第十一話 残火を消す者
本日1話目です。
「残火を、その子から離してください」
柵を挟んだ向こう側から、短槍を下ろさないまま、見習い灯葬士のセラが言った。父さんは僕の前から動かない。
「離せるなら、とっくにそうしている」
「私が送ります」
セラは銀の鐘を胸の高さへ上げた。
「《送火》は、残った記憶を静め、死者の火をあるべき場所へ返すための技です」
「返したら、カイはどうなる」
「……私は、生きている人の中にある残火へ使ったことがありません。院には送った記録があります。でも、あなたのように自分の言葉で話せる人へ使った記録は、私は知りません。だから、分かりません」
父さんの声が低くなる。
「分からないことを、息子に試すのか」
「ですが、残火を二つも入れたままにする方が危険です。死者の願いが生きた人の心を押しのければ、元には戻せません」
セラの言葉は脅しには聞こえず、銀の鐘を握る指にも迷いがなかった。
「二つとも、僕が無理に入れたわけじゃない」
父さんの横から、僕は言った。
「最初は白喰いに追われて、ほかに道がなかった。二つ目は、父さんと母さんへ話してから触れた」
「死者は、そうやって理由を作らせます」
「あの人たちは、僕に何かをしろとは言ってない」
「では、なぜ二つとも、あなたの中で燃え続けているんですか」
すぐには答えられなかった。
(それは、僕の方が知りたい)
二つの火は、今も胸の奥で静かに燃えている。けれど、なぜ消えずに残っているのかは、僕にも分からなかった。
「話す場所を変えよう」
父さんが言った。
「お前を村へ入れる。ただし鐘は鳴らすな。槍は俺が預かる」
「残火を持つ子の近くで、武器を手放せと?」
「武器を手放さないなら、村へは入れん。話はここまでだ」
二人はしばらく見つめ合い、先に槍を差し出したのはセラだった。
「鐘は渡せません。灯葬士の身分を示す道具でもあります」
「……分かった。腰へつけておけ」
父さんは短槍を受け取ると、村の男たちへ柵を開けさせた。
◇
ルカ村をまとめるオルバン村長の家には、母さんも呼ばれた。
僕と両親、オルバン村長、セラが同じ机を囲み、セラの短槍は父さんの手が届く壁へ立てかけられている。
「冠灯院の規則も、村を守ろうとしていることも分かる」
オルバン村長が最初に言った。
「だが、ここで起きたことはカイ本人が一番多く知っている。まず最後まで聞こう。結論は、そのあとでワシが責任を持って出す」
母さんはセラをまっすぐ見た。
「分からないことは、カイに尋ねて。危険だと思うことも、理由を一つずつ聞かせてちょうだい」
セラはすぐには答えなかったが、やがて椅子へ座り直した。
僕は《灯名帳》を机へ置き、最初の残火に触れた時から順に説明した。
斥候の最期から《三歩の道》を受け継ぎ、続けて使えば左足へ死者の痛みが流れ込む。門番からは《退かぬ盾》を受け継いだが、二つを同時には使えない。今のところ確かだと言えるのは、一度に灯せる火が一つだけだということくらいだった。書いてある順に話しているのに、口に出すと、分かっていないことの方がずっと多く聞こえた。
セラは途中で何度も質問を挟んだ。
「斥候は、左足のどこを傷めていたんですか?」
「足全体が動かなかった。どこをどう傷めたのかまでは、分からない」
「盾を出した時、門番の声が命令しましたか?」
「命令はされてない。最初に勝手に出た時も、僕が消えてと言ったら消えた」
「地下道では消えなかったのでしょう」
「十を数える途中で消せなかった。能力の制限かもしれない。でも、誰かを攻撃しろとか、残れとは思わなかった」
セラは帳面の文字と僕の顔を交互に見た。
「自分の記憶と、残火の記憶を分けて書いているんですね」
「混ざったら困るから」
「藤代明人という人は?」
その名前が出ると、父さんと母さんが少し身を固くした。
それでも僕は、藤代明人について思い出したことを隠さなかった。二十八歳だったこと。郷土資料館で古い手紙を記録していたこと。大雨の日に、避難口を指して人を逃がしていたこと。その先は、まだ思い出せないこと。
「その記憶も、残火ではないと言い切れますか」
「言い切れる」
僕は答えた。
「斥候と門番の記憶は、知らない人の最期を外から受け取る。痛みや冷たさまで残るけど、藤代明人は、忘れていた自分の過去を思い出す感じだ」
「普通の魔術なら、術者自身の魔力を、覚えた術式に沿って動かします」
セラは机に置いた銀の鐘へ指を添えた。
