第31話 衣装とリハーサル
「ほい。今日のぶん」
十二月十一日、金曜日。今日は、通しリハーサルの日。
本番と同じ曲順で、同じ衣装を着て、頭から終わりまでリハーサルをやる。
アリーナの二日前に、大きなリハーサルスタジオを丸一日借りた。
会場に着いたとたんに、陽太から包みが飛んできた。
包みを開けると、出てきたのはおにぎり。土曜日から数えて、七個目の差し入れだった。
約束した日から、陽太は毎朝、手作りのおにぎりを差し入れしてくれている。一個目はこぶし二つ分ある大きなおにぎりで、塩がきつくて、梅干しの種も入っていた。
でも、三個目で種を取ってくれて食べやすくなり、五個目で大きさが普通の人間の食べものになった。
そこからさらに上達して、今日のは綺麗な三角形だ。少しいびつだけれど、ちゃんと角が三つある。
「上手になったね」
「だろ。ノートつけてっから」
「……おにぎりのノート?」
「おう。作るとき、塩の量とか握る回数とかメモしてる」
真面目だ。おにぎりにそこまでして向き合う人、初めて見たかもしれない。
「……陽太。僕のは」
かなが、横から低い声で言った。
「お前は糸音にもらってんだろ、毎日」
「それとこれは、別」
「別じゃねえよ。なんで俺がお前に握んなきゃなんねえんだ」
「私も食べてみたいな、陽太の握ったおにぎり。……はい、糸音ちゃん。栄養が偏るから、これもね」
そう言って澄人さんが差し出したのは、蓋付きの水筒。
「私からの差し入れ。味噌汁だよ。具は豆腐とわかめ。おにぎりだけでは、塩分とたんぱく質の釣り合いが気になるから」
「澄人さんまで何か持ってきてんのかよ!」
「陽太が毎朝渡しているのを見ていたら、つい」
「つい、で味噌汁作んなよ……」
朝から、にぎやかである。
私の両手には、いびつな三角と、水筒のふたに注がれた味噌汁があった。かなは、それを恨めしそうに見ている。
鞄から、かな用に握ってきた梅おにぎりを出して、口に押しこんだ。
静かになった。
突然の朝ごはんを食べ終わった私は、三人に衣装を着せた。
かなには、群青色の衣装を作った。深い夜の色のジャケットに、同じ色の細いパンツ。いつものように襟には芯を通して、立ててある。顔周りを明るくして、華やかな印象を出したいから。そして背中には、照明に反射する銀の糸で、小さな星を一つだけ刺した。
陽太は橙色の衣装。よく動き回る人なので、裾が風をはらむように生地を長めに取った。走ると、火が尾を引いているみたいに見えるはずだ。
澄人さんは、水色の衣装。袖は、手首の骨がぎりぎり隠れる丈にした。鍵盤に手を置いたとき、指がいちばん長く見えるからだ。
「……すげえな」
陽太が、鏡の前で腕を広げた。
「俺、強そうじゃね?」
「うん。強そうだね。派手な鳥みたいで」
「褒めてんのか、それ」
「もちろん、褒めてるよ」
澄人さんの言葉にツッコミながらも、嬉しそうな顔で鏡に映る自分を眺める陽太。
一方のかなは、鏡を見なかった。いつものことだ。かわりに、背中に手を回して、星のあたりを指でさわっていた。
「いと。これって」
「おまじない。深い意味はないよ」
「……うん」
コル・レオニスは、獅子座でいちばん明るい星の名前だ。一等星。その印を、かなの背中につけた。ちょっとした私の遊び心である。
「じゃあ、私も着替えてくる」
私は更衣室に入ると、扉を閉めた。緋色の衣装は、ハンガーに掛かっている。昨日の夜、最後の一針を入れた。
形は、今までのステージ衣装と変えていない。叩きやすさが第一だ。腕を振り上げても突っ張らない肩。ペダルを踏んでももたつかない足もと。
違うのは、色と袖。今回は華やかな赤い布を使い、後ろの席からもよく見えるようにした。袖はひじから先を薄い布に替えて動きが大きく見えるようにしてある。スティックを振り上げると、布が遅れてついてきて、照明の中で炎みたいに広がる演出だ。
私は衣装を着て、鏡を見た。
……派手だった。
自分で作っておいて何だが、ここまで派手なのは初めてなので、逃げ出したい気持ちになる。二十七年間、服は大体、黒と紺と灰色しか着てこなかった。そんな人間が、こうも華やかな服を纏うのはかなり勇気がいる。
