第6話 モテたかったからです
取材の日のかなは、朝から別人である。
「おはようございます! 今日はよろしくお願いします。あ、前回もカメラ担当してくださった方ですよね。お子さん、もう歩きました?」
スタジオに入って三十秒で、カメラマンさんの顔がほころんだ。前回の取材は四か月前で、世間話に出たのは一回きりのはずだ。よく覚えているものだと思う。
というか、覚えているのではない。覚えてきているのだ。この人は取材の前の晩、現場に来る人の名前と、前に話したことを全部ノートに書き出して確認する。二十年以上付き合っている私が言うのだから間違いない。人見知りを努力で克服するとこうなる、という見本みたいな男である。
ちなみに三十分前、控え室での会話はこうだった。
「襟」
「はい」
以上だ。
今日の取材は音楽誌の巻頭で、四人のインタビューと撮影がある。私は出るほうと着せるほうの両方なので、朝から針山を腕に付けたまま走り回っていた。
撮影が終わって、インタビューが始まる。
聞き手はこの雑誌で十五年書いているベテランのライターさんで、うちのことはインディーズの頃から知っている。つまり、ごまかしが利かない相手だ。
「まずは再始動、おめでとうございます。第二楽章、第一楽章に比べて音がずいぶん変わりましたね」
「ありがとうございます! 変わりましたよね。でも僕らとしては、変えたというより、着替えた感じなんです」
かなが笑って答える。声がいつもより半音高い。
「中身は同じ四人なので。服が変わっても、心臓の位置は変わらないじゃないですか」
「うまいこと言いますね」
「昨日お風呂で考えました」
ライターさんが吹き出した。陽太が「こいつ風呂長いんすよ」と乗っかって、澄人さんが「一時間は出てきませんね」と静かに足す。場があたたまる。見事なものだ。
こういうとき、私はだいたい黙っている。喋るのは三人の仕事で、私の仕事は三人がちゃんと映ることだ。かなの襟は今日も完璧である。
「柏木さんに伺います。第二楽章、ギターがずいぶん難しくなっていませんか」
「そうなんすよ!聞いてくださいよ」
陽太が身を乗り出した。
「こいつ毎回、前の曲より上を目指すんで。デモが届くたびに、ギターの難易度が上がってくんです。頭の中で鳴った音をそのまま書いてくるから、指が六本ないと押さえられないコードが平気で入ってる」
「陽太なら弾けると思って」
「弾けねえよ! 弾けるようになるまで三日かかったわ!」
「三日で弾けてるじゃん」
「そういうとこだぞお前」
ライターさんが声を出して笑っている。澄人さんが「私の譜面も同じ目に遭っています」と静かに足して、もう一段湧いた。
笑い話である。笑い話なのだが、その三日間、陽太がほとんど寝ていなかったことを私は知っている。指先にテーピングを巻いたのは私だ。
それを笑って話せるところまで持っていくのが、この男のすごいところだと思う。
「休止中のお話も伺いたいのですが。久遠さんはソロで『借りもの』を出されました。全曲カバーでしたね。ご自分の曲を歌わなかったのは、なぜでしょう」
さすがファン歴十五年。一番訊かれたくないところに、まっすぐ来た。
かなは一拍も置かず答えた。
「自分の曲は、この四人で鳴らすものだと思ってるので」
にこっと笑う。
「一人のときに歌うのは、なんか浮気みたいで。だから人様の名曲をお借りしました。タイトルもそのまんまです」
「なるほど。律儀なんですね」
「愛が重いってよく言われます」
また笑いが起きた。
完璧な答えだ。たぶん、これも風呂で考えてきたのだろう。
ただ、私は知っている。あの二年、かなはコルレオの曲を一小節も書いていない。浮気がどうこう以前に、書けなかったのだ。それを「この四人で鳴らすものだから」に言い換えて、笑顔で差し出せるのが、この人のすごいところで、ちょっと怖いところでもある。
「では、根本的な質問を。これはファンも気になっている方が多いと思うんですが……。久遠さんは、そもそもなぜ曲を作り始めたんですか」
「あー」
かなが頭をかいた。照れたような、困ったような顔。これも上手い。
「モテたかったからです」
スタジオが、どっと沸いた。
