03. 王立学園
セイレナが学園に入学したのは、十五歳の時だった。
それから、一年後にカスティーナが入学してきた。
カスティーナ入学してから少しずつ、話は広まっていった。
「ルマッセル家のご令嬢が、ご実家で下の妹を虐めているそうよ」
「まあ、それでお父様から罰として小屋に?まるで物語みたいね。ひどい話だわ」
その噂が広がると、セイレナの周りには人が寄りつかなくなった。
一方のカスティーナは、入学直後から男子生徒達に取り囲まれていた。
年上の生徒達も「可愛い」「守ってあげたい」と目を輝かせた。
セイレナも客観的に見れば美人だった。
落ち着いた白藍色の目に艶のある空色の髪で、すっきりとした顔立ちをしている。
そんな彼女はカスティーナのような男性が本能的に守りたくなる愛らしさではなく、どちらかというと近寄りがたい凛とした美しさをしていた。
それに、態度が落ち着きすぎていた。
十五歳とは思えない妙に淡々とした物腰が、同年代の生徒には高慢に見えると受け取られることもあった。
悪意を投げられても、セイレナは屈しなかった。
廊下のすれ違いざま、意地の悪い生徒が「ルマッセル家の問題児」と聞こえよがしに言っても、セイレナは静かに振り返り、「私のことを何か言いたいようなら、直接おっしゃっていただければ事実をお話ししますよ」と言った。
その穏やかだが一歩も退かない態度に、相手は口を噤んだ。
カスティーナの嘘を信じた生徒達がセイレナを避けるならば、それでもよかった。
セイレナは一人でもよかった。
前世でも、孤独な練習に耐えてきた経験がある。
一人で充実させる時間の使い方をセイレナは知っていた。
図書館に入り浸り、勉強をしたり書物を読み漁んだりして授業では常に高評価を得た。
だが唯一、音楽のことだけはひっそりと隠していた。
学園には防音設備の整った練習室があった。
セイレナはそこを放課後に借り受け、鍵をかけて誰にも知られないように練習を続けていた。
イセルトは学園で在学中から、その優れた頭脳と武術の才能で注目を浴びていた。
剣の腕は在校生の中でも一位と二位を争うほどで、学業の成績も常に上位だった。
だがイセルトの心は、常にセイレナのことを心配していた。
彼は少しずつ、真実を探り始めた。
セイレナに対するカスティーナの嘘を証明できる人物や状況を慎重に確認していった。
ある日、父と義母が深夜に話しているのを偶然耳にした。
『――カスティーナに婿を迎えれば、爵位はカスティーナの子に継がせられる。相手は、あの子が気に入る相手がいいだろう。私達の時と同じような思いは、させたくないからな』
『ええ……そうね。イセルトとセイレナはどうするの?』
『今は好き勝手させてやっているが、それも学生のうちだけだ。あの二人は、我が家に有力になりそうな家へあてがう。二人とも見目も素養もいい、高く売れるだろう』
イセルトは廊下に立ったまま、静かに拳を握った。
翌日、彼はセイレナの小屋を訪ねた。
「セイレナ。一つ相談がある」
「なんですか?」
「いずれ二人で、この家を出よう。このまま、この家にいても……いいように利用されるだけだ。そこには俺達の意思は一切関係ない。あの人たちは自分達がよければいいのだから」
セイレナは驚いた様子もなく、ハーブティを一口飲んでから言った。
