第8話 部室
十月二十一日、水曜日。今日はラジオの収録日である。
うちには、四人でやっているラジオ番組がひとつある。通称『コルレオの部室』。
週に一回、三十分。インディーズの頃にネットで始めたのがきっかけだが、デビューしてからラジオ局に拾ってもらいレギュラー化した。
休止の二年は止まっていたので、再始動してからの放送は、今日でまだ十八回目だ。
部室、という名前は陽太が付けた。「放課後に集まって、どうでもいい話をする場所」という意味らしい。実際、どうでもいい話しかしていない。
「三、二、一」
ガラスの向こうで、作家さんが指を折る。赤いランプが点いた。
「コル・レオニスの」
陽太が言って、三人で息を吸う。
「部室ー!」
「……部室」
かなだけ、半拍遅れた。
「はい今週も久遠が遅れました!十八週連続ですね笑みなさん、こんばんは!柏木陽太です!」
「久遠奏多です!……いや違うんですよ。僕、ドラムのカウントがないと入れない体なんです。ね、いと」
「園原糸音です。ラジオでわざわざドラムのカウントはしません。視聴者さんの耳が壊れちゃうでしょ。爆音すぎて」
「雨宮澄人です。そんなにカウントが必要なら、来週は私が背中を叩いて合図しましょうか」
「痛いのはやだ」
ブースの中のかなは、外向きの顔をしていた。声は半音高いし、明るくよく笑う。
ただ、取材のときの顔とは少し違って、一分の隙もない、覚えてきたような笑顔ではなかった。
なんというか、こっちはもうちょっと雑である。語尾が伸びるし、机の下で足がぶらぶらしている。
四人しかいないブースは、かなにとって、外と内のちょうど真ん中くらいなのかもしれない。
「じゃ、メールいきまーす。ラジオネーム、三毛猫の右足さん。『四人の出会いを教えてください。雑誌で読んだのですが、もっと詳しく知りたいです』」
「詳しく、ねえ……」
陽太がにやにやしだした。
「まず俺と奏多と糸音が中学一緒で。音楽で意気投合して、放課後、河川敷で練習をはじめたんですよ。音出しても怒られないとこ、そこしかなくて」
「……あれは騒音でしたね」
「澄人さん、いなかったでしょ」
陽太のツッコミに、澄人さんはいい笑顔を浮かべた。
「のちに録音を聴かされたのでね」
「は?!あれ、聴かせたの誰だよ!」
「僕」
「お前か、かな!」
私は口をはさんだ。
「編成がひどかったんです。陽太がギターで、かなが鍵盤ハーモニカで」
「そ、鍵盤ハーモニカ」
澄人さんが、噛みしめるように繰り返した。
「家のピアノ、河川敷まで持っていけないじゃないですか」
「で、糸音がドラムの代わりに、古雑誌を積んだやつをスティックで叩いてた」
「分厚い週刊の漫画雑誌が、一番いい音しました」
「厚みがちょうどいいんだよな」
「それ、雑誌の方に怒られませんか」
ガラスの向こうで、作家さんが声を出さずに笑っている。三好さんは、手帳を抱えて目を輝かせていた。
あの人は仕事中、ときどきファンの顔になる。本人は隠せているつもりらしいけど、意外と丸わかりだ。
「で、高一のときにちゃんとスタジオ借りようってなって。そこの受付にいたのが」
「私です。大学生のアルバイトでした」
澄人さんが、ゆっくり言った。
「毎週同じ三人組が、一番安い部屋を二時間、小銭で払いに来るんです。百円玉と十円玉を、カウンターに積んで」
「貧乏だったんで」
「足りない日がありましてね。五十円とか、八十円とか」
「え」
三人の声がそろった。
「足りてなかったの?」
「月に二回くらいは。私が足しておきました」
「初耳なんだけど!」
「十二年ぶんの請求書、お出ししましょうか。利息をつけて」
「やめて!今うち金ないから!」
陽太が叫んで、ブースじゅうが笑った。かなは机に突っ伏して肩を震わせている。あれは外向きの笑いではない。本物のほうだ。
しかし、知らなかった。澄人さんが、そんなことをしてくれていたなんて。
この人は昔から、黙ってそういうことをする。いつも私たちを、知らないところで守ってくれている人なのだ。
「はい、じゃあコーナーいきます。『メンバー理解度クイズ』ー!」
陽太が、わざとらしい拍手をした。
「毎週一人を選んで、そいつのことを残りの三人がどれだけ知ってるか試すやつです。今週の標的は、園原糸音」
「標的って言わないで」
「第一問。園原糸音の好きなおにぎりの具は」
「梅」
「梅ですね」
「梅。種は先に取る」
三人同時に答えた。フリップに書く時間すら使っていない。
「……正解」
「第二問。園原糸音が無意識にスティックを回しはじめるのは、どんなとき」
「腹減ってるとき」
「空腹時ですね」
「おなかすいてるとき。左手で、逆回し」
「そんな癖ないよ」
「あります」
作家さんが、ガラスの向こうでうなずいた。どうやら、本当にあるらしい。