「正直ですね!」
「小学生のとき、足も遅いし面白いことも言えなくて。何かひとつくらい、すごいって言われたかったんですよ。それで曲を作ったら……今です」
「モテました?」
「それが全然。おかげで曲作りに集中できて、曲ばっかり増えました」
「それは、聴く側としては助かりますね」
「結果オーライです」
かなは明るく笑った。
それから、ほんの一瞬だけ、こっちを見た。
……へえ。初耳である。
でも、言われてみれば納得がいった。小学生のかなは、女子と目も合わせられない子だった。話せる女子は私しかいなくて、その私にすら最初の曲を聴かせるのに一週間かかった。変わりたかったのだろう。
あの子なりに、必死に。
それにしても、誰にモテたかったのか。同じクラスの誰かだろうか。言ってくれれば、手紙の一通くらい届けてあげたのに。
そんなことを考えていたら、隣の陽太が小さく咳をした。澄人さんはお茶を飲んでいる。二人とも、なぜか私のほうを見ない。
「園原さんにも伺います」
急に名前を呼ばれて、背筋が伸びた。
「第二楽章から、衣装がかなり華やかになりましたね。一部で賛否があるようですが、あれはどなたの発案ですか?」
来たか、と思った。
賛否というのは優しい言い方で、実際には「スタイリストが自分の好みでバンドを変えた」と言われているらしい。らしい、というのは、私は自分の名前を検索しないからだ。
発案は、かなである。
再始動の前、かなは私に頭を下げた。もっと派手にしてほしい。照明に負けない色にしてほしい。自分の顔に自信がないから、服とメイクで立たせてほしい。そう言って。
かなの口が開きかけた。
「あれは僕が」
「私の趣味です」
言葉を、上からかぶせた。
「前からやってみたかったんです。ステージで映える色を使いたくて。三人には、わがままを聞いてもらいました」
ライターさんがメモを取る。
これでいい。バンドのリーダーが自分の見た目を気にしている、なんて書かれるより、スタイリストが派手好きだと書かれるほうが、ずっとましだ。かなが何年もかけて作った顔に、余計な傷をつけることはない。
隣を見た。かなは笑っていた。笑っていたのだが、一瞬だけ、笑顔の形のまま目が止まった。
真顔だ。口だけが笑っていて、目が完全に素に戻っている。瞬きひとつぶんの長さで、すぐに元の明るい顔に戻った。たぶん、ライターさんは気づいていない。
取材は和やかに終わった。
「ありがとうございました!記事、楽しみにしてます!」
かなは最後までライターさんを見送って、手を振って、扉が閉まった瞬間に電池が切れた。笑顔がすとんと落ちて、肩が下がって、その場にしゃがみ込む。
「おつかれ。水いる?」
「……なんで言った」
低い声だった。半音どころか、一オクターブ下がっている。
「何を」
「衣装。僕が頼んだのに」
「かなが言うことじゃないでしょ。あれは私が言っておけば済む話」
「済まない」
「済むよ。私は別に、何て書かれても平気だし」
本当のことだ。見ないのだから、平気も何もない。
かなはしゃがんだまま、こっちを見上げた。怒っているような、泣きそうなような、変な顔をしている。
なんでそんな顔をするのか、わからない。私はかなの作った顔を守っただけなのに。
「園原さん」
閉まったはずの扉がもう一度開いて、ライターさんが顔を出していた。忘れ物らしい。かなは一秒で立ち上がって、何事もなかったように笑っている。切り替えが早すぎて、ちょっと怖い。
「さっきは言いそびれたんですけど。先月VESPERを取材したとき、鳴海さんがあなたの衣装の話ばかりしていましたよ。一度お仕事をご一緒したいって、ずいぶん熱心に」
「はあ。それは、どうも」
初耳だった。この前から、妙にあの人の名前を聞く。
「恐れ入ります」
返事をしたのは、私ではなかった。
いつのまにか澄人さんが隣に立っていて、いつもの穏やかな笑顔でライターさんに頭を下げている。
「そういったお話は、ぜひ事務所に共有いただけますと幸いです。本日はありがとうございました。次の予定がございますので、こちらで失礼いたします」
丁寧だった。
不気味なくらい、丁寧だった。




