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第2話 国境越えと、残された王宮の勘違い


 翌朝、東の空が白み始めたばかりの時刻。

 王都から西へと延びる石畳の街道を、二頭立ての高速魔導馬車が軽快な車輪の音を響かせて駆け抜けていた。


 車内は、公爵令嬢が乗る客車とは思えないほど実用一辺倒の荷物で埋め尽くされている。

 座席の半分を占領しているのは、頑丈な革ベルトで固定された木箱の山だ。

 乾燥させた保存食、携帯用コンロ、各種ポーションの試作瓶。そして座席の足元には、黒光りするミスリル大剣がいつでも抜けるよう布に包まれて横たえられていた。


「……なぁ、リーゼ。お前、本当にそれ全部自分で背負って潜る気か?」


 向かいの席で、カインが呆れたように木箱の山を見つめていた。

 身に纏っているのは昨日と同じく、ギルド中央本部の特務監察官外套。左耳の通信ピアスが、魔力の微弱な脈動を拾って時折淡く光っている。


「失礼ね。これでも厳選に厳選を重ねて、重量を普段の三割減に抑えたのよ? 空間拡張の魔導カバンに入り切らない大型の採取器具は、現地で組み立てる予定だし」


「三割減でこれかよ。普通の冒険者パーティーなら、ポーターを三人は雇う荷物量だぞ」


「他人に私の採取器具を触らせたくないもの。ミリ単位の狂いで抽出効率が落ちたら目も当てられないわ」


 リーゼロッテは窓の外を流れる緑の景色を眺めながら、事も無げに返した。

 動きやすい麻のチュニックに革のベスト。髪は邪魔にならないよう後頭部でひとまとめに編み込んである。

 完全に『これから危険地帯へ突入する討伐者』の姿だった。


「まあ、荷物の重量管理はお前の勝手だがな。……一応、監察官として釘を刺しておくぞ。隣国ガルディニア帝国は、うちの王国と違って軍部と魔導院の発言力が異常に強い。迷宮都市のギルド支部も、中央の顔色を窺う官僚体質だ」


 カインは懐から取り出した黒革の査察手帳をパラパラとめくりながら、眉間に皺を寄せた。


「お前がいくら本国でドラゴンスレイヤーだろうが、あっちじゃただの『他国の特例立ち入り者』だ。問題を起こせば、俺がギルド協定違反で査察本部から減給を喰らう。絶対に単独で突っ走るなよ」


「分かっているわ。私はただ、地下百層に生えているという『万能霊樹の雫』を採取したいだけよ。採取して、記録を取って、余計なトラブルを起こさずに帰る。これ以上ないくらい模範的な学者ムーブでしょう?」


「その『学者』が大剣一本で深層ボスを五分でミンチにするから問題なんだよ……」


 カインの特大のため息を聞き流しながら、リーゼロッテは心地よい馬車の揺れに身を委ねた。

 王宮のドロドロとした権力闘争も、無能な元婚約者の癇癪もない。

 ただ目の前には、未踏の迷宮と未知の薬草が待っている。それだけで、胸の奥がすっきりと晴れ渡るようだった。


 数時間後。

 馬車はガルディニア帝国との国境に位置する、巨大な石造りの関所へと到着した。

 通常であれば、他国の貴族や高ランク冒険者の越境には数日を要する厳しい尋問と身元照会が課される場所である。


 だが――。


「特命査察令、識別番号九〇四。ギルド中央本部直属・特務監察官カイン・レドフォードだ。並びに、本部特例認可を受けた同行調査員一名。通行監査の免除協定に基づき、直ちに関門を開けろ」


 カインが無造作に提示した、真鍮とミスリルが埋め込まれた監察官バッジ。

 それを見た関所の衛兵隊長は、息を呑んで直立不動の敬礼を返した。


「は、中央本部の特務監察官閣下……! 確約書は通達されております! どうぞ、お通りください!」


「ご苦労」


 一切の引き止めもなく、重厚な鉄格子がガラガラと跳ね上がっていく。

 馬車が関門をくぐり抜けると、リーゼロッテは感心したようにカインを見つめた。


「あら、本当に顔パスなのね。ギルドの特命監察令って、思った以上に便利だわ」


「便利って言うな。このバッジ一枚取るのに、俺がどれだけの書類と泥臭い任務をこなしてきたと思ってんだ。……ほら、ここから先は完全に隣国の領内だぞ。気を引き締めろよ」


「ええ、もちろんよ。――待っててね、地下百層の霊樹たち」


 爛々と輝く琥珀色の瞳に、カインは再び胃痛を覚えるのだった。



 ***



 一方その頃。

 ふたりが爽やかに国境を越えていたちょうどその時刻、王国の中枢――王宮の『王立魔導院』の最上階では、怒号と書類の散乱する嵐が吹き荒れていた。


「ええい、使えん! どいつもこいつも、この程度の紙切れ一枚読み解けぬのかッ!」


 絨毯の上に羊皮紙を叩きつけ、激昂しているのは中年の男だった。

 豪奢な金糸の刺繍が施された深紅のローブを纏い、脂ぎった顔を怒りで真っ赤に染めている。

 ジークハルト王太子の失脚に伴い、空席となった魔導院トップの座に収まった新任魔導院長――バルタザール・フォン・グロース伯爵である。


 彼の足元には、数名の宮廷魔導士たちが青ざめた顔で平伏していた。


「も、申し訳ございません、院長閣下……! しかし、前任のリーゼロッテ令嬢が残されたこの『大結界運用マニュアル』、術式の記述があまりにも独特で……!」


「黙れ! 言い訳など聞きたくない!」


 バルタザールは机をバンと叩いた。


「あの生意気な小娘が、宮廷魔導の正統な理論を無視して書き殴ったデタラメに決まっている! たかが十八歳の娘だぞ!? 公爵家の権力を笠に着て、魔導院の重要施設を私物化していただけの売名貴族に過ぎん!」


 バルタザールにとって、リーゼロッテという存在は目の上のたんこぶ以外の何物でもなかった。

 王族や大貴族の機嫌を取ることで出世街道を這い上がってきた彼にとって、若い娘が一人で国の防衛魔導の根幹を握っていたという事実そのものが、耐え難い屈辱だったのだ。


「そもそも、この術式の注釈を見ろ! 『炉心の冷却回路には、地下六十層に生息する氷霜蜥蜴の胆汁を三パーセント希釈して投入すべし』だと? 狂気の沙汰だ!」


 バルタザールは拾い上げた書類を、嘲笑と共に指先で弾いた。


「氷霜蜥蜴の胆汁などという下賤な魔獣素材を、王宮の神聖な魔力炉に入れるなど言語道断! 正統な魔導工学に基づき、精製された最高級の氷霊石の粉末を代替品として投入すれば事足りるのだ! こんな不潔な迷宮素材に頼るから、国家予算が無駄に消費されるのだ!」


「し、しかし閣下! リーゼロッテ様の手順書には、『氷霊石の粉末は融解時の魔力脈動が荒いため、炉心のミスリル配管を侵食する危険あり。胆汁の有機皮膜による緩衝作用が不可欠』と、明確に警告が記されております……!」


 平伏していた下級魔導士のひとりが、必死に声を絞り出した。

 前任の老魔導院長は、リーゼロッテの魔導工学における圧倒的な天才性を早々に見抜き、あろうことか王都大結界の維持管理という重責を、この若い公爵令嬢一人に丸投げして依存しきっていた。それが彼女が自由に炉心へ出入りし、国の中枢を管理できた理由である。

 声を上げた彼は以前、リーゼロッテが朝早くから作業着姿で炉心に潜り、自ら配管を磨き上げながら指導してくれた光景を間近で見ていた現場の人間だった。彼女は魔導院の職人たちだけでなく、近衛騎士団の詰め所にも足を運び、彼らが戦いやすいように天候や風向きに合わせて外縁部の結界出力まで細かく調整してくれていたのだ。現場の人間にとって、彼女は冷血な悪女どころか、真の守護神だった。


 だが、現場に一度も降りたことのないバルタザールは、その言葉に冷酷な視線を突き刺した。


「貴様、私に指図する気か? 名門グロース伯爵家の魔導理論を疑うというのか?」


「め、滅相もございません……!」


「大体、あの女は婚約破棄された腹いせに、わざと解読不能な暗号で引き継ぎを残していったのだ! 我々を困惑させ、己の存在価値を誇示するための浅ましい嫌がらせに決まっている!」


 バルタザールは冷ややかに鼻を鳴らすと、手にしたリーゼロッテの直筆マニュアルを乱暴に両断した。


 ビリリッ、と乾いた音が執務室に響く。


「か、閣下!?」


「こんな怪文書など不要だ! 王都大結界の管理権限コードは、すべて我ら王立魔導院の正統な方式へ書き換える! 薬品の配合比率も、我がグロース家の標準規格に改めるのだ!」


 バルタザールは破いた羊皮紙の束を、暖炉の火の中へと投げ捨てた。

 パチパチと音を立てて燃え上がる、リーゼロッテが数年かけて検証し、最適化してきた貴重な現場データ。


「ふん、これでいい。小娘の手を借りずとも、大結界は我が手によってより完璧に統御されるのだ。……おい、炉心の技師たちに通達しろ。直ちに冷却液の全量を、氷霊石の溶液へと入れ替えろ!」


「は、ははっ……!」


 下級魔導士たちは青ざめた顔を見合わせ、絶望を押し殺しながら部屋を退出していった。


 暖炉の中で灰になっていく書類を見つめながら、バルタザールは下卑た笑みを浮かべていた。


「思い知らせてやる。お前などいなくとも、この王宮は何一つ困らんということをな……」



 ***



 その日の夕刻。

 王都の地下深くに位置する、巨大な円形空洞『王都魔力炉心室』。


 淡い青色の光を放ちながら、脈打つ心臓のように回転する巨大な魔力炉。

 かつてリーゼロッテが毎朝欠かさず訪れ、その波長をミリ単位で調律していた国の心臓部である。


 配管の点検を行っていた現場の老技師が、突如として作業の手を止めた。


「……おい、なんだこの音は?」


「え?」


 若い技師が首を傾げる。

 耳を澄ますと、魔力炉の奥深く――ミスリルの送魔パイプの継ぎ目から、普段は決して鳴ることのない奇妙な音が漏れ聞こえていた。


 キィィィィィン……ッ。


 金属同士が軋み合うような、甲高い、耳障りな微小振動。

 それは、新任魔導院長によって投入された『氷霊石の粉末溶液』が、配管の内壁を微細に削り削り、魔力の循環回路に目に見えないほどの小さな綻びを生み出し始めた合図だった。


「気のせい……か? いや、針の振れ幅がわずかに乱れているぞ……」


「大丈夫ですよ、新任の院長閣下が『正統な配合にした』っておっしゃってたんですから!」


「……そうだといいがな」


 老技師は不安そうに眉をひそめた。

 だが、その微細な異変に気づいた者は、王宮の上層部には誰一人として存在しなかった。


 破滅へのカウントダウンが静かに、しかし確実に刻まれ始めたことなど露知らず。

 国境を越えたリーゼロッテは、隣国の街道沿いの宿屋で、名物の香草焼きソーセージに舌鼓を打っていたのだった。

 

続きは明日投稿します。



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次回お楽しみに。

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