04. 帝国からの招待
精霊の催しが終わった後、会場はしばらく興奮の熱が冷めなかった。
精霊の催しで三人から加護が与えられたのは、この国の長い歴史の中でも一例も記録がない。
王族の席からも人が動いた。
セイレナが壇上を降りると、一人の青年が歩み寄ってきた。
ディスティラン帝国の第一皇子、ルドガル・ディスティランだった。
艶やかな黒い髪と青色の目を持つ青年。
その存在感は、帝国の皇子に相応しい圧倒的なものだった。
「セイレナ・ルマッセル嬢」
低く落ち着いた声で彼は言った。
「あなたの演奏を聞き、私は大変感動した。これほどの演奏は、帝国でも聞いたことがない」
「恐れ入ります、殿下」
セイレナは静かに礼をした。
ルドガルは続けた。
「是非、あなたに帝国へ来て頂きたい。あなたのような才能を持つ者が、狭い世界でくすぶっているのは惜しい。よければ、帝国で活躍の場の設けたい」
セイレナは、その言葉の意味を瞬時に理解した。
(チャンスだわ)
彼女の脳裏に、イセルトとの会話が蘇った。
いずれ、この家を出ようと言った兄の言葉が。
「殿下、是非そのお申し出を受けたいのですが、お願いがあります」
「なんだろうか」
「私の兄、イセルト・ルマッセルも一緒に帝国に連れて行って頂くことはできますか。兄は剣術と学問において優れた才能を持ちますが、現在の環境ではその力を十分に発揮できておりません」
ルドガルはわずかに目を細めた。
イセルトは観客席で、妹の様子を緊張した面持ちで見守っていた。
「イセルト・ルマッセル……確か、学園でも武術の才は際立っていると聞いたことがあるな」
「はい、是非にお願いしたく」
「もう一人くらい、構わない」
ルドガルは鷹揚に頷いた。
「君には是非帝国に来てもらいたいからね。君が望むなら、そうしよう」
「ありがとうございます。それともう一つだけ、父には内緒で相談がございます。一度……帝国に行ってから、お話をさせて頂きたいのです」
「……なにか理由がありそうだね。あとで聞かせてもらうとするよ」
セイレナは、深く礼をした。
その日、父ズクールはセイレナを呼びつけた。
屋敷の中に入ったセイレナは、その空間がひどく窮屈に感じられた。
「セイレナ、お前が音楽の才能を持っていたとは知らなかった」
父の声には、珍しく穏やかなものがあった。
しかしセイレナはすぐに、その穏やかさの理由を見抜いた。
(打算よね。利用できると思ったから、急に態度が変わったわ)
「お前のその才能を家の為に使え。対外的な名声は侯爵家にも有益だ」
セイレナは父を真っ直ぐに見た。
「お父様、私はディスティラン帝国に招待され、皇子殿下の申し出をお受けしました」
父の顔が固まった。
「……なんだと?」
「私は帝国に参りますので、この家への貢献はできかねます」
「待て、誰がそれを許した!お前はこの家の娘だぞ!」
「帝国の皇子殿下の直接の申し出です。お父様がお断りできる立場でしたか?」
セイレナは穏やかに言った。
この国と帝国の力関係を熟知しているから、父は帝国に逆らえない。
それでも父は必死で食い下がった。
「お前のその才能は、この家に属するものだ。家から離れれば――」
「お父様」
セイレナは静かに遮った。
「お母様の形見の音楽箱は、今もカスティーナが持っているのですか?」
父は黙った。
「小屋に追し込まれてから、父上が一度でも様子を見に来てくださいましたか?」
「それは……」
「お母様が亡くなった後、この家で私が何を経験したか。父上はご存じですか」
父は沈黙した。
「私はこの家を去ります。この家には未練はありません」
セイレナは礼をして、部屋を出た。
部屋を出るとカスティーナがいた。
「お姉さま、私も帝国に連れていって!」
「あなたは招待に含まれていないわ」
「お姉様が連れていってくれればいいでしょう。私もきっと帝国の皇子様にに気に入られるわ!」
「お断りするわ。それに気に入られていたら、すでに声がかかっていたでしょう。今回ばかりは、お父様にお願いしても無理よ?あの人にそんな力ないもの。それとあなたとはもう、会う事もないでしょう。永遠にさようなら」
カスティーナは何かを叫んでいたが、そのまま背を向けた。
イセルトは荷物をまとめながら、複雑な思いを抱えていた。
父への怒りは今も消えていない。
それでも、長年過ごした家を去ることへの感傷もないわけではなかった。
それでも彼は決断した。
「イセルト様、少し落ち着いて考えてみては……」
義母がと声をかけてきたが、イセルトは振り返らなかった。
「私はセイレナと行きます」
それだけ言って、廊下を歩いた。
侯爵家の門を出るとき、セイレナは振り返った。
石造りの屋敷とバラ園。
そして北側に小さく見える小屋。
あの小屋で、セイレナは多くのことを学んだ。
人の助けを借りずに生活を整える術や植物の知識。
そして、音楽への情熱を取り戻すこと。
(ありがとう、小屋よ!お世話になりました!)
