第3話 隣国ギルドの洗礼と実力行使
本日は2話更新します
ガルディニア帝国の国境関所を越えてから、さらに馬車に揺られること半日。
視界の先に、切り立った黒灰色のカルスト地形の山肌を背負う、重厚な石造りの城壁都市が見えてきた。
ガルディニア帝国直轄・迷宮都市『ルクスヴァルト』。
大陸全土でも屈指の危険度を誇る未踏迷宮『常闇の螺旋穴』の入り口を抱える、帝国最大の冒険者拠点である。
門をくぐると、王国とは明らかに異なる独特の熱気と血生臭さが鼻を突いた。
すれ違う者たちのほとんどが、全身に返り血や泥の染みついた重装備を身に纏い、腰や背中に大ぶりの戦斧や槍を吊るしている。一歩間違えれば命を落とす死線潜りの連中特有の、ぎらついた視線が交錯していた。
「……相変わらず、空気が殺伐としてやがるな」
馬車から荷物を降ろしながら、カインが外套の襟元を正して周囲を警戒するように見回した。
だが、その隣で伸びをしているリーゼロッテの表情には、緊張感の欠片もない。
「そうかしら? 活気があって素敵な街じゃない。ほら、見てカイン。屋台で売られている香草、うちの王国じゃ見かけない『黒曜パセリ』よ。後で買い込んで乾燥標本にしましょう」
「……お前のその、どこに行っても『観光地の道の駅に来た主婦』みたいなノリ、どうにかならねえのか」
「失礼ね。研究者にとって、未知の植生はすべて至宝なのよ」
リーゼロッテは愛用の大剣をしっかりと背中に背負い直し、軽快な足取りで都市の中央にそびえ立つ巨大な石造りの建物――『冒険者ギルド・ルクスヴァルト支部』の重厚なオーク材の扉を押した。
ギィィ……と重い音を立てて開いたギルドの大広間。
瞬間、数百人はいるであろう屈強な冒険者たちの喧騒が、嘘のようにピタリと止まった。
集まった視線が、一斉にリーゼロッテへと集中する。
動きやすい麻のチュニックに、しなやかな仔鹿革のワークパンツ。
機能的ではあるものの、生地の上質さと仕立ての良さは隠しようがない。何より、泥と硝煙に塗れた荒くれ者たちの中で、透き通るような白磁の肌と、艶やかな深緑の長い黒髪はあまりにも浮いていた。
どう見ても、『迷宮深層に挑む討伐者』ではなく『世間知らずの貴族令嬢』そのものだったからだ。
静寂を破ったのは、酒場スペースの最前列でジョッキを傾けていた、大柄な男たちの下卑た笑い声だった。
「――ぶはっ! おいおいおい、見ろよ兄弟! 迷宮都市にゃ珍しい、上等な『お人形さん』のお出ましだぜ!」
立ち上がったのは、熊のような体躯に刺青を彫り込んだ重戦士だった。
胸元には、一流の証であるギルドの『銀等級(Aランク相当)』のメダルが光っている。取り巻きの冒険者数名が、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながらリーゼロッテを取り囲むように歩み出てきた。
「お嬢ちゃん、迷子か? ここはな、お前みたいな王国の温室育ちの公爵令嬢が、ドレスの裾を気にしながらピクニックに来るようなお花畑じゃねえんだよ」
「……」
「隣国で婚約破棄された腹いせに、家出でもしてきたのかぁ? あぁん? 可愛い顔して、背中にでっけえナマクラ背負っちゃってよぉ! 重くて転んじまう前に、俺たちが優しく『手解き』してやろうか!」
ドッと下品な爆笑がギルドホールに響き渡る。
他国の新参者を舐めてかかる、冒険者特有の悪質な洗礼。
カインが眉をひそめ、懐の査察手帳に手を伸ばしかけた――その時だった。
リーゼロッテは。
男たちの顔を、ただの一秒たりとも視界に入れなかった。
「……あの、すみません。そこ、換金窓口への動線を塞いでいるので一歩下がっていただけます?」
完全に『邪魔な障害物』を見るような、無機質で平熱の声。
「あぁ!? てめえ、誰に口を利いて――」
怒り狂った大男が、リーゼロッテの細い肩を掴もうと太い腕を伸ばした瞬間。
トン。
リーゼロッテは、男の踏み込んだ前足の横に、自らの革靴の爪先をわずか数ミリ滑り込ませた。
それと同時に、身体強化の魔力を指先だけに極小循環させ、男の手首の内側――神経が密集する急所を、人差し指と中指の二本で軽く弾いた。
「ぐあっ!?」
大男の巨体が、まるで糸の切れた操り人形のように不格好に宙を舞い、石畳の床へと激突した。
ドッシャァァァンッ! と凄まじい地響きが轟き、酒場の木製テーブルが粉々に砕け散る。
「が……ッ!? な、何が……!?」
床に這いつくばったまま、息を詰まらせて呻く大男。
取り巻きの連中が、何が起きたのか理解できずに口をあんぐりと開けて固まった。
だが、リーゼロッテは倒れた男を一瞥すらせず、背中の異空間魔導カバンのベルトを緩めると、そのまま正面の換金窓口へとスタスタと進み出た。
受付の職員が、恐怖で顔を引きつらせながら身を縮こまらせる。
「あ、あの、ええと……!?」
「こんにちは。街道沿いで馬車の通行を妨害していた害獣を駆除したのですけれど、こちらで換金手続きは可能かしら?」
「は、はい! 討伐証明部位をお出しくだされば……!」
「ええ、よろしくてよ。少々大きいので、床に置きますね」
リーゼロッテが魔導カバンの口を広げ、無造作にひっくり返した。
ズゥゥゥゥゥンッッ!!
