幕間 三好千秋の業務メモ その二
十月十九日、月曜日。
音楽誌から、インタビューの原稿確認が届いた。
マネージャーの仕事として、確認するのは普通のことだ。発売前に事実の間違いがないかを確かめて、直してほしいところがあれば伝える。
ただ一つ、普通ではないことがこの事務所にはある。
「三好さん。原稿、会議室に四部お願いします。園原の分は要りません」
雨宮さんは、いつもの穏やかな声でそう言った。
四部。久遠さん、柏木さん、雨宮さん、それから自分。
園原さんは、今日は番組衣装の直しで作業部屋にこもっている。呼べば来られる距離だ。呼ばないのだな、と思った。
会議室に三人がそろって、原稿が配られた。
最初に口を開いたのは、久遠さんだった。
「ここ、直してください」
自分は、まだこの声に慣れない。
テレビや取材で聞く久遠さんの声は、明るくて、よく通って、聞いている人を笑顔にする声だ。自分が中学生のころから聞いてきたのも、その声である。
今、目の前の久遠さんは、ほとんど唇を動かさずに喋る。低くて、平らで、必要なことしか言わない。
指が置かれていたのは、園原さんの発言だった。
――衣装は私の趣味です。前からやってみたかったんです。
「僕が頼んだって、書いてもらって」
「それ出したら、糸音が嘘ついたことになるだろ」
柏木さんが、すぐに返した。笑っていなかった。
「かばって嘘ついたスタイリスト、って書かれんの。今よりひどくなる」
「じゃあ、このまま出すの」
「出したくねえよ、俺だって」
会議室が静かになった。
自分は原稿に目を落とした。同じページの上のほうに、太字の小見出しがある。
――曲を作り始めた理由は「モテたかったから」。
読み返して、指が止まった。
あの日、自分は部屋の隅で取材に立ち会っていた。久遠さんが笑ってこれを言ったあと、一瞬だけ視線を動かしたのを覚えている。
自分は中学生のころからのファンだ。久遠さんの最初の曲が、小学生のときに作られたことを知っている。インディーズ時代のライブで、本人が話していたからだ。最初に聴かせた相手は幼なじみだった、と。
幼なじみ。
……いや。考えるのは、業務の範囲外だ。
「では、こうしましょう」
雨宮さんが、赤いペンを取った。
「『私の趣味です』のあとに、久遠の発言を一行足していただきます。『わがままなんかじゃないです。僕は今の衣装が一番好きなので』。取材の場で実際に言ったことにしていただけるよう、私から編集部にお願いします」
「言ってない」
「言おうとして、遮られたでしょう。大意は合っています」
久遠さんは、しばらく原稿を見ていた。
「……好きです、じゃ足りない」
「足りない分は、曲でどうぞ」
柏木さんが、ふっと息を吐いて笑った。久遠さんは笑わなかったけれど、ペンを受け取って、自分でその一行を書き入れた。字が小さくて、右上がりだった。
「糸音には、俺から言っとくわ。原稿、問題なかったって」
「お願いします」
それで、決まった。
園原さんは、自分の発言がどう直されたのかを、発売日まで知らない。
三人とも、園原さんを守ろうとしている。それは本当だと思う。見ていればわかる。
でも、あの人のいない部屋で、あの人のことが決まっていく。
自分はそれを、四部の原稿のうちの一部を持って、黙って見ている。
席に戻ってから、事務所の共有メールを開いた。編集部に返信するためだ。
受信箱を下にたどっていて、手が止まった。一通、「対応済み」の印が付いたメールがある。
差出人は、アストレア。VESPERの事務所だ。
件名は、こうだった。
『園原糸音様への衣装制作ご依頼の件(再々送)』
再々送。つまり、三通目ということだ。
対応済みにしたのは、雨宮さんだった。日付は、先週の金曜日。あの取材の日の夜である。自分は画面を閉じた。
決まりごとの紙には、こう書いてあった。園原宛ての連絡は、すべて雨宮を通すこと。
通したあと、その連絡がどこへ行くのかは書いていなかった。