深呼吸をして、ゆっくり目を閉じる。思い出すのは、「一番いいのはいとが着て」という、かなの言葉。
十二月十四日の朝まで、あと三日。行くにしても、残るにしても。このライブは絶対に成功させたいし、後悔したくない。
私はすくみそうになる恐怖を胸の中にギュッと押し込むと、更衣室の扉を思い切って開けた。
「お待たせ」
三人が振り向いて、止まった。まるで同じ時計の針が、停止したかのように。
最初に音を立てたのは、陽太のピックだった。指から落ちて、床の上で跳ねる。
「…………」
陽太の口が開いている。こちらを見たまま、閉じられる気配がない。
「……そんなに変?」
「へ」
「変なら直す。あと二日あるから」
「変じゃねぇ!」
裏返った声で、陽太は叫んだ。
「変じゃねえけど。お前、それ。それは――」
陽太は、両手で顔をごしごしこすった。耳が衣装より赤い。
「反則だろ……」
「え、何が?」
「知らねえよ!」
理不尽である。意味がわからない。
助けを求めるように澄人さんを見ると、こちらも息を止めていた。
「澄人さん。息」
「あ」
澄人さんは驚いたように声を上げてから、慌てて息を吸った。だが、上手くいかず咳きこむ。この人がここまで慌てる様子は、初めて見たかもしれない。
「ごめん、その」
何とか咳を止めた澄人さんは、姿勢を正し気まずそうな顔をする。採寸のときより、緊張しているように見えた。
「……きれいだ、と言っても、いいかな」
「……それ、許可って要ります?」
「何となく、要るかなって。君宛ての言葉なので、君が受け取るかどうか決めるべきかと」
「そんな気を遣わなくても……。褒めてもらえるのは、うれしいことですし」
「では、遠慮なく。きれいだよ。とっても」
良いとは言ったものの、真っ直ぐな瞳で、率直に褒められると、どんな顔をしていいか分からず困る。
顔が熱い。いつもより布が多いせいだと、自分に言い聞かせた。
逃げるようにかなの方へ視線を向けると、部屋の真ん中に立ったまま、私を見ていた。口が少し開いていて、目が見開かれたままだ。
「……かな?」
返事がない。
「かな。おーい」
あまりにも反応がないので、私はかなに向かって手を振った。そしたら、かなはハッとしたように動き出して、こちらに向かって、ものすごい勢いで歩いてきた。そして、私の手首をつかむ。
「ちょっと!」
ぐいぐいと引っ張られ抗議の声を上げる私を無視して、かなは私を姿見の前まで連れてきた。
自分も私の隣に並ぶと、鏡を見つめる。鏡嫌いのかなが、鏡を自分から見ていることに私は衝撃を受けた。
「……並ぶと、こうなるんだ」
小さい声でかなはそう言った。
群青色と赤色が並ぶと、お互いのコントラストが重なって、より一層艶やかに見える。
「一番いいの、着てくれた」
「うん。着たよ」
「これなら、後ろの席の人も見えるね」
「うん」
「僕からも、よく見えそう」
「いや、かなは前を向いて歌うから無理でしょう」
「……うん」
かなは、ふっと儚げな笑みを浮かべた。手首は、まだ掴まれたままだ。
ふと、鏡の中に、橙色と水色が映りこんできた。
「ずりぃ。俺も入れろ」
「私も」
濁りのない四つの色が並んだ。十二年間、後ろから背中を見てきて、それぞれにいちばん似合う色を探してきた。そして、ようやく見つかった。
自分の色だけ、最後まで決められなかったけど、この色に決めてみたら、最初から、ここが空いていたのだとわかった。
「……最高だな」
陽太が、鼻をすすった。
「なんか、めちゃくちゃいいバンドじゃん。この見た目」
「中身もね」
澄人さんが言った。
「強くなったよ、俺たちは」
※
リハーサルは、二時間半かかった。
全部で二十二曲。インディーズの頃の曲から最新の曲まで。
ラスト曲の『獅子の心臓』になり、ステージの照明が落ちる。かながピアノの前に座った。
私はスティックを置き、両手を膝に置いて、息を吸う。
「ワン、ツー、スリー、フォー」
声だけでカウントをすると、かながピアノを弾きだした。そして、そこに歌をのせる。
私は叩かない。座ったまま、三人の背中を見ている。
叩かないドラマーというのは、手持ちぶさたなものだと思っていた。でも、違った。叩かないと、聴こえてくるのだ。
