第33話 炉心突入、魔力汚染の元凶
王都の地下深くへと続く螺旋階段を下るにつれ、大気の温度は異常なまでに跳ね上がっていった。
鼻腔を突くのは、吐き気を催すほどの強烈な硫黄臭と、高密度エーテルが焦げ付いた特有の重金属臭。
壁面に等間隔で埋め込まれていたはずの青白い誘導魔導灯は、過負荷によりことごとく破裂しており、黒ずんだガラスの破片が階段のあちこちに散乱していた。
ドォォォォン……ドォォォォン……。
地下の最深部から、不気味な心臓の鼓動のような振動が、壁と床を伝って絶え間なく響いてくる。
リーゼロッテは足音を立てることなく、黒ミスリル鋼のブーツで瓦礫を踏み越えながら進んでいた。
身に纏った防汚と遮断の術式が、空気中に浮遊する有害な黒い微粒子をパチパチと音を立てて弾き返していく。
「……ひどい有様ね。換気ダクトの逆止弁まで焼き切れているわ」
螺旋階段を降りきった先。
かつてリーゼロッテが毎朝訪れていた『王立大魔力炉・中央炉心区画』の巨大な耐圧隔壁は、内側からの圧力によって外側へと大きく歪曲し、中央にできた巨大な裂け目から、ドロリとしたコールタール状の瘴気が滝のように床へと溢れ出していた。
リーゼロッテは背中の巨大な黒ミスリル大剣に触れることもなく、その亀裂へと身を滑り込ませた。
視界が開けた瞬間、目に飛び込んできたのは――かつての神聖な水晶洞窟の面影など微塵もない、完全なる『異界』だった。
天井の高さ数十メートルに達する広大なドーム状空間。
その中央に鎮座するはずの、王都の心臓――大魔力炉の中央コア球体。
かつて澄み切ったスカイブルーのエーテル光を湛えていたその球体は、今や赤黒く濁った毒々しい光を放ち、まるで生き物のようにブクブクと泡立ちながら膨張と収縮を繰り返していた。
床一面には、冷え固まりかけた黒いタールのような高濃度魔力汚染物質が波打ち、足を踏み入れることすら躊躇われる泥沼と化している。
そして何より――。
「……はぁ」
炉心コアを取り囲むように張り巡らされた、無数の魔導配管と術式回路の残骸を一瞥した瞬間、リーゼロッテの口から深いため息が零れ落ちた。
「見習いの自由研究のほうが、まだマシな回路を組むわね」
そこに施されていたのは、目も当てられないほどの素人仕事だった。
彼女が現場を離れる前、ミリ単位で精密に組み上げておいた『三重螺旋構造の魔力調律ライン』。
それは、膨大なエーテルが逆流しないよう、特殊な冷却触媒液の粘度と流速を計算し尽くして配置された、極めてデリケートな生命維持装置だった。
だが、現在そこに残されていたのは――。
高価な希少金属の代わりに無理やり溶接された、純度の低い安価な銅合金パイプ。
本来ならば均等に圧力を分散させねばならない分岐点に、力任せに直列でねじ込まれた、デタラメな属性付与陣。
さらには、目詰まりを起こした冷却弁を直す技術すらなかったのか、安全弁そのものが針金で強引に塞がれ、魔力バイパスが途中で完全に破裂していた。
「バルタザール伯爵……我がグロース家の正統魔導がどうのと豪語していた割には、流体力学の基礎すら頭に入っていなかったようね」
リーゼロッテは作業用手袋を嵌めた指先で、近くの計器盤の残骸に触れた。
指先から微小な魔力パルスをツンと流し込み、炉心全体の魔力歪みをスキャンする。
「……なるほど。私が残した特殊調合の触媒液を『無駄なコスト』と決めつけて廃棄し、安物の氷霊石の粉末を水に溶かしてそのまま炉心へぶち込んだのね。そのせいで結晶の不純物が配管内で固着して目詰まりを起こし、冷えなくなったコアが熱暴走を起こしてエーテルを腐敗させた……」
あまりにも短絡的で、あまりにも救いようのない人災。
現場の知識も持たず、ただ机の上の帳簿の数字だけを減らして「経費削減の手柄」を誇ろうとした無能貴族たちの末路が、この地獄だった。
腐敗し、行き場を失った高密度の魔力は、コアの内部で澱み、変異し、もはや純粋なエネルギーではなく――未踏迷宮の最深部に溜まる『瘴気溜まり』と完全に同質のものへと劣化していた。
「大結界が吹き飛ぶのも当然だわ。こんな腐った魔力を無理やり街の上空へ送ろうとしたら、結界発生器そのものが耐えきれずに自爆するに決まっているじゃない」
リーゼロッテは呆れ果てたように首を振ると、腰のベルトに手を伸ばした。
革のホルダーには、数本の試験管。
中に入っているのは、隣国の迷宮地下百層で採取してきたばかりの『万能霊樹の雫』を惜しみなく配合した、超高純度の急速冷却ポーションである。
「手遅れになる前に、まずは配管のゴミ掃除から――」
彼女が一歩、床の泥沼へと足を踏み出そうとした、その時だった。
ゴボッ……ゴボボボボッ……!!
中央コアの基部、黒いタールが激しく泡立ち始めた。
空間全体の魔力濃度が急激に跳ね上がり、肌を焼くような電撃の火花がバチバチと大気を走る。
ズチュゥゥゥゥンッッ!!
泥の底から、何かが這い上がってきた。
それは、炉心から溢れ出したドス黒い瘴気と、焼き焦げた金属パイプ、そして高濃度エーテルそのものが凝縮して実体化した――異形の怪物。
体長十メートルを超える、不定形の巨躯。
無数の赤黒い魔力眼が全身に浮き上がり、鉄をも溶かす超高熱の蒸気を吐き出しながら、地下ドームの天井を揺るがす咆哮を上げた。
暴走した炉心の魔力を喰らい、無限に肥大化を続ける災厄の化身――『魔力喰らいの変異巨獣』。
「……やれやれ」
リーゼロッテは琥珀色の瞳をスッと細め、背中のホルダーへと手を伸ばした。
ガシャリ、と重厚な金属音が響き、身の丈ほどもある漆黒のミスリル大剣が、一切の迷いなく引き抜かれる。
「まずは、このお行儀の悪い害虫の解体作業から始めなくてはいけないようね」
灼熱の地獄の底で、悪役令嬢による容赦なき現場修理の火蓋が切られようとしていた。




