ご指名
今日は、久しぶりに教室に入るだけのことに緊張している。
でも、正確には、昨日の夜、ペンケースに新しいペン軸を収納した辺りから、そわそわしてしまっていた。
別に、品質や値段はともかく、見た目は渋みのある地味な印象で、気づかれたところで、新しくしたというだけのことでしかない。
だけど、私にとっては、とてつもなく意味深い代物だから落ち着けない。
だいたい、これまでとの違いに気づいて私に声をかけるなんてアシュ達くらいしかしないけど、疎遠の関係を維持してままなわけだから心配する必要もなく、他に誰が気にするかという話だけれども、ちょっとくらいなら、なんか新しいの使ってるな、とかくらいは誰か気がついてくれてもいいのに、なんて思わなくもないところが落ち着けない原因だ。
他にも、数席前の位置で彼の視界に入りながら、勝手にイメージした色を手に授業を受けるのかと思ったら、まともに集中できるだろうかという若干の不安が掠めている辺りも、そわそわしてしまって仕方ない。
後は、億が一にも、当人に、あれ、俺が使ってるブックカバーと同じ色じゃ⋯⋯なんて目に留まったりした時には気味悪がられたりしないだろうかというスリル的ドキドキも少々加味されていたりする。
しかし、そんな杞憂は、放課後の指名によって、なんて些細なものだったかと思い知るはめになった。
ペン軸が目に入る度に口元が緩んでしまうのと格闘しつつ、なんとか本日全てのプログラムを終えた私は、妙な充実感を味わい、なんだったら、大胆にもペンケースやノートもこの色みで揃えてみようかなとまで浮き上がった気分で帰り支度をしていると、廊下から手招きされて首を傾げる。
「スミス、ちょっといいか」
目が合ったから呼ばれたものの、ちょっともよくないと思いつつも、隣国語の教師として担当してもらっている先生なので、嫌ですとも言えずに人の気が少ないところまで廊下を歩いた。
「それで、何か用ですか。放課後は、しばらく忙しいのですが」
これは嘘じゃない。
言うほど急ぎの用はないものの、父が亡くなった上に客人が居座っているせいで家計が微妙に先月と比較しづらく、これまで控えめだった領地の報告やら問題がチラホラとジィに寄せられるようになったことも忙しいことの内だ。
もちろん、色々と話し合った後は、ジィにまとめて母に伝えてもらっているけど、当然のように母の友人に話が筒抜けとなり、干渉してくるのではとの懸念は大いにあった。
ところが、今のところは毎日、買い物だのお散歩だのばかりにでかけ、何かあったら、これまでの担当に任せればよいというだけだったとか。
それはそれで心配になって、結局は私とジィで確認をして回っている。
「あー、それはすまないが、学校にいる間だけでいいなら問題はないな」
すっかり家のことを考えていたせいで、先生の話の内容が入ってきてなかった。
「えっと、私に何をさせたいのでしょうか」
「いや、それがな、俺が隣国に留学の時にお世話になった人が、来年度に仕事でこっちに出向になったんだが、子ども達がついてくるのに不安になってるから、来週の出張に合わせて、二・三日学校を見学させてほしいと相談されてな。それで、校長に掛け合って、授業参観みたいのをしつつ、休み時間に案内役の生徒をつけようと計画してるんだが、スミス、お願いできないか」
「なんで、私なんですか? もっと、隣国語の上手い人はいますよね」
「ああ、最低限の会話は向こうも大丈夫らしい。まあ、それを置いても、確かに隣国語の上手い奴は他にもいるが、さすがに、あんまりキャピキャピしてたりパンクに尖ってるのが案内するんじゃ、不安を増長させるかもしれないだろ」
先生は具体的に名前を挙げなかったけれども、私にも浮かぶクラスメイトの顔がある。
二人とも、すごくネイティブに話せるのだけれども、どっちも見た目とキャラが強い感がある。
「それでも、私よりも適任者はいると思いますけど」
「ああ、それもわかってる。けど、向こうが兄と妹で、兄の学年に合わせて見学したいって言うからには、気遣いのできる女子もいた方がいいだろ?」
「え?」
「だから、一人でやってくれとは言わんから安心してくれって話だ」
それは聞いていて理解した。
問題は、一緒に案内役を頼まれるという人物の心当たりにある。
「もう一人はジュリウス・ハウザーだ。そっちは快く引き受けてくれてるから、安心してくれていい」
いやいやいや!?
浮かんだままの否定の言葉を口にしなかっただけ、私は偉かったと思う。
正直、無理だ。
だって、まともに顔を合わせられる気がしない。
遠くから観察して、ひっそりと尊敬しつつ応援するくらいが丁度いい距離だというのに、そんな接近イベントは私には恐れ多い。
申し訳ないしかない。
断る一択。
ただ、相手が嫌だからとか、そういうのではないと伝わる言葉選びをしなければと一呼吸考えたところで、背後からやってきてしまった。
「先生、話はつきました?」
もう、あからさまに肩が跳ね上がった。
だって、声だけでわかる噂の当人がご登場なのだから。
「ハウザーか。丁度、概要だけ説明したところだ」
「だったら、詳しいことは俺が聞いているから、こっちで話し合っときますね」
「おお、頼むな。あ、でも、スミスは放課後忙しいらしいから、明日の昼休みにでもしてやってくれ」
そう言って、気楽にいなくなる教師の背中に、飛び蹴りをかましたくなった。
声を大にして訴えたい。
私は、まだ了承してないし、勝手に予定を入れないでほしい! と。
でも、こうなったからには断れない。
どんな理由で断ればいいのかわからない。
というか、どんな顔をしたらいいのかわからない。
「じゃあ、明日の昼休み、昼食べながらでもいいか? 食堂には俺が合わせるから」
さらりと誘われて、益々、どんな顔をしていいのかわからないけれども、頭はきちんと働いてくれて、昼休みに食堂で一緒なんて、用事があってのことだとしても、とんでもないことだと計算できた。
「あの、今日で、放課後で大丈夫です。そっちがいいならだけど⋯⋯」
顔なんか見れず、制服の色だけを意識して取り繕う。
「俺は大丈夫だけど、教室でいいか?」
提案されて、これまた必死に考える。
たぶん、残っている人がいないとも言い切れない。
「あの、隣国語の移動教室とか、どうでしょう」
確か、隣国語の小説とかの原本が置いてあるから、解放しているとか最初に説明された気がするけど、先生が誰も来てくれないとぼやいていたはず。
「ああ、いいかも。じゃあ⋯⋯」
「じゃあっ、私は寄るところがあるので、先に行っててください」
「あー、うん、わかった。また後で」
最後まで顔を見れずに、とにかく反対に歩き出す。
え、大丈夫、私??




