第32話 現場指揮権の掌握
王都外郭正門の崩壊したバリケード前。
一撃で両断された『双頭の剛腕巨猿』の巨躯から、濛々と立ち上る黒煙と魔力の残滓の中、近衛騎士たちの歓声が地響きのように轟いていた。
「現場監督が戻られたぞォォッ!」
「リーゼロッテ様万歳! 我が国の救世主だ!」
血と泥にまみれた騎士たちが、涙を流しながら剣を天へと掲げる。
だが、その熱狂の渦を切り裂くように、甲高い耳障りな怒声が門の内側から響き渡った。
「ええい、何を騒いでおるか! 無礼者どもめが!」
押し分けて現れたのは、金糸の刺繍が施された豪奢な絹の外套を着込み、腹を突き出した中年貴族だった。
王宮内務省の防衛監察官を名乗る子爵である。
戦火の煤ひとつ浴びていない小綺麗ななりをした取り巻きの文官たちを従え、抜身の大剣を提げたリーゼロッテを指差した。
「誰の許可を得て前線へ立ち入ったか、リーゼロッテ! 王宮からの正式な登城命令を無視し、勝手に戦場へ乱入するなど軍規違反であるぞ! 第一、そのような下品な平民の武器を担いで――」
「邪魔。どきなさい」
「ぶべらッ!?」
リーゼロッテは目も合わせず、歩みの速度を緩めることすらせず、身の丈ほどもある黒ミスリル大剣の平――刀身の側面を、無造作にスッと横へ払った。
鉄板の塊のような質量が子爵の丸々とした腹に直撃する。
派手な悲鳴とともに、監察官殿はまるでボーリングのピンのように後方の瓦礫の山へと吹き飛び、泥の中に頭から突き刺さった。
「ひっ、し、子爵閣下!?」
「き、貴様、国家の高級官僚に対し何を――」
「口を動かす暇があるなら、負傷者を後方の神殿へ運びなさい。足手まといの文官が最前線で喚いていること自体、現場の指揮系統を乱す重大な過失よ」
琥珀色の瞳から放たれる絶対零度の視線に、取り巻きの文官たちは悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
リーゼロッテは至って平然と大剣を肩に担ぎ直し、片膝をついていたガレス大隊長を見下ろした。
「状況の報告を。簡潔に三十秒でお願いできるかしら」
「は、はっ!」
ガレスは弾かれたように立ち上がり、拳を胸に当てて直立不動の姿勢を取った。
かつて毎朝、夜明け前の詰所で交わしていた業務報告の感覚が、瞬時に全身へ蘇る。
「外門前方の街道筋、ならびに左右の森林地帯から押し寄せる魔獣の数は約四千! 近郊ダンジョンの変異個体が多数混ざっております! 我が第3大隊、第4大隊の残存兵力は計百二十名。防壁の結界支援がないため、物理的な槍衾と炎壁の遅延術式のみで維持しておりますが、魔力結晶の枯渇によりあと十分と持ちません!」
「十分あればお釣りが出るわね。――現場の職人長はどこ?」
「ここにおります、リーゼロッテ様!」
瓦礫の影から、煤まみれの作業着を着た下級魔導技師たちが駆け寄ってきた。
地下炉心の惨状を国王に直訴した、あの叩き上げの職人たちである。
「よく持ちこたえてくれたわ。あなたの手入れのおかげで、外郭の送魔パイプの基部はまだ生きているわね。……今から私が言う通りにバイパスを繋ぎ替えなさい」
リーゼロッテは手袋を嵌めた指先で、地面の泥の上に素早く図面を引いた。
「第3補助タンクの弁を逆止弁で固定。第7スリットへ、純度八十パーセントの氷霊石を粉砕して直接流し込みなさい。加圧ラインが一時的に凍結するけれど、五分間だけなら城壁の防護障壁を三割の出力で再展開できるはずよ」
「な……なるほど! 送魔ラインの焼き切れを、氷結圧で無理やりバイパスさせるのか……! よし野郎ども、動けッ! リーゼロッテ様の指示通りにバルブを叩き折れ!」
「「「おおォッッ!!」」」
的確極まりない工学的指示に、死んだ魚のようだった職人たちの目が一瞬で息を吹き返した。
誰一人として疑問を挟まず、職人たちが蜘蛛の子を散らすように各所の配管へと走り出す。
だが、防衛ラインを立て直すには、その「五分間」を稼ぐための絶対的な防壁が必要だった。
城門の裂け目からは、血の匂いに狂乱した黒鱗のトカゲモドキと甲殻蟲の群れが、怒涛の勢いで雪崩れ込もうとしている。
「ガレス大隊長、兵を左右へ散開させなさい。中央の突破口をわざと開けるのよ」
「は……? 中央を開ければ、市街地に直結する大通りへ雪崩れ込まれますぞ!」
「いいから開けなさい。――中央の直線通路は、一番『掃除』がしやすい形状でしょう?」
ゾクッ、とガレスの背筋に冷たい粟が走った。
彼女が「掃除」と言った時、それが何を意味するのか。
かつて未踏迷宮の暴食竜を五分で解体したドラゴンスレイヤーの思考回路を思い出し、ガレスは即座に喉を張り上げた。
「全軍、左右へ後退! 中央門の正面を空けろッ! リーゼロッテ様の射線を塞ぐなッ!!」
騎士たちが左右へ退いた瞬間、開かれた中央通路へ、数百頭の魔獣が一斉に殺到した。
勝利を確信した魔獣たちの濁った咆哮が、大気を揺るがす。
その津波のような暴威の正面に、リーゼロッテはただ一人で歩み出た。
担いでいた黒ミスリル大剣を、両手で正眼に構える。
全身を包むのは、派手な魔力の光ではない。
筋肉の収縮、骨の軋み、大剣の重心――その極小の一点だけにピンポイントで超圧縮された、無駄の一切ない魔力強化の波動。
「循環同期――『局所超圧縮』」
静かな呟きとともに、リーゼロッテが踏み込んだ。
ドンッ!
