第21話 使者の逆恨みと「魔族隠匿」の密告
王都の中心にそびえ立つ白亜の王宮。
その一角にある、内務省の高級執務室の分厚い扉が、けたたましい音を立てて開け放たれた。
「ち、父上! バルタザール閣下! 大変でございます!」
転がり込んできたのは、乱れた衣服に泥をこびりつかせ、青ざめた顔で肩で息をするダミアン・フォン・クラインだった。
上等な乗馬服の裾は汚れ、股間のあたりには――拭いきれなかった見苦しい失禁の染みの名残が、乾ききらないまま微かに残っている。
普段の気取った貴族の風貌は完全に失せ、全身を小刻みに震わせていた。
執務室の奥で、王都防衛の対策図面を広げていた二人の男が、不快そうに眉をひそめて顔を上げる。
ダミアンの実父であるクライン子爵と、新任の魔導院長バルタザール伯爵だ。
「……何事だ、ダミアン。ノックもなしに取り乱して」
クライン子爵が、息子のあまりの無様さに苦々しい視線を向けた。
バルタザールもまた、卓上の水晶眼鏡を直しながら、ねめ回すような冷たい声で問う。
「郊外の別邸へ赴かせたはずだな。リーゼロッテはどこにいる。なぜ引っ立ててこなかったのだ」
「そ、それが……!」
ダミアンは床に爪を立て、屈辱に顔を歪めながら額を押しつけた。
「あの小娘め……王命を盾に命じたにもかかわらず、公爵家の退職協定が失効しているなどと小賢しい屁理屈を並べ立て、同行を拒絶したのです! そればかりか、突然私兵たちに妖術で暴行を加え、私に刃を突きつけて追い返しました!」
「何だと……!?」
バルタザールがバンッ! と執務机を叩いて立ち上がった。
「勅命を拒否したというのか!? たかが十八歳の元公爵令嬢が、国家の危機に際して私情を優先し、王宮からの命令に背いたと!?」
「左様でございます! あの女は完全に狂っております! 『無能な役人の尻拭いをする筋合いはない』などと、閣下や陛下を侮辱する暴言を吐き散らしました!」
ダミアンは自らの失態――ドラゴンスレイヤーの放つ覇気に圧倒され、武器を抜くことすらできずに失禁して逃げ帰ったという決定的な醜態を隠すため、怒りに任せて出任せを並べ立てた。
自分が手ぶらで帰れば、クライン家の面目は丸潰れとなり、宮廷内での立場を完全に失う。
その焦りが、彼の濁った思考をさらに危険な方向へと加速させていた。
「それだけではありません! あの女は……別邸に、出所の知れぬ薄汚い浮浪児を引き入れ、後生大事に匿っておりました!」
「浮浪児だと……?」
「左様です! 頭に奇妙な角の生えたガキです! 私兵がそのガキを人質に取ろうとした途端、あの女は目の色を変えて我々に襲いかかってきたのです! きっと後ろ暗い理由があるに違いありません! あのガキごと国家反逆の共犯として捕縛し、首根っこを引っ立てるべきです!」
ダミアンが喚き散らした、その時だった。
執務室の隅に控えていた宮廷情報部の密偵が、音もなく歩み寄り、バルタザールの耳元で囁きながら一枚の調査報告書を差し出した。
「……何? ギルド本部の出入国記録だと?」
バルタザールは報告書を受け取り、目を走らせた。
そこには、リーゼロッテがここ数週間、ギルド監察官のカインと共に隣国の未踏迷宮『常闇の螺旋穴』へ遠征していた事実と、ギルドに提出されたある書類の控えが記されていた。
『要観察個体・暫定後見委託申請書』
『保護個体:迷宮深層より回収。規格外の魔力波長異常につき、厳重な経過観察を要す』
「……なるほど。そういうことか」
報告書を読み進めたバルタザールの唇が、三日月のように吊り上がった。
細い瞳に、獲物を見定めた毒蛇のような冷酷な光が宿る。
「ダミアン、貴様の手柄だぞ。その小娘が匿っていたガキの正体が割れた」
「えっ……? 閣下、一体……?」
「隣国の迷宮深層……あそこはかつて、隣国と魔族領の境界紛争において、凶悪な魔族を封じたとされる禁忌の地だ。ギルドの記録にある異常な魔力波長の数値……これほどの超高密度魔力を内包した子供など、ただの人間であるはずがない」
バルタザールは机の上の羽ペンを手に取り、歓喜に打ち震えるように冷笑を漏らした。
「リーゼロッテが拾ってきたあの子供は……間違いなく『人外の魔族』だ。それも、隣国の迷宮から不法に持ち出された特級の危険個体だ」
「ま、魔族……!?」
クライン子爵とダミアンが息を呑んだ。
ダミアン自身、ただの小汚い孤児だと思って当たり散らしただけだったが、思いがけない巨大な爆弾が転がり込んできたのだ。
