰にも届きませんでした。安全な地面だけでなく、全員が攻撃を避けられる位置まで選んでいたんです」
セラは、僕たちが通った三つの足場へ目を向けた。
「その道を示した斥候は、地面を見るのが上手だっただけではないのでしょう。後ろに続く人を、一人でも多く生きて帰すことを、最後まで考えていた」
「残火を警戒していても、斥候のことは認めてくれるの?」
「残火は警戒します。でも、その人がしたことまで疑うつもりはありません」
セラは銀の鐘を握り直した。
「自分が帰れなくても、ほかの人を帰そうとした。その斥候を、私は尊敬します」
胸の奥で斥候の火が小さく揺れ、頬が緩むのを止められなかった。
僕ではなく、名前も分からない斥候の選択を、セラが認めてくれた。それが、自分が褒められるよりうれしかった。
けれど、喜んでばかりはいられなかった。古戦場には白喰いから離れた青い火がまだいくつも浮いていて、僕たちの動きと関係なく、どれも北へ流れている。
「異変は、あなたの中だけではありません」
セラは今度は、はっきりと言った。
「古戦場全体の残火が、何かに呼ばれています」
その言葉を待っていたように、セラの手へ戻った銀の鐘が一度鳴った。誰も触れていないのに、その口は古戦場の北へ向いている。




