↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
31/42

第29話 カインの超絶ビジネス交渉


 王都の冒険者ギルド中央本部、三階にある特務監察室。

 普段ならば書類の擦れ合う音しか響かないその密室は今、王宮使節団の脂汗と、凍りつくような冷気で満たされていた。


 卓上には、国王の直筆署名と真紅の封蝋が刻まれた『国家存亡特務依頼書』。

 その対面に腰掛けたギルド特務監察官カイン・レドフォードは、真鍮の留め金がついた黒革の査察手帳を指先で弄びながら、気怠げに視線を投げかけていた。


「……で? 国王自らの親書を届けて、それで任務完了とでも思ってんのか、主席文官さんよ」


「め、滅相もございません!」


 豪奢な礼装を着た主席文官が、額に滲む汗をハンカチで拭いながら必死に身を乗り出す。


「王都の状況は一刻の猶予もございません! 大魔力炉の暴走、大結界の完全消滅、そして近郊ダンジョンから押し寄せる魔獣の津波……! 我が国の命運は、リーゼロッテ様のその双肩にかかっているのです! 直ちにこの依頼書を受理し、現場への出動要請を出していただきたい!」


「出動要請ねぇ」


 カインは灰色の瞳を細め、冷ややかに唇の端を持ち上げた。


「お前ら、ずいぶんと都合のいい頭をしてんな。数日前、憲兵隊を総動員してあいつのアトリエを取り囲み、罪人扱いして強制連行しようとしたのはどこの誰だ?」


「そ、それは……バルタザール元魔導院長と、クライン子爵家の暴走によるものでして……!」


「暴走で済むかよ。王国の正規軍が、ギルド最高評議会の直轄保護対象に抜剣したんだぞ。全大陸ギルド協定に対する明白な宣戦布告だ。……本来なら、この親書ごと貴様らを叩き出して、今すぐ本国ギルドの全面撤退を宣言するところだぜ」


「ひっ……!」


 文官の背後に控えていた近衛兵たちが、息を呑んで顔色を白くした。

 ギルドが全面撤退すれば、物資の流通も魔獣の討伐も完全に断たれ、王国は明日を待たずに瓦解する。

 自分たちがどれほど断崖絶壁の細い糸の上に立たされているか、ようやく骨の髄まで理解したようだった。


「だ、大金貨五百枚……! いや、千枚の報奨金をお支払いいたします! どうか、どうかリーゼロッテ様をお動かしください!」


「金貨千枚? 笑わせるな」


 カインは査察手帳を机の上にバチンと叩きつけた。


「うちの最高戦力を、国家滅亡寸前の泥沼現場へ外注コンサルとして派遣するんだぞ。現場監督を理不尽にクビにしておいて、国が燃え上がったからと安値で買い叩こうなんざ、虫が良すぎるんだよ」


 カインは卓上の白紙の契約書を引き寄せると、羽ペンを走らせ始めた。

 サラサラと鋭利な音を立てて紡がれる条文。

 監察官としての冷徹な眼光が、獲物を仕留める猛禽のようにギラリと光る。


「リーゼロッテへの特命指名依頼を受任するにあたり、ギルド連盟として提示する条件は三つだ。……一文字たりとも譲歩はしねえから、よく聞け」


「は、ははっ……!」


「一つ。特務受任に伴う基本報酬は、国庫から『大金貨五千枚』の一括前払い。成功報酬ではなく、着手金だ。王都が救われようが灰になろうが、ビタ一文返金は受け付けねえ」


「ご、五千枚……!? 国家年間軍事予算の半分に匹敵いたしますぞ……!」


「国の寿命があと数時間の連中が、予算の心配してんじゃねえよ。国が滅べば金貨なんてただの金属ゴミだろ」


 カインの容赦のない正論に、文官は言葉を詰まらせた。


「二つ。リーゼロッテが保護している少女『ベル』に対する、一切の身元不可侵の誓約。ならびに、国王の直筆勅令による『永世自由市民権』の即時発行だ。今後いかなる王族、貴族、公的機関であれ、あの子供の出自を詮索し、あるいは危害を加えようとした場合、即座に王家との全条約を破棄する」


「ま、魔族の子供に……王家の永世市民権を……?」


「嫌なら断れ。隣国の皇帝からは、すでに『皇族待遇の市民権と研究機関の丸ごと提供』の親書が届いてるんだよ。いつでもあいつらを隣国へ移住させてやる準備はあるぜ?」


 カインが懐からチラリと覗かせた、隣国の『双頭の飛竜』の金の封蝋。

 それを見た文官の顔から、完全に血の気が引いた。

 隣国にあの天才を奪われれば、王国の威信は完全に地に堕ちる。選べる道など、最初から一つも存在しなかった。


「……承知、いたしました……。最後の一つは、何でございましょうか……」


「三つ。――リーゼロッテに対する今後一切の干渉拒否、ならびに『完全なる自由行動権』の恒久承認だ」


 カインは羽ペンを置き、冷酷な眼差しで文官を見据えた。


「今回の現場作業が完了した瞬間、リーゼロッテと王家との雇用関係は完全に終了する。復縁の打診、爵位の押し付け、王都への残留要請……あらゆる宮廷のくだらない茶番を金輪際禁止する。あいつは非番の民間冒険者だ。どこで誰とハーブを摘もうが、王宮の虫けらどもが口を挟む権利は一切ねえ」


 叩きつけられた、鉄壁の三箇条。

 それは、王宮がこれまでリーゼロッテや現場の人間を縛り付けてきたすべての鎖を、根こそぎ叩き折るための完璧な契約書だった。


「……さあ、どうする?」


 カインは契約書を文官の前へと滑らせ、羽ペンを差し出した。


「サインするか? それとも、このまま王都ごと魔獣の餌になって消え去るか。選ぶ時間は、もう数分も残っちゃいねえぞ」


「し、署名いたします……! すべて、全ての条件を受け入れます……!!」


 文官は震える手でペンを握りしめ、涙を流しながら国王の代理署名を走らせた。

 朱色の実印が押され、契約が法的に確定する。


 カインはその書類を手に取り、インクを軽く息で乾かすと、満足げに薄く笑った。


「毎度あり。……さてと、うちの規格外なオカンに、大金貨五千枚の特大残業が発生したって伝えに行かねえとな」


 椅子から立ち上がったカインの足取りは、極めて軽やかだった。

 国家の命運を握る外注コンサルの出動準備は、完璧な法の手続きによって整えられた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。