「そうですね。私も、そう思っていました」
「……やっぱりお前は変わったな」
「前世の記憶があるので」
「……え?」
「……なんでもありません」
貴族の子息や令嬢が通うこの王立学園では、特殊な慣習があった。
それは一年に一回開催される「精霊の催し」。
精霊とは、この世界に実在する神秘的な存在だ。
人間の力では制御も予測もできない、気まぐれで自由な存在。
そんな精霊から加護を与えられた者は、特殊な能力を扱えるという。
三年前の精霊の催しでは、七年ぶりに精霊が現れて光の精霊から王太子に加護が与えられた。
その出来事が今も人々の話題に上るほど、精霊の加護は稀なものだった。
精霊の催しの仕組みは単純だ。
自分の得意なことで精霊の興味を引けたなら、加護を授けてもらえる。
申告制で自信のある者だけが参加する。
今年は全学年合わせて、二十二人が参加を申告した。
セイレナも今年初めて申込をした。
精霊の催しの当日、会場となった学園の大広間には、在校生だけでなく学園関係者、貴族の保護者、そしてこの国の王族までが観覧席に集まっていた。
更に今年は、隣国のディスティラン帝国から招かれた王族一家も見学に来ていた。
ディスティラン帝国はこの国の数倍の国力を持つ大国で、その皇族が訪れること自体が一大事だった。
観覧席には、ディスティラン帝国第一皇子のルドガルとその妹達、そして帝国の高官達が上座に座っていた。
その催しは朝から始まった。
一人ずつ壇上に上がり、得意なものを披露する。
武術の者もいた。
魔法を使った者もいた。
舞踏の者も、歌を披露する者もいた。
そして多くの者が、楽器の演奏を披露した。
いずれも優雅で、水準以上の演奏だった。
だが精霊は現れなかった。
それでも観客は演奏者たちに拍手を送り、相手を称えた。
二十一番目、カスティーナ・ルマッセルが壇上に上がった。
カスティーナは、自信に満ちた表情だった。
彼女のヴァイオリンの技術は本物だった。
音色は澄み渡り、弓の使い方は流麗だった。
観客席からは感嘆の声が漏れた。
演奏が終わると、大きな拍手が起きた。
精霊は現れなかったが、それでも「すばらしい」「今年一番では」という声が上がった。
カスティーナは満足げな笑みを浮かべ、壇上から降りた。
そして彼女の視線が、会場の隅に座るセイレナを探した。
(まあ、お姉はどうせ大したことないでしょう。最後の最後に恥をかくのよ)
カスティーナはそう確信していた。
なぜなら、セイレナが音楽をすること自体、カスティーナはまったく知らなかったから。
「最後、二十二番目。セイレナ・ルマッセル嬢」
司会者の声が会場に響いた。
観客席から、ひそひそ声が漏れた。
「ルマッセル家のご令嬢?あの……問題のある方?」
「最後だなんて、可哀想に……」
カスティーナは意地悪な満足感を持って壇上を見つめた。
セイレナが壇上に上がった。
藍色のドレスを着た、凛とした顔の令嬢。
その所作には余分なものが何もなく、ただ静かな自信があった。
壇上の中央に置かれていたのは、大型のピアノだった。
ピアノは他の参加者も使用していた。
セイレナは椅子の高さを自分で調整した。
背筋を伸ばし、両手を膝の上に置いた。
そして一度、目を閉じた。
(さてと、前世で長年弾き続けた曲を思い切り弾きましょうか)
指が鍵盤に触れた。
ダァン!!
