第17話 推しの南中
「公式ショップ堀田家、出張所、本日かぎりで開店でーす!」
文化祭の朝、八時二十分。校門の横に、折りたたみの長机が一つ出ている。
店長は、中学三年の菜々。机の上には、俺の写真がずらりと並んでいる。
「七五三は三十円。今朝の寝ぐせは、百円になりまーす」
「なんで最新がいちばん高いんだ」
「鮮度です」
いつ撮った? そういえば家を出る前、洗面所で何かが光った気はしていた。
寝ぐせの俺は、開店五分で売り切れた。
◇
二年四組の教室は、窓際の一か所をのぞいて、黒い暗幕で囲まれている。
窓際の、日の当たる一角。そこが推しの席で、つまり俺の持ち場だ。入口から俺までの通路は、総監修の設計どおり、一回だけ曲がっている。
曲がり角に立っているのは、野球部の坊主頭の大貫だ。総監修の配置図によれば、役目は「曲がり角係」。
「お客さん、まっすぐ行かないで。推しは、曲がった先です」
客を一人ずつ、腕で九十度曲げていく。案内というより、ほぼ守備だ。
「ねえ、堀田」
暗幕の向こうから、桜庭の声がした。
厨房の配膳口には、内側から『厨房』のうちわが貼りつけてある。顔の代わりに、うちわがしゃべっている。
「ピンクのノート、見なかった?」
「きのう、机の引き出しに入れといた」
俺は教室の後ろを指さした。机は全部、後ろに積み上げてある。桜庭の机は、たぶん、いちばん下だ。
「……片づけのときに取る。推しが、ファンのノートをしまってくれたんだ。今日の観測記録に書かなきゃ」
「そのノートは、いま机の山の底なんだけどな」
◇
十時、開店。
最初の客は、あの一年生だった。手帳を胸に抱えて、通路を設計どおり一回曲がり、曲がった先で俺を見つけて、ぴたりと止まる。
床には、水色のテープで線が引いてある。俺から、ちょうど三メートル。
『ときめきの助走』の、止まるところだ。
「ファンサセット、お願いします。指さし、三回で」
一回、二回、三回。俺が指さすたびに、一年生は手帳にチェックを入れる。
三つめのチェックを入れると、一年生は手帳を閉じて、深々と頭を下げる。
「予定、完了しました」
歯医者の予約と同じ欄の予定が、いま片づいた。
昼までに、予備のおしぼりは百本出た。「予備だから」と言って渡すたびに、客は両手で受け取って、ビニールのまま大事そうに持って帰る。
誰も使わない。おしぼりは、手をふくものだぞ?
昼すぎ、料理部のエプロンをつけた小森が、通路を全力で曲がってきた。
「料理部の焼き菓子、完売しました! 残りの時間は、ぜんぶ先輩に使います!」
「使い道を考え直せ」
「予備のおしぼり、おかわりで!」
おしぼりは、おかわりするものでもない。
小森は、おかわりのおしぼりをエプロンのポケットに三本しまうと、帰りぎわ、配膳口のうちわに向かってぺこりと頭を下げていく。
「総監修の設計、くやしいけど、満点です!」
◇
十三時五十八分。
久遠寺が、段ボール箱を抱えて入ってきた。箱の横には『生徒会備品』と書いてある。
中身は、日食グラスだった。水曜に、廊下で桜庭が配っていた、あの日食グラスだ。いつの間に、生徒会の物になったんだ?
「生徒会より、お知らせします」
久遠寺は、教室の真ん中で、議事を読み上げる声を出す。
「総監修の配置図によれば、本日十四時ちょうど、推しの南中が観測されます。備品の日食グラスを、貸し出します」
「南中って、太陽がいちばん高くなる時刻だろ。それなら昼前に終わってる」
「推しの南中です」
客席の全員が、日食グラスをかけた。真っ黒な眼鏡の客席が、そろって俺を見上げる。
十四時。
十一月の午後の日差しが、窓から斜めに差しこんで、推しの席にだけ、まっすぐ落ちた。
水色のネクタイが光って、背中がじんわりあたたかい。客席が少し低く作ってあるから、みんなが俺を、光ごと見上げる形になる。
『光の角度は午後二時基準』。黒板の配置図の、誰にも読めなかった一行の答えが、これだった。
「……後光?」
客席のどこかで、誰かがつぶやいた。
誰かが手を合わせ、つられて隣も合わせる。気づけば客席の半分が、日食グラスをかけたまま俺を拝んでいる。
曲がり角では、大貫まで日食グラスをかけて手を合わせていた。お前は止める側だろ?
俺はいつから、拝まれる側になったんだ?
「公式、撮影入りまーす!」
校門にいたはずの菜々が、スマホを構えて飛びこんできた。
「南中の推し、本日限定で売りまーす! 一枚三百円!」
「寝ぐせより高いのか」
「天体ショーなので!」
久遠寺は、黒板の隅に、きっちりした字で書きこんでいる。
『十四時〇〇分 推しの南中を観測。参拝者 二十一名』
とうとう、推しの南中が議事録にまで残された。
その光の中で、俺は、暗幕の配膳口を見た。
『厨房』のうちわが、こっちを向いている。あのうちわの向こうで、この光を設計した総監修が、紅茶を注いでいる。
ファンサセットの予約は、さっきの一年生で全部こなした。
だから、これは予約外だ。
俺は、配膳口のうちわに向かって、まっすぐ指をさした。
暗幕の向こうで、ティーカップが、がちゃんと鳴った。
『厨房』のうちわが配膳口からはがれて、ひらりと内側へ落ちる。
真っ黒な眼鏡の客席が、いっせいに配膳口を振り向く。推しの指さしの先に、誰がいるのか。参拝客二十一名が、総出で観測しようとしている。
暗幕の奥で、上履きの音が、全速力で遠ざかっていった。
◇
十六時、閉店。
最後の客を見送ってから、俺は配膳口の前に立った。うちわは、もう貼り直してある。今度は二枚重ねだった。『厨房』の上に、『見ないで』。
「見えたか、南中」
「……見えた。うちわの『房』の字の、点のところに穴をあけといたの。観測窓」
「うちわに穴をあけるな」
「推しがね、恒星から銀河になってた」
「どう違うんだ」
「恒星は、夜空で一個で光ってるでしょ。銀河は、たくさんの光が集まって、遠くでぼんやり光ってるの。今日の堀田、みんなの光を集めて、すごく遠くで、すごくきれいだった」
「銀河でも、俺は一個だぞ。分裂はしてない」
うちわの向こうで、桜庭が小さく笑った。
「予約外の指さし、総監修として満点でした。……これで、総監修の仕事は、ぜんぶおしまい」
「まだ片づけがあるだろ」
「そうだね。片づけまでが、文化祭だもんね」
観測窓の向こうで、何かが光った気がする。紅茶の湯気のせいだと思うことにした。
◇
片づけは、机を戻すところから始まった。
桜庭は、紅茶のカップを返しに家庭科室へ行っている。写真部の二人が記録写真を撮りにきて、ついでに机運びを手伝ってくれた。
いちばん下の机を持ち上げたとき、引き出しがすべって抜けた。
ピンクの表紙のノートが、床に落ちる。
『観測記録』。
拾ったのは、首からカメラを下げた写真部の一人だった。表紙をめくり、二、三ページ読んで、眉を上げる。
「これ、誰の?」
ノートが、窓の光にかざされる。
「堀田の行動が、全部書いてある。……日付と、天気つきで」
俺は、机のあいだを抜けて走った。
でも、俺の手が届くより先に、シャッターの軽い音が、二回続けて鳴った。




