親友
「何、これ……」
最近の執務室には、私か執事くらいしか出入りしてない。
元々、重要な書類や父の個人的なものがあるので出入りは限られていたし、母はここでの思い出が少ないからと寄りつかない状態だ。
だから、たまたま、誰かがうっかりゴミ箱に落としただけだと思いたかったけど、わざわざ、くしゃりとシワをつけられてしまっているからには、悪意を感じないでいることは難しかった。
執事は手紙を書いていることを知っているし、賛成してくれていた。
だから、一瞬、母がやったのではないかと過ったけれど、そんな理由はないと、すぐに否定する。
ちょっと、疲れてるのかもしれない。
一応、執事に誰か掃除にでも出入りしたのか聞いてみようと廊下に出ると、その執事が忙しそうにしていた。
「どうかしたの?」
「あ、ガーティー様。その、お客様がいらしたので、相談しようと、お探ししているところでした」
「お客様? 弔問しにいらしたの?」
それにしては、執事の顔に浮かんでいる困惑が大きい。
「それが、奥様のお見舞いにいらした方で……」
「お母様の?」
遠くから嫁いできた母の知り合いはご近所ばかりで、すでに一通り、慰めの言葉をもらっているはずだ。
そもそも、父一筋みたいな人だから、婦人会みたいな集まりも最低限にしか行ってなかったと記憶している。
「とりあえず、挨拶はした方がいいわよね」
「ええ、まぁ」
なんとも曖昧な返しを横目に、廊下の窓で身だしなみをチェックしてから客間に向かったところで、執事から待ったがかかった。
「あの、実は、そのお客様は客間にはいらっしゃらないのです」
「じゃあ、もう帰ってしまったの?」
「違います。その、奥様の部屋にいらしているのです」
「え!? 本当に?」
信じられなくて何度か聞いてしまったけど、間違いなく、お客様は母の部屋にいるらしい。
夫婦の寝室が別になってるとはいえ、私が知る限り、母の部屋には家族と住み込みのメイドしか入ったことがないはずなのに。
「あなたは、そのお客様を知ってるの?」
「いいえ、見たことも聞いたこともありません」
「そう……」
なんとなく嫌な予感がしつつも、顔を合わせてみないことには始まらないと一人でドアを叩く。
中からは、この頃聞いた覚えのない笑い声がかすかに聞こえていた。
「どうぞ」
軽やかな声にドアを開けたら、母の隣に、いかにも貴婦人が従者らしき人を後ろに立たせて寛いでいて、一瞬、気後れしてしまう。
「あら、娘さん?」
ふわりと微笑む客人にハッとして、少しだけ慣れた挨拶をする。
「スミス家長女のガーティーと申します。母にお客様と聞いて挨拶に参りました」
「まあ、そう、貴方が……」
改めて見つめられた瞬間から、気配が変わったことに気がついた。
「随分と利発そうな娘さんね。でも、これからは安心して学生らしく過ごすといいわ。お母様のお手伝いは、大人の私がしますからね」
優しげな表情と言葉で蔑まれたことも、すぐにわかってしまった。
「お気遣いありがとうございます、お客様。ところで、お母様、執務室の鍵を渡してほしいのですが」
「ええ、いいわよ。執事に会えなかったのかしら?」
さっき使ったばかりのように懐から渡された鍵を確実に握りしめると、愛想を消してしっかりと忠告する。
「我が家の執務室には厳密な決まりがあると、私は父に習いました。それを破ってしまった人には預けておくことなどできませんから」
口調がきつくなるのは、私の判断が間違ってるとは思わないから。
でも、自分の母親にこんな言い方がよくないとも思っているから、手が震えて仕方ない。
「思った通り、生意気なのね」
ぼそりとしていても、母の客人の声は聞き取れてしまう。
「それは、子どものあなたが持っていていいものではないわ。返しなさい」
そう言って手を出してくるのは、なんのつもりで、どんな立場にいるからなのだろう。
「お客様の前で申し訳ありませんが、これは我が家の問題ですから」
きっぱり断って、何かを言われる前に母に向き直る。
「何か用があるなら、今後は執事を通してください。事情は私から伝えておきます」
ついでに、執事には必要で頼まれた場合でも鍵は手渡すことなく、母が執務室にいる間は必ずついていてくれるよう頼むつもりだ。
手間なのは決まりきっているけど、その場合、あの客人もついてきそうな気がする。
というか、当分の間、家に居着くように思えてならない。
母とどんな関係かも知らないけれど、これ以上、何かを勝手に捨てられたくないし、明日から学校が始まるので心配で仕方ない。
「可哀想に。酷い娘だわ。でも、これからは親友の私がいるわ。だから、安心して。あんな手紙も気にする必要はないのよ」
それは、疑惑を確定する言葉だった。
最低だと思いながらも、失礼な客人より、一緒にいただろう母が咎めもせずに、その手紙をゴミ箱に放置して構わなかったことの方に悔しさが傾く。
これ以上は何も聞きたくなくて、深く頭を下げてから何も見ないで部屋を後にした。
歩いて、歩いて、自分の部屋の前に着いてから、ようやく立ち止まったけど、冷えきった手足の震えは止められない。
「情けな……」
ああ、でも、母より先に執事に会って説明をしとかないと。
ついでに、客間の準備や、もてなしの指示も。
母のことだから、そこまでは気が回ってないだろうし、誰の指示もなくてはメイド達が先回るには限界があるだろう。
馬鹿みたいだと思いつつも、気づいたからには放っておけないのは性分なのか……。
なんとか気持ちを切り替えて最低限の指示を出し、いつも通りの時間に食堂に顔を出したら、最低は底なしなんだと思い知らされる。
そこには、あの失礼で大人げない母の親友とその従者らしき連れが席の中心に着いていて、一斉に視線を向けられた。
「お姉ちゃん、遅い」
「いつもお客様に失礼のないようにって言ってるクセに、自分はどうなんだよ」
すかさず、プラムとリルムから文句が飛んできて、驚いてしまう。
「気にしないで。二人と話していたから、待っていた気がしないもの」
優しげな客人の声で、やっと状況を理解した。
自分の居場所が、この家からすっかりなくなったことを。




