幕間 三好千秋の業務メモ その五
十一月十八日(水) 合同リハーサル
この日、自分は失態を犯した。
リハーサルの待機中、社長からの電話に出るために、園原さんに断りを入れ、自分は席を外す。用件は、例の記者がまた事務所に電話してきた、という報告だった。
二分程度で済ませ、戻ろうとしたところで、テレビ局の人に呼び止められた。搬入の書類に不備がある、と。
慌てて確認しに行ったら、不備はなかった。その人は「あれ、おかしいな」と首をひねっていた。
ようやく戻ったとき、園原さんの手には紙コップがあって、鳴海さんの背中が遠ざかっていくところだった。
久遠さんは立ち位置の確認。柏木さんはアンプの件でスタッフとおり、雨宮さんはプロデューサーと話をしていた。あとで三人に訊いたら、どれも「わざわざ今でなくてもいい用事」だったそうだ。
――偶然ではない。
自分は、園原さんのそばを離れてはいけなかったと、後になって気づいた。
リハーサルが終わってすぐ、園原さんが「一人で帰ります」と出ていった。
重たい空気が漂う中で、久遠さんが上着をつかんで立ち上がる。
「行く」
「待て」
柏木さんが扉の前に立ち、久遠さんを止めた。
「俺が行く。場所、何となくわかるから」
「……僕もわかる。河川敷」
「だろうな。――でも、お前はだめだ」
「なんで」
「お前が行ったら、また撮られる」
久遠さんの手から、上着が落ちた。
柏木さんは、言ってから顔をしかめた。言いたくて言ったのではない、という表情だった。
「……悪い。でも、そうだろ。今あいつの隣にお前が写ったら、叩かれんのはあいつなんだよ」
久遠さんは、何も言い返さなかった。
「私は事務所に戻ります」
雨宮さんが言った。声にいつもの張りがない。
「帰ってくる場所に、誰かがいないと。……怒鳴られるために待つのは、初めてですが」
「……怒鳴んねえよ、あいつは」
柏木さんが言った。
「だからきついんだろ」
※※※
その後、テレビ局の廊下で機材の搬出を待っていたとき、角の向こうから声が聞こえてきた。
「早瀬さんの書面の下書き、見たわ。上の指示で直しが入ったやつ」
女の人の声だった。低く、抑えているような発し方だ。
「『榊冬華も、同じ立場の女性として園原さんを心から歓迎しております』。……あれ、誰が書かせたの」
「事実でしょう」
相手の声は、鳴海さんだった。
「あなたは彼女を気に入っている。メイク室で話していたと聞きました」
「……気に入ってるから、嫌なのよ」
何かを叩く音がした。壁だと思う。
「髪の色も、着る服も、喋ることも、全部決められてきた。それはいい。そういう契約だから。……でも、私の名前を、私に訊かずに使わないで!あの人を追い詰める紙に、私の名前を載せないで!」
「……冬華さんが声を荒らげるのを、初めて聞きました」
「……私も初めて出したわ」
少し、間があった。
「……仕方がないですね。上に言って消させます」
「当然よ」
「――ただ、方針は変わりませんよ。彼女はうちに来たほうが幸せになれる。……あそこにいたら、一生、誰かの後ろのままだ」
「朔」
呆れたように、榊さんの声が鳴海さんの名を呼んだ。
「……あなた、音は数えられるのに、人は数え間違えるのね」
「どういう意味です」
「あの人は、後ろの席だから輝けるのよ。見ればわかるじゃない」
足音が、遠ざかっていく。
機材ケースの陰で止めていた息を、ふうっと吐き出した。
自分の想像をはるかに超える人々が、コルレオの心臓を狙っているようだと思い知ったのだった。
十一月十九日(木)
朝七時半。給湯室に雨宮さんがいた。目の下が久遠さんみたいになっている。
雨宮さんはスマホを見つめたまま、何か打っては消してを繰り返していた。ようやく何かを送信したと思ったら、そのまましばらく両手でスマホを握ったまま動かない。
しばらくして、携帯が短く震えた。
雨宮さんは画面を見て、すぐに返信する。そして、そのまま片手で目を覆った。肩が一回だけ揺れたのがわかる。笑ったのか、そうでないのか、自分には見分けがつかなかった。
「三好さん」
自分が見ていたのは、ばれていたらしい。
「着任の日にお渡しした紙を、返していただけますか」
メンバーへの接し方について決まりごとをまとめた、あの紙のことである。自分は引き出しから紙を取り出すと、雨宮さんに渡した。
それを受け取った雨宮さんは、二つ、四つと小さく折ると、給湯室のごみ箱に入れた。
「今日から園原宛てのものは、すべて開けずに本人へ。連絡も、郵便も。私を通す必要はありません」
「……SNSの件は」
「それも本人に任せます。今は見ないと自分で決めているようですが……見たいと言ったら本人が望むように」
「はい」
「それと――」
雨宮さんが少し言いよどむ。視線が揺れ、言葉を探しているように見えた。
「あの紙を作ったのは私です。あなたに片棒を担がせました。申し訳ありませんでした」
頭を下げられた。
自分は、何と返せばいいのかわからなかった。
十一月二十日(金)
朝、雨宮さんに渡さず、ずっと持っていた園原さん宛の水色の封筒のことを雨宮さんに白状した。
雨宮さんは封筒を見て、差出人を見て、長く息を吐いた。
「ありがとう。君が渡してあげて」
「いえ、雨宮さんからのほうが……」
「いや……」
静かな声だった。
「私はもう、あの人に何かを手渡す資格をしばらく失くしたので」
それから、小さく付け足した。
「あなたが破ってくれて、よかった。私が持っていたら、きっと『時期を見て』いました。そして、その時期を間違えた」
夕方、自分は園原さんに封筒を渡した。
三十分くらいして、作業部屋から出てきた園原さんの目は赤かった。
「三好さん。この子に、返事を書いてもいいですか?」
「……もちろんです!便箋、ご用意しますね!」
「ありがとうございます。……あの、あと一つお願いが」
「はい、何でしょう?」
「アリーナの一番後ろの席って、ステージがどう見えるのか、確かめたいんです。会場の下見、入れてもらえませんか?」
「一番後ろ、ですか?」
「豆つぶだって書いてあったので……」
園原さんは鼻をすすって、少し笑った。
「豆つぶでも見える衣装って、どういうのかなと思って」
すっぱりと、憑き物が晴れたような園原さんの顔に、胸の奥が清々しくなる。
手帳に『会場下見』の文字を書く。ペンを持つ手が少し震えた。
そのあと机に戻ると、氷見さんから事務所宛てにメールが来ていた。
件名はこうだった。
「十一月二十五日 お打ち合わせのお願い(今後の体制について)」
――今後の体制。
嫌な言葉だと思った。
メモの最後に、大事な三行を付け足す。
・決まりごとの紙はなくなった
・園原さんの答えは分からない。でも、衣装は作っている
・二十五日。氷見さん。要注意
いつもお読みいただきありがとうございます!
いいね、評価もありがとうございます!
物語も折り返し。引き続きお楽しみください◎




