第30話 きみの姿を見たいから
「園原さん。今回もカメラ、ドラムにしっかり寄りますからね。しっかり目線をお願いします」
十二月九日、水曜日。今日はアリーナライブの同時配信についての打ち合わせが、テレビ局で行われる日だった。
配信を担当するのは、先月の生放送と同じスタッフ。会議室に入ると、あのときのプロデューサーさんがいた。五十代くらいだろうか。声が大きく、いつも腕まくりをしているのが印象的な人だ。
打ち合わせ自体は、三十分で終わった。カメラの台数、切り替えの段取りなど、細かくステージの流れを詰めていった。『獅子の心臓』の曲の最後だけは、うちの照明さんの指示に全部従ってもらうことにした。中身は私にだけ伏せられているので、詳細は分からない。
帰り際、荷物をまとめていたら、プロデューサーさんが声をかけてきた。
「カメラ、寄せてくださるんですね。ありがとうございます。先月に引き続き……」
「いやぁ、久遠さんに、あそこまで頭を下げられちゃねぇ」
荷物をしまう私の手が止まった。
「……久遠、ですか?」
「あれ、聞いてない?」
プロデューサーさんは、しまった、という顔をした。それから、まあいいか、という顔になった。開き直りが早い。
「生放送の二日前に突然、一人で来たんですよ、うちの局に。マネージャーも連れずにね」
「かなが? 一人で?」
「驚くでしょう?……受付で二時間待ってたそうですよ。で、私の顔を見るなり、こう」
プロデューサーさんはそのまま腰を、九十度に折ってみせた。
「『ドラムを映してください!』って。最初、何の話かわからなくてね。テレビで見るあの人は、もっとこう、ぺらぺら喋るでしょう?……それが、つっかえつっかえで。顔もずっと下を向いたままだし」
プロデューサーさんは、腕を組んだ。
「『うちの音は、一番後ろから始まるんです。そこを映さないと、うちを映したことにならない』――そう言われてね。手が震えてましたよ、彼」
……言葉が出なかった。
てっきり、澄人さんだと思っていた。事務所の窓口として、テレビ局との交渉をやってくれているのは澄人さんだから。
かなは、知らない人と話すのが何より苦手である。
取材の前の晩に、相手の名前をノートを見て覚えてくる人だ。台詞を用意していかないと、初対面の人の前では一言も出てこない。外向きの顔は、楽屋で私が襟を直してスイッチを入れないとかぶれない。
そんな人が一人で。誰の力も借りずに……。
「いいリーダーをお持ちだ」
プロデューサーさんはそう言うと、私の肩をぽんと叩いて出ていった。
廊下に出ると、三人が待っていた。
陽太は自販機の前で小銭を数えていて、澄人さんは三好さんと予定の確認をしている。かなは、少し離れた壁にもたれて、床を見ていた。打ち合わせで外向きの顔を使ったので、半分電池切れみたいな表情をしていた。
「かな。ちょっと」
「ん」
「来て」
かなの袖をつかんで、引っぱった。
いつもと逆である。かなは目を丸くしながらも、されるがままでついてくる。陽太は「どうしたんだ?」と首を傾げ、澄人さんは黙ったままこちらを見ていた。
非常階段の扉を押して、踊り場に出る。
寒かった。コンクリートの壁と、鉄の手すり。窓がなくて、非常灯の緑の光だけが点いている。扉が、背中で閉まった。
「……いと?」
「生放送の前。ここに、一人で来たって」
かなが豆鉄砲を食らったような顔をした。
「……誰に聞いたの」
「プロデューサーさん」
「言わないでって、言ったのに……」
「私が聞いたら教えてくれた。てっきり、頼んでくれたのは澄人さんだと思ってた……」
「……澄人さんには言ってない。陽太にも」
「なんで?」
「言うほどのことじゃないから」
かなは、手すりのほうを向いた。
「かな、人と話すの苦手なのに……。なんで、自分で行ったの?いつもは澄人さんに頼んでいるのに」
「澄人さんが頼んだら、事務所のお願いになる」
かなは振り向かない。
「事務所のお願いだと断られる。前も、断られた。カメラ割りはこちらで決めますって」
「……前も?」
「収録のとき。いとが映らなかったやつ。あのあと、澄人さんが抗議した。丁寧に。……でも、だめだった」
――知らなかった。
あの収録のあと、三人の空気が冷えたのは覚えている。澄人さんがものすごく丁寧な声で、スタッフさんと話していたのも。
「だから、僕が行った。事務所としてではなく、曲を書いた本人が、自分の曲はこうだって言えば、また違うから……」
「怖くなかった?」
「怖かった」
即答だった。
「受付で待っている間、三回、帰ろうと思った……」
そうとうな勇気が必要だっただろうなと、かなの縮んだ背中を見て推測した。
「よく、ちゃんと伝えられたね。いつも台本がないと、喋れないのに……」
「……練習した」
かなは私の方へ身体を向けると、自分の上着のポケットに手を入れた。
そこから出てきたのは、小さいノートだった。黒い表紙の、手のひらくらいのやつ。取材の前の晩に、人の名前を書いているノートだ。