「この鐘は《送火》を安定させる媒介です。けれど、あなたは術式を学ばず、死者の火から完成した技を出している。残火が魔力の道そのものを持ち込んだとしか考えられません」
「だから危険なの?」
「だから、普通の魔術と同じ安全の確かめ方ができないんです」
セラが続けた。
「斥候と門番は別の人だと分かるのに、藤代明人だけは自分だと感じている。その違いも、私には説明できません」
「説明できなくても、僕がカイなのは変わらない」
セラの指が、机の上の銀の鐘の縁で止まった。その指に力が入ったのを見ても、母さんは口を挟まず、次の言葉を待っている。
「冠灯院に残された過去の事例と違うからといって、安全だとは言い切れません」
セラは言った。
「その記録では、残火に取りつかれた人は、自分と死者を分けて話せなくなっていました。少なくとも、今のあなたはその状態ではありません」
「それなら、今すぐ送ると決めるのは、やめてくれる?」
「判断を延ばすだけです」
母さんの問いに、セラはきっぱり答えた。
「冠灯院へ報告すれば、残火は送るよう命じられます。それが規則です」
「送れば、あの人たちの痛みも、願いも、全部消えるの?」
僕が尋ねると、セラの視線が《灯名帳》へ落ちた。
「送れば、苦しみは残りません」
「苦しみだけじゃない。あの人たちが誰を守ろうとしたかまで、なかったことにはしたくない」
セラは何かを言いかけてやめ、外套の襟元へ手を持っていくと、首から下げた細いひもを服の上から握った。
ほんの一瞬だった。すぐに手を離して立ち上がる。
「昼の残火を見せてください」
◇
五人で広場へ出ると、青い火は昨日より増えていた。鐘を落とした鐘楼の石柱にも、井戸の縁にも、白喰いの灰を集めた木箱の周りにも燃えている。
太陽は雲のない空にあるのに、十を超える火が、周りを照らさないまま燃えている。
「ここ。木箱の横に三つ」
僕が指すと、セラは銀の鐘を近づけた。セラには青い火そのものが見えないらしく、鐘を少しずつ動かしながら、音の返り方で場所を探している。
「確かに、残っています。でも、一人分の残火がまとまっている反応ではありません。白喰いの灰に残った、小さな欠片です」
「送ったら、誰かの記憶まで消えない?」
セラはもう一度鐘を近づけ、返ってくる音を確かめた。
「記憶はもう残っていません。ここにとどまっているのは、最後の痛みだけです」
「それなら、送って。痛みを終わらせてあげて」
「分かりました」
セラは目を閉じ、鐘を三度鳴らした。
最初の音で、三つの青い火が細長く伸びる。
二度目で、絡まった糸がほどけるように分かれた。
三度目の音が消えると、青い火は空へ上がって見えなくなった。
胸へ入ってきた記憶はなく、ただ、長く息を止めていた誰かがようやく息を吐いたように感じた。
「これが《送火》」
僕が言うと、セラはうなずいた。
「残った痛みを静めて送り出すのが《送火》です」
その時、銀の鐘がセラの手の中で勝手に鳴り、広場の北側で新しい青い火が一斉に現れた。
一つ、二つではない。墓地から北の柵まで、地面の下に並んでいたものが目を覚ますように、次々と燃え始めている。
「増えた」
「いくつですか?」
「数えられない。北へずっと続いてる」
セラは、昼の太陽を確かめるように空を見上げた。
「残火は、日が高い間は静かになります。少なくとも、私が教わった土地では」
「ルカでも同じだと思われてた。白喰いも昼は奥から出ないって」
「昨日から、その決まりが二つとも破られている」
セラは銀の鐘を腰へ戻した。
「あなたの中の残火を送る判断は、保留します」
父さんが表情を変えずに尋ねる。
「それは助かるが、なぜだ」
「この異変がカイの中の残火から起きているのか、古戦場全体で起きているのかを先に確かめます。先にカイの残火を送れば、本当の原因を見分ける手掛かりを失うかもしれません」
オルバン村長は、僕が見ている北の方角へ顔を向けた。
「村も異変の確認を先にする。カイはワシらが見ておこう」
セラは僕へ向き直った。
「保留しただけです。安全だと認めたわけではありません」
「分かってる」
「明日まで、一人で私の目の届かない場所へ行かないでください」
「分かった。僕も一人で動かない。だからセラも、一人で古戦場へ戻らないで」
セラは何かを言い返しかけて口を閉じ、銀の鐘を握り直すと、初めて少しだけ困った顔をした。
仲間になったわけではない。けれど、銀の鐘はもう僕へ向けられていなかった。