最初の一音が会場に響いた瞬間、空気が変わった。
そしてすかさず、高速のリズムによって奏でられた。
これまでの演奏者たちが奏でてきたのは、いずれも優雅で穏やかな曲だった。
舞踏会に似合う、美しく柔らかな音楽ばかりだ。
しかしセイレナが選んだのは、そのいずれでもなかった。
前世でいうとゲームの戦闘曲として使われるような曲だった。
プロでも演奏を躊躇うと言われた、極限まで速く複雑な旋律。
左手は低音部で嵐のような連打を続け、右手は信じられない速さで鍵盤を駆け抜けながら、同時に細密な音を散りばめていく。
それは優雅ではなかった。
それは激しく、力強く、圧倒的だった。
まるで戦場の轟音のような低音と、その上を疾走する光のような高音が絡み合い、瞬く間に会場全体を音楽で満たした。
あまりの技巧に観客は、唖然となった。
誰も、このような音楽を聞いたことがなかった。
この世界の音楽は穏やかで優美なものが中心だ。
激しい旋律という概念自体が、まだ発展していない。
それがいきなり、嵐のような演奏として目の前に現れたのだ。
観客の口が、開いたままだ。
ただ、音楽だけがそこにあった。
演奏は一分を超えたあたりで、頂点に達した。
高速連打の嵐が最高潮に達し、そして突然、静かな音色になった。
だがそれは、少しの間だった。
そしてセイレナが、歌いだした。
それはオペラだった。
ピアノを弾きながら歌う。
この国に、そのような芸術はなかった。
楽器と歌を一人で演奏するなんて聞いたことがない。
前世のセイレナは、音楽学校で声楽も嗜んでいた。
趣味の域でしかないと思っていたが、一般人の域は超えていた。
オペラの声は広い範囲まで届いた。
ピアノの旋律が伴奏となり、歌声が物語を語る。
言葉はこの世界の言語に合わせて即興で歌い直したものだったが、その意味を知らなくても、音そのものに感情があった。
王族の席で、ディスティラン帝国の皇子ルドガルが前のめりになった。
「お兄様?」
隣の妹がと声をかけても、彼は気づかなかった。
会場に、光の粒が舞い始めた。
最初に気づいたのは、会場後方にいた学園の魔法教師だった。
「妖精?!」
ざわめきが起きた。
妖精が現れた。
ふわふわとした光の粒を纏い、キャッキャと声を上げながら、セイレナの周りに集まってくる。
そして――。
会場の空気が変わった。
金色の光が、壇上の上方に集まり始めた。
「精霊……!」
誰かが囁いた。
精霊が姿を現した。
精霊は美しく、光りを浴びている。
その存在は音楽に魅せられるように、セイレナの方へゆっくりと近づいてきた。
演奏はまだ続いていた。
セイレナは精霊が現れたことに気づいていたが、弾くのをやめなかった。
むしろ、より一層曲に集中した。
精霊は動きを止め、セイレナの演奏を聞き続けた。
そして別の精霊が現れた。
会場がどよめいた。
するとまた精霊が現れた。
会場が沸騰した。
曲が終わった。
最後の音が空気に溶けた後、セイレナは鍵盤から手を離した。
ゆっくりと立ち上がり、深々と礼をした。
一瞬の沈黙。
そして爆発的な拍手が起きた。
立ち上がる人、泣いている人、叫んでいる人達がいた。
妖精達は大はしゃぎでセイレナの周りを飛び回り、三人の精霊は静かにセイレナを見下ろしていた。
精霊の一人が、手をセイレナに向けた。
「私が加護を授けよう」
すると二人目の精霊が横から手を伸ばした。
「いや、私が授けるべきだ」
「いいえ、私が」と三人目。
精霊三人が、セイレナの前でそれぞれ「私が」と主張し始めた。
会場が静まり返った。
精霊同士が話し合いを始めた。
その光景に周囲は騒めいた。
やがて。
三柱の精霊が、顔を合わせた……ように見えた。
「……ならば、三者で与えるか」
「前代未聞では」
「これほどの者が現れたこと自体、前代未聞だろうが」
「もうやっちゃいましょう、えいっ!」
一人が光を放ち、残り二人の精霊が同時にセイレナに向けて光を放った。
光はセイレナの体に染み込むように溶けていった。
会場が息を呑んだ。
次の瞬間、誰かが叫んだ。
「精霊が三人!しかも三人全員から加護を!!」
それがきっかけとなり、会場は再び熱狂した。
壁際に立っていたカスティーナは、真っ青な顔で壇上を見つめていた。
両手が小刻みに震えていた。
(なんで……なんでよ……なんで、お姉が……)
カスティーナの周りにいた男子生徒達も、今は全員壇上のセイレナを見ていた。
誰もカスティーナを見ていなかった。