「魔族の持ち込みは、大陸全土における絶対の禁忌。いかに公爵家の血筋であろうと、国家の安全保障条約を盾にすれば、憲兵隊を動かして別邸を包囲し、現行犯で即時拘束できる」
バルタザールは笑みを深めた。
王都大結界の出力は刻一刻と低下し、地下炉心の魔力暴走は、自力ではもはやどうにもならない領域に達している。
だが、その莫大な魔力を持つ「魔族のガキ」を手に入れればどうなるか。
「捕縛したリーゼロッテを王宮の地下牢へ繋ぎ、強制労働の懲罰を科す。そしてあの魔族のガキは……炉心の生体バッテリーとして再利用してやればいい」
「生体、バッテリー……?」
「そうだ。あのガキを地下炉心のコアへ直接鎖で繋ぎ、その身に宿る異常な魔力を生贄の触媒として強制的に吸い上げ続ければ……冷却剤などなくとも、大結界の出力は一瞬で元通りになるではないか!」
「な……なるほど! 炉心の完全修復と、目障りな逆賊の処分が一挙に片付くわけですな!」
クライン子爵が膝を打ち、ダミアンも床に這いつくばったまま、狂気じみた笑みを漏らした。
魔族の子供が魔力を吸い尽くされて干からびようと、知ったことではない。自分たちの保身と手柄になるのなら、どんな残酷な手段でも正当化されるのが彼らの論理だった。
「すぐに近衛憲兵隊の一個中隊を動員しろ。完全武装で別邸を包囲し、魔族のガキごとあの生意気な小娘を引っ立ててくるのだ」
バルタザールは冷酷な笑みを浮かべ、机の上の出動承認書に羽ペンを走らせた。
「泣き叫ぼうが手足を縛り上げ、地下の炉心へ放り込んでやれ。我がグロース家の正統なる魔導に泥を塗った報い、その骨の髄まで味あわせてくれる」
***
同じ頃、王都の冒険者ギルド中央本部。
吹き抜けの広大なロビーの奥にある、特務監察室の重厚なドアを、一人の青年が乱暴に押し開けた。
「……チッ。クソ忙しい時に、ろくでもねえ虫が騒ぎ出してやがるな」
ボサボサの茶髪を乱暴に掻きむしりながら入ってきたのは、ギルド特務監察官のカイン・レドフォードだった。
仕立ての良い黒革の外套を翻し、左耳の通信ピアスを苛立たしげに指先で弾く。
机の上には、王宮内務省の動向を監視していたギルド情報部からの緊急報告書が、数枚散らばっていた。
ダミアンが王宮へ駆け込み、情報部がベルの暫定保護記録を嗅ぎ回ったという報告。
そして――『近衛憲兵隊に出動命令。目標、郊外のアルステット別邸』という、信じがたい一文。
「魔族の隠匿による国家反逆だと? あのアホ貴族ども、手前勝手な理屈も大概にしやがれ。自分たちの無能の尻拭いに、あのガキの魔力を生贄にしようって魂胆が透けて見えて反吐が出るぜ」
カインは冷え切った灰色の瞳で報告書を一瞥すると、乱暴に丸めて屑籠へと放り込んだ。
「おい、カイン。どうする気だ?」
部屋の隅に控えていた副官の監察員が、青ざめた顔で尋ねる。
「相手は王立憲兵隊だぞ。いくらギルドの登録者とはいえ、王国の法執行機関が直接動いちまったら、一介の監察官が手を出せる領域を超えている」
「手を出せない? 誰がそんな寝言を言った」
カインは壁の金庫へ歩み寄ると、真鍮のダイヤルを滑らかな手つきで回した。
重い金属音が響き、金庫の扉が開く。
彼が取り出したのは、一枚の古びた羊皮紙だった。
縁には純銀の糸で精緻な魔導術式が縫い込まれ、中央には大陸全土を統括する『国際冒険者ギルド連盟最高評議会』の、紫水晶色に輝く最高位印章が刻印されている。
「あの子どもの身元引き受けと暫定保護は、ギルド連盟の緊急規約に基づき、俺が本部の決済を通して正式に受理させた公務だ」
カインは羊皮紙を黒革の査察手帳へと丁寧に挟み込み、留め金をパチンと鳴らした。
「ギルドが直轄で管理している重要査察対象を、一地方国家の腐れ貴族どもが勝手に連行して生贄にするなんざ、国際協定に対する明確な主権侵害だ。全大陸のギルド網を敵に回す覚悟があるのか、あの机上のネズミどもに教えてやらなきゃならねえ」
「お、おい……まさか、憲兵隊と正面からやり合う気か!?」
「やり合う? 馬鹿言え、俺は公務員だぞ。暴力なんて野蛮な真似はしねえよ」
カインは外套の襟を正し、冷笑を浮かべた。
「紙切れ一枚で、あの無能どもの喉元を締め上げてやるだけだ。……あのバカ女が、また退屈しのぎにアトリエごと憲兵をミンチにする前に、現場へ急がねえとな」
カインは身を翻すと、風のような速さで監察室を飛び出していった。
郊外のアトリエへ向け、王国の公権力という名の傲慢な牙が、音を立てて迫りつつあった。