キーボードを奏でる澄人さんの左手が、どれだけ丁寧にかなの声を支えているのか。
陽太のギターが、弾いていない小節でどう息をしているか。
かなが、言葉と言葉の間で、どこを向いているか。
曲の二番に差し掛かるところで、ようやくキックを入れた。心臓が、動き出すみたいに。
そこからサビに移り、曲の終盤へ。最後のサビにたどり着いたところで、かなが手を上げ演奏を止めた。
「ここまで」
「え、最後までやらないの?」
「ここから先は、本番で」
「通しリハの意味」
「ここは当日まで秘密にしたいから」
陽太と澄人さんが、そろって目を逸らした。壁際で宇佐美さんがにやにやしている。照明の担当さんまで、卓の陰で笑っていた。
「……本番で事故っても知らないよ」
「大丈夫。事故らない。いとは、四つ数えて、叩くだけでいい」
「それはいつもやってる」
「うん。いつもどおりで」
納得はいかないが、これ以上は教えてくれなそうなので仕方がない。
リハーサルが終わり、片付けをしていると社長の電話が鳴った。
画面を見て、社長の顔から、表情が全部すとんと落ちる。
「氷見からだ」
それだけ残して、社長は廊下に出ていった。五分くらいで戻ってきたが、顔は表情が抜けたままだった。
四人とも、手が止まっていた。コンペの結果が出るのは、今週だと聞いていたが――。
「社長」
私は言った。
「何かあったんですか」
社長はこちらを見ると、片方の眉を上げた。
「……ああ」
「もしかして、コンペの結果が……」
「……まぁな。結果は聞いた。でも、言わねぇ」
「なら、いつ……」
「十三日の夜。全部終わってからだ。いい話か悪い話かも、言わねぇ」
そこに、陽太が身を乗り出した。
「いや、そこは言えよ!気になって弾けねぇだろ!」
「うるせえ。勝ってたら浮かれる。負けてたら沈む。どっちの音も、十三日には要らねえんだ。あの日はあの日の音だけ出せ」
「顔でわかんねえかな……」
「わかんないよ」
私は言った。
「社長は、苦しいときも、うれしいときも、同じ顔で黙るから」
社長は、ふんと鼻を鳴らして、缶コーヒーを開けた。握りつぶしは、しなかった。それが何かの手がかりになるのかどうか、四人で顔を見合わせたが、誰にもわからなかった。
「そういえば、チケットは……」
澄人さんが訊いた。
「今のところ、八割三分です」
三好さんが、手帳を見て答えた。
「まだチケットは、二千枚ほど残っています」
二千枚……。届くかもしれないし、届かないかもしれない。
社長はチケットが売れ残ることに対して何も言わないが、私は目標まで届いてほしいと心底思った。
※
夜、部屋に帰って、緋色の衣装を祖母のミシンの横に掛けた。足踏みのミシンは、もう何年も動かしていない。仕事には電動のほうが早いからだ。それでも捨てずに、引っ越しのたびに連れてきた。
六つのとき、このミシンの前で、祖母の膝に座っていた。
幼稚園のおゆうぎ会の衣装を、祖母が縫ってくれたのを今でも鮮明に覚えている。私の分と、同じ組の、泣き虫の男の子の分を。あの子のは、襟の立った、小さな白いシャツだった。
出番の前、あの子は舞台の袖でしゃがみ込んで、動けなくなった。私が手を引いて、一緒に舞台へ連れ出した。
何の劇だったのかは、もうよく覚えていない。覚えているのは、あの子の手が冷たくて、震えていたことくらいだ。
ふと、スマホが震えた。通知が三件。
澄人さんからは、『おやすみ。あさっては、最高の日に』というメッセージが。
陽太からは、ボイスメッセージで「寝ろ。俺は寝ねぇ。……嘘。寝る」。
それから、もう一件。かなからだった。音のファイルではない。文字である。あの人が私に文字で何かを言ってくるのは、「ん」と「うん」以外では珍しい。
『あさって。カウント、おねがい』
画面をしばらく眺めて、私は返事を入力した。
『まかせて』
送信して、電気を消す。
緋色が暗がりの中で、まだ少し光って見えた。
いつもお読みいただき本当にありがとうございます!
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引き続き物語をお楽しみください◎