かなは、静かにページを開くとこっちに向ける。視線はノートに固定されたままだ。
非常灯の緑の光で、ぼんやりと映る文字を読む。
『ドラムを映してください』
『うちのバンドはドラムが大事なので』
『うちの音は一番うしろから』
線で消された文字が並ぶ中、丸がつけられた三つのセリフ。
その下には、同じ文が何度も何度も書いてあった。言い回しを少しずつ変えて。漢字を直して。順番を入れ替えて。
ページをめくった。次のページも、そうだった。その次も。
五ページ目が最後のようで、いちばん下に少し大きめの文字でメモ書きがあった。
『いとを、見てほしい』
息が、止まった。
「……これは、言ってない」
かなが、ノートを閉じた。
「言おうとして、やめた。プロデューサーさんに言うことじゃないから」
「かな」
「うん」
「ありがとう」
「お礼は、いらない」
やっと、視線がこっちを向いた。非常灯にかなの泣きぼくろが照らされる。
「いとのためじゃない。半分は、僕のため」
「……かなの?」
「僕が、見たかった」
何を……と訊く前に、かなは続けた。
「僕は十二年、ライブ中にいとが叩いてるところを、ちゃんと見たことがない」
「……え」
「前を向いて歌うから。いとは、ずっと後ろにいる。音は聞こえる。背中で全部わかる。でも、見たことはない」
言われてみれば、そうだった。
私は十二年、三人の背中を見てきた。三人は十二年間、本番中に私を最後まで見ていない。
当たり前のことだ。ボーカルは前を向く。ギターも、鍵盤も、客席のほうを向く。一番後ろの人間を振り返る暇は、本番中にはない。
「リハのときは、見てるでしょ?」
「リハのいとは、本番のいとと違う。本番のいとは、もっと」
言葉を探すように、かなの目が泳ぐ。
「……もっと、いい顔をしてる。表情は一瞬しか見れないけど、音でもそれがわかる」
かなは、ノートを握りしめていた。
「映ったら、録画できる。そしたら、いとの様子がもっと見られる。だから、頼みに行った」
「……じゃあ、あのときのやつも録画して見たの?」
「うん。見た」
「……どうだった?」
訊いてから、何を訊いているのだろう、と自分で思った。
かなは、少し黙った。そして、言った。
「四十回、見た」
「え、四十回?」
「いとが映った四小節だけ、何回も巻き戻して。……スティックが上がって、下りるところ。左足が動くところ。最後に、カメラのほうを見るところ」
一瞬だったとはいえ、四十回は見すぎでは……。
「かっこよかった」
まっすぐな視線で向けられた言葉に、私はくすぐったい気持ちになった。
この人の歌詞は、いつも遠回りをする。花とか、天気とか、遠い町の話をして、何のことなのか三回聴かないとわからない。それが、この人の照れ隠しだ。
それに慣れているため、こう率直に言われると心が落ち着かない。
「いとは叩いてるとき、常に口角が上がってる。楽しそうに。……知ってた?」
「……ううん。知らない」
「僕も、知らなかった。あそこまでイキイキとしているいとを、しっかりと見たことがなかった」
かなは、うつむいた。
「もったいないことをした」
何が、もったいないのか。訊けなかった。
顔が、熱かった。
ここは非常階段。暖房はなく、コンクリートの壁から常に冷気が伝わってくる。顔が熱いのを、部屋が暑いせいにはできなかった。
……徹夜続きで、風邪をひきかけているのだと思う。そうだと、思いたい。
「……寒いね、ここ」
「うん」
「戻ろうか」
「うん」
そう言って、二人とも動かなかった。
かなが、先に口を開いた。
「アリーナの」
「うん」
「最後の曲。隠してるって、言ったやつ」
「うん」
「あれも……半分は、僕のため」
「どういうこと?」
「秘密」
かなは謎の微笑を、唇に漂わせた。
「いとは、いつもどおり叩いて。四つ数えて。いつものように楽しく。それだけでいい」
「わかった」
かなは満足そうに頷くと、ノートを上着のポケットにしまった。しまう前に、最後のページのあたりを、親指で一回なぞった。
そして、扉に手をかけた瞬間、こちらを振り向いた。
「いと」
「何?」
「襟」
そういわれてかなの襟に視線を向けると、確かに倒れていた。
手を伸ばして、直そうとする。
いつもなら、ここでかなの背筋が伸びて、表情が切り替わる。でも、今日は切り替わらなかった。素のままの顔で、少しだけ目を細めて、私を見ていた。
「……今のは、スイッチじゃない」
「じゃあ、何?」
「直してほしかっただけ」
かなは扉を開けて、先に出ていった。
廊下の明かりの中で、陽太が「おせえよ、何してたんだよ」と言うのが扉越しに聞こえた。澄人さんの声が聞こえてこない。
私は非常階段に、もう少しだけ残った。
顔の熱が引くのを、待っていた。
なかなか、引かなかった。
いつもお読みいただきありがとうございます!
そしていいねや評価もありがとうございます!
またしても日間ランキング入り、うれしいです◎
引き続き物語をお楽しみください!