今のセイレナは小屋だけに愛着を持っていた。
「行きましょう、お兄様」
「ああ」
二人は、帝国へ向かう馬車に乗り込んだ。
ディスティラン帝国の首都は、セイレナ達の国とは比べ物にならない規模だった。
石畳の広い道路、何層にも重なる建造物、活気に溢れた市場。
帝国の文化は豊かで多様で、セイレナは馬車の窓から外を眺めていた。
宮廷に通された二人は、まずルドガル皇子と改めて面会した。
「ようこそ、ディスティラン帝国へ。君達を歓迎する」
ルドガルの言葉は社交辞令ではなかった。
彼は本気でセイレナの才能に関心を持っていた。
宮廷音楽家との引き合わせ、施設の案内をし生活環境の整備をした。
すべてが手際よく進んだ。
セイレナは数日後、ルドガル皇子に改めて兄と一緒に面会を申し出た。
「殿下、お願いがございます。私と兄は、生家のルマッセル家から様々な理由で辛い扱いを受けてきました。帝国においてその家との縁を正式に断ち、帝国に亡命の形でお世話になることは可能でしょうか」
ルドガルの目が、わずかに細まった。
「……以前、相談と言ってた件かな。詳しく聞かせてもらおうか」
セイレナは、言葉を選びながら話した。
母が死に、継母と異母妹が登場したこと。
母の形見を奪われたこと。
小屋での生活と父のあまりに理不尽な対応。
イセルトが更に言った。
「父の書斎での会話を偶然聞きました。セイレナと私を自分達の欲のためだけに、いずれどこかにあてがう計画を父と義母が話し合っていました。私の方で調べていく内に分かったのですが、ルマッセル家は義母と異母妹の散財で財政が困窮しています。それで、私と妹を金と引き換えにろくでもないところへ売り渡そうとしているやり取りが見つかりました。今の私達では対抗できる力がありません。このままでは父のいいように利用されるだけです。どうか帝国のお力添えを頂きたいのです」
ルドガルは聞き終えて、しばらく考え込んだ。
「ここに私と妹の件で調べた調査書があります」
イセルトがルドガル前に調査書を差し出した。
「分かった、これは預かっておこう。追って帝国として調査も行う。それまでの間、二人は帝国の客として保護しよう」
「ありがとうございます」
帝国の調査は素早く、そして秘密裏に行われた。
帝国の諜報機関は侯爵家に潜入し、事実関係を確認した。
カスティーナがセイレナに石を投げて負傷させたことや医師の記録。
意図的な嘘の喧伝と長期間の小屋生活。
侍女のラーナをはじめ、屋敷の複数の使用人が「事実と異なることが多くありました」と証言した。
ルドガルは報告書を読み、眉根を寄せた。
「あれほどの才能の持ち主を、このような扱いをしていたのか」
帝国の高官の一人が静かに言った。
「類まれなる才能と精霊の加護を授かったご令嬢です。兄も素晴らしい才覚をお持ちです。そのようなお二人は、相応しくない家に属するべきではないかと」
帝国よりルマッセル侯爵家に対し、王国へ外交的圧力がかかった。
正式な文書が届いた。
「帝国は、本人達の希望によりセイレナ・ルマッセル及びイセルト・ルマッセルの帝国への移籍を支持する。これに伴い、両名はルマッセル家との縁を正式に断つこととし、帝国がその後見を行う」
それは事実上、逆らえない命令だった。