「第三問。園原糸音が、この十二年でいちばん怒った出来事は」
三人がそろって陽太を見た。陽太も自分を指さしている。
「俺が衣装のまま焼肉に行ったとき」
「あれは怒ります。白のジャケットだったんですよ。しかも作るのにかなり苦労した……。そこに脂が点々と」
「三日、口をきいてもらえなかった」
「僕と澄人さんも、とばっちりで一日きいてもらえなかった」
「止めなかったので、同罪です」
「厳しい……」
「最終問題。園原糸音の足のサイズは」
これはフリップに書く形式だった。四人で一斉に出す。
陽太、23.5。澄人さん、23.5。かな、23.5。右足だけ少し大きい、という注釈つき。
で、私の答えは23。
「……あれ?」
「糸音、お前、23.5だろ」
「いや、23だよ。自分の足だし間違えるわけない」
「先月、衣装用の靴を注文したとき、23.5と書いていましたよ」
澄人さんに言われて、思い出した。去年から、ペダルを踏むときに爪先が当たるので、半サイズ上げたのだった。
「……23.5でした」
「本人不正解ー!」
陽太が机を叩いて笑っている。
なんでみんな私より、私に詳しいのか。しかも、かなに至っては右足だけ大きいという補足つき。自分でもそれは知らなかった。あとで測ってみたら、本当に2ミリ大きかった。
「いやー、今週も全問正解でした。来週の標的は久遠です」
「やだ」
「やだじゃない。お前のは難しいんだよ、好きな食べ物『炭酸』とか書くから」
「食べ物だもん」
「「「飲み物です」」」
陽太と澄人さんと私の声がそろった。かなはきょとんと目を丸くしている。
「……じゃ、気を取り直して最後のメール!これは糸音宛てだな」
陽太が紙をめくった。めくる前に一枚、紙を裏返して脇に置いたのが見えた。読みにくい字だったのだろう。陽太はときどきそうやって、一枚飛ばす。
「ラジオネーム、ましろさん。高校二年生。『こんばんは。吹奏楽部で打楽器をやっています。手が小さくて、学校のスティックが太く感じます。糸音さんは、スティックをどうやって選んでいますか』」
「あ、ましろさん。いつもありがとう」
月に一度くらい、私宛てに小さな質問をくれる子だ。先月はボタンの付け方だった。
「えっと。私も手が小さいので、最初は細めの、先が丸いのを使ってました。太さより、握ったときに親指と人差し指が自然に閉じるかどうかで選ぶといいです。お店で、十本くらい握らせてもらってください。恥ずかしがらずに」
「糸音、楽器屋で一時間握ってたもんな」
「いや、二時間です」
「店員さんが椅子を出してくれていましたね」
「みんな途中から眠ってたよね。待ちくたびれて」
懐かしいなぁと思いながら、少し迷って、言葉をつけ足した。
「打楽器って、一番後ろじゃないですか。前の人たちに隠れて、お客さんからは見えにくいし。でも、あそこは全員の背中が見える特等席なんです。誰が緊張してるとか、誰が今日は調子いいとか、後ろからだと全部わかります。だから、いい席だなって、私は思ってます」
言ってから、ちょっと恥ずかしくなった。
「出た。糸音の名言」
「茶化さないで」
「僕、その背中です」
かなが、にこにこして手を挙げた。
「見られてると思うと、歌うとき安心するんですよね。後ろに、いとがいるなって」
「私は、姿勢がよくなります」
「俺は、さぼれねえなって思う」
「さぼらないでください」
笑い声の中で、エンディングの曲が流れはじめた。
「というわけで、今週はここまで。最後に告知!十二月十三日のアリーナ公演、今週土曜の十時から一般発売です。ファンのみんな、二年間、お待たせました。今度こそ、やります!」
「ぜひ見に来てねー!」
陽太の声が、最後だけ少し真面目になった。
「お相手は、柏木陽太と」
「久遠奏多と」
「雨宮澄人と」
「一番後ろから、園原糸音でした」
「また来週ー!」
赤いランプが消えた。
とたんに、かなが机に溶ける。額をつけて、動かない。三十分の電池が切れたのだ。
私は黙って、炭酸の缶を開けて頬に当ててやった。冷たさで、かなが薄目を開ける。
「……いと、五十円」
「うん。私もびっくりした」
「返さなきゃ」
「利息つけてね」
「何で返せばいい」
「曲でいいんじゃない」
「わかった」
わかったらしい。多分、かなは本当に書くだろう。
陽太は作家さんと来週の打ち合わせをしていて、澄人さんは全員の紙コップを集めて捨てている。三好さんがガラスの向こうで、両手で顔をあおいでいた。
さっき陽太が裏返した一枚は、いつのまにか机の上からなくなっていた。
ーーまあ、いいか。
四人でいると、大体いつもこんな感じである。河川敷の古雑誌バンドの頃から、十二年間。やっていることは、あまり変わっていない。
変わらなければいい、と思った。