重厚な石造りの床が軋み、凄まじい地響きとともに受付カウンターの前に転がり出たのは――。
全長四メートルを優に超える、黒紫色の甲殻に覆われた巨大な三頭蛇の首。
傷口からは、未だに猛烈な腐食性の紫煙が立ち上っていた。
「……ひっ!?」
受付職員の喉から、引きつった悲鳴が漏れた。
周囲で様子を窺っていた冒険者たちが、一斉に目を見開き、総毛立ったように後ずさる。
「こ、これ……! 国境山脈の断崖に巣食う、指名手配Sランク魔獣――『黒蝕のヒュドラ』の頭部首輪切り……!?」
「ええ。街道を塞いで馬車の運行ダイヤを狂わせそうだったから、窓から首だけ跳ねておいたわ。毒袋と甲殻は無傷だから、最高級の素材として引き取れるはずよ」
リーゼロッテは作業用の革手袋をパチンと外し、至って事務的な口調で告げた。
馬車の窓から。
首輪切り。
まるで「飛んでいたハエを叩いた」とでも言わんばかりの平然としたトーンに、先ほどまで嘲笑していた取り巻きの冒険者たちは完全に失禁寸前で震え上がっていた。
そこへ、背後から乾いた足音と共に深い溜め息が近づいてきた。
「……おいおい、リーゼ。馬車の中で『騒ぎになるから放置しろ』ってあれほど言ったのに、本当に受付に出しやがったのか」
やれやれと首を振りながら割り込んできたカインが、外套の内ポケットから真鍮とミスリルの装飾が施された身分証と、紫の封蝋が押された公文書を取り出し、窓口の上にパシンと叩きつけた。
「識別番号九〇四。冒険者ギルド中央本部直属・特務監察官カイン・レドフォードだ。支部長を出せ。国際特務査察令に基づき、『常闇の螺旋穴』への最深層・特別進入認可の手続きを行う」
「ち、中央本部の特務監察官閣下ァァァッ!?」
受付職員が椅子から転げ落ちそうになりながら直立不動になった。
冒険者ギルド中央本部の特務監察官――。
それは、各国のギルド支部の不正や規約違反を摘発し、必要とあらば支部長の首すら一瞬で飛ばす権限を持つ、全冒険者の頂点に位置する超法規的存在である。
「し、少々お待ちを! ただいま支部長をお呼びいたしますッ!」
職員が脱兎の勢いで奥の執務室へと駆け込んでいく。
ギルドホール内には、もはや物音一つ響いていなかった。
床に転がっていた大男は、痛む腹を押さえながら、脂汗をダラダラと流して壁際へと後ずさっている。
彼らが嘲笑していたのは、ただの貴族令嬢などではなかった。
Sランク魔獣を片手間で解体する規格外の化け物と、大陸全土を牛耳るギルド最高幹部という、この世で最も喧嘩を売ってはならない最悪の組み合わせだったのだ。
数分後。
奥から転がるように現れた初老の支部長の手によって、震える手で『常闇の螺旋穴・最深層特別立ち入り認可証』への捺印が行われた。
「か、カイン監察官殿……! 認可証はすべて完了いたしました! し、しかし、本当に地下百層まで潜られるのですか……!? あそこは過去、帝国の精鋭部隊が三度挑んで、いずれも壊滅した絶対の死地ですぞ……!」
「問題ねえよ。俺の隣にいるこの女が、その『帝国の精鋭部隊』の百倍タフだからな」
カインは冷ややかに言い放つと、発行されたミスリル製のプレートを受け取った。
「行くぞ、リーゼ。準備はいいな?」
「ええ、もちろんよ。換金された大金貨で、さっきの『黒曜パセリ』も全部買い占めてきたわ。これで今晩のシチューの下準備は完璧ね」
「……お前、これから死地に潜るって自覚、本当に一ミリもねえな」
リーゼロッテは快活に笑いながら、愛剣の柄に手を添えた。
背後に残された冒険者たちの畏怖と戦慄の視線を背に受けながら、ふたりは堂々たる足取りで、未踏の迷宮への入り口へと歩みを進めるのだった。