石畳が円形に陥没し、彼女の姿が視界から掻き消える。
次の瞬間、殺到していた魔獣の先頭集団の中央に、漆黒の斬撃線が閃いた。
ギィィィンッ!
空気を切り裂く高周波の金属音。
横一文字に払われた大剣の切っ先から放たれたのは、大気を真空の刃へと変える不可視の衝撃波だった。
最前列の甲殻蟲数十頭が、甲殻の硬度など存在しないかのように、一瞬で水平に両断されて宙を舞う。
「ギャオォォッ!?」
怯んだ魔獣の頭上を、リーゼロッテは軽やかに跳躍した。
空中で身体を反転させ、落ち葉のような軽やかさで群れのど真ん中へと着地する。
左右から迫るトカゲモドキの爪と牙。
彼女は身をわずかに捻って躱すと、大剣の柄頭で側頭部を粉砕し、返しの刃で首を撥ね飛ばした。
流れるような連撃。
力任せの破壊ではない。
魔獣の関節、骨の継ぎ目、魔力核の位置をミリ単位で見極め、最小の力で最大の結果を出す、完璧なる解体作業。
返り血の一滴すら、彼女の黒ミスリル鎧に届く前に、纏った防汚魔法の微風によって弾き飛ばされていた。
「す、すげえ……」
「たった一人で、魔獣の群れの突進を真っ向から押し留めてやがる……!」
左右に控えていた騎士たちが、息を呑んでその光景を見つめていた。
だが、背後の森林地帯からは、未だ尽きることのない魔獣の増援が押し寄せてきている。
そこへ――。
「――おいおい、相変わらず無茶苦茶な現場監督ぶりだな」
軽薄で、しかし芯の通った男の声が、城門の上駄から響いた。
仕立てのいい黒革の外套を翻し、左耳の通信ピアスを揺らしながら現れたのは、ギルド特務監察官カイン・レドフォードだった。
その背後には、重装備に身を包んだ数十名の屈強な男たち――王立冒険者ギルド本部が誇る、高ランク冒険者の緊急即応部隊が整然と並んでいた。
「カイン!」
ガレスが目を見張る。
「王宮の命令系統が死んでる間、ギルドの即応部隊を動員してきたぜ」
カインは懐から査察手帳を抜き取り、前線の冒険者たちへ指示を飛ばした。
「おい、お前ら! 契約内容は『SSランク特務依頼に伴う外郭防衛線の維持』だ! 左右の森林からの横槍を全部叩き落とせ! リーゼの背中に一匹でも通したら、査察票に減点をつけて報酬から天引きするからな!」
「「「応ッッ!!」」」
冒険者たちが一斉に城壁から飛び降り、左右の迎撃ラインへと雪崩れ込んでいく。
騎士団の強固な盾と、歴戦の冒険者たちの変則的な遊撃。
二つの異なる組織が、リーゼロッテとカインという二人の絶対的な実務屋の手によって、寸分の狂いもなく噛み合わさった瞬間だった。
「ふぅ……」
中央の魔獣の先鋒を完全にミンチに変え、大剣の血糊をひと振りで払ったリーゼロッテが、ふと息を吐いた。
外郭防壁からは、職人たちの手によって青白い仮設障壁がゴオォッと立ち上がり、魔獣の侵入ルートが完全に遮断される。
前線の規律は、わずか数分で完璧に取り戻されていた。
「カイン、外郭の維持は任せていいかしら?」
リーゼロッテが城壁の上を見上げると、カインは肩を竦めて笑った。
「誰に言ってやがる。こっちの雑魚掃除は全部片付けてやるよ。……お前の本当の仕事は、地下の焦熱地獄だろ」
「ええ、そうね」
リーゼロッテは琥珀色の瞳を、王都の中央――今なお黒い瘴気を天高く噴き上げ続けている、王宮の尖塔へと向けた。
大地を揺らす不気味な脈動が、足裏を通して伝わってくる。
心臓部である王立大魔力炉の暴走は、一刻の猶予もない臨界点に達していた。
「外注コンサルの現場作業、本番といたしましょうか」
黒ミスリル大剣を背中のホルダーへと納め、リーゼロッテは黒煙渦巻く王宮の地下通路へと、単身足を踏み入れていった。




