第18話 【本国崩壊③】無能貴族たちの責任転嫁
王都を揺るがす地響きが、分厚い絨毯の敷かれた王宮の謁見の間にまで微かに届いていた。
玉座に鎮座する国王の顔色は、青を通り越して土気色に染まっている。
その眼前には、新任魔導院長バルタザール伯爵をはじめとする上層貴族たちが、額を床に擦り付けるようにして平伏していた。
「……バルタザール、貴様は何と言った?」
国王の低く唸るような声が、広大な謁見の間に重く響き渡る。
周囲に控える文官や騎士たちも、息を呑んで玉座を見守っていた。
「大結界の出力が半減し、外縁部の平民街を放棄した……? さらには近郊の三つのダンジョンから魔獣が氾濫し、街道の物流が完全に途絶したと? 我が国の防衛体制は、いつからこれほど脆弱になったのだ!」
「へ、陛下! これには深い事情がございまして……!」
バルタザールは脂汗をだくだくと流し、顔を上げて必死に弁明の言葉を紡いだ。
「我が魔導院は、王家の正統なる魔導規範に則り、完璧な管理を行ってまいりました! しかし、前任の責任者であったリーゼロッテ・フォン・アルステット……あの小娘が、退職の際に悪意ある罠を仕掛けていったのです!」
「罠だと?」
「左様でございます! あの女は、後任である我らを陥れるため、王都大結界の送魔配管に意図的な欠陥工作を施しておりました! 現場の技師たちを唆して重要な管理日誌を隠滅し、引継ぎもろくにせずアトリエへ逃亡したのです!」
バルタザールの背後で、同じ派閥の貴族たちが口々に同調の声を上げる。
「そうです! すべてはあの悪名高きアルステット家の小娘の仕業!」
「ジークハルト殿下に婚約破棄された腹いせに、国家の心臓部に細工をして逃げ去った国賊でございます!」
「近郊ダンジョンの魔獣急増も、あの女が裏で魔獣を呼び寄せる誘引薬をばら撒いていったに違いありません!」
並び立つ貴族たちの言葉に、玉座の脇に控えていた近衛騎士団・第3大隊長のガレスの眉が、ピクリと跳ね上がった。
鉄拳を握りしめ、前へ出ようとするガレス。
しかし、それを手で制したのは、中央貴族の筆頭であるダミアン・フォン・クライン子爵令息だった。
ジークハルトの元取り巻きであり、王太子の失脚とともに傾きかけた実家を立て直す手柄を、虎視眈々と狙っている男である。
「陛下、どうかご英断を」
ダミアンは胸元に手を当て、芝居がかった優雅な礼をとった。
「元凶が前任のリーゼロッテにあることは明白。ならば、なすべきことは一つでございます。今すぐ勅命をもって別邸に兵を差し向け、あの小娘を捕縛・強制連行いたしましょう。そして、己が破壊した大結界と魔力炉を、無償で元通りに修復させるのです!」
「無償で、元通りにだと……?」
「左様です! 公爵家の娘として、これまでの国家への反逆を償わせるための強制労働でございます! 反省の色を見せぬなら、アルステット公爵家の取り潰しをちらつかせれば、あの生意気な小娘とて泣いて従うしかございません!」
ダミアンの誇らしげな提案に、平伏していたバルタザールたちも大きく頷く。
自分たちの無能をすべて一人の少女に押し付け、タダ働きで現場を修復させ、手柄だけをかすめ取る。
机の上しか知らず、泥を被ったことのない貴族たちにとっては、これ以上なく都合のいい完璧な解決策に思えたのだ。
「……ふざけるなッ!」
謁見の間の空気を切り裂いたのは、ガレスの怒声だった。
全身に魔獣の返り血を浴びたまま登城した歴戦の指揮官が、一歩前に踏み出す。
「バルタザール院長、ダミアン卿! よくも抜け抜けと嘘八百を並べ立ててくれたな! リーゼロッテ様が残された完璧な業務マニュアルを、現場の目の前で『非科学的だ』と破り捨てたのは貴様らだろうが!」
「な、何を無礼な! たかが一軍人が、魔導院の決定に口を挟むか!」
「一軍人だからこそ、現場の惨状が見えているんだ! リーゼロッテ様は毎朝四時に起きて、自ら泥まみれになって配管を調律し、近郊の魔獣を一人で間引いてくださっていた! そのあの方の献身を『罠』だと!? 恥を知れ、恥を!」
「ええい、衛兵! この乱心者を外へ連れ出せ! 魔獣の血気にあてられて頭がおかしくなっておる!」
喚き散らすバルタザールと、憤怒の形相で睨みつけるガレス。
醜悪な言い争いが最高潮に達したその時、玉座の肘掛けがドォンッ! と重い音を立てて叩かれた。
「――静まれッ!!」
国王の怒声に、謁見の間が一瞬で水を打ったように静まり返った。
国王は額に手を当て、深い深い失望の色を滲ませながら、バルタザールとダミアンを見下ろした。
「……王都の防衛が破綻の危機に瀕しているのは紛れもない事実だ。外壁の外では、今この瞬間も余の民が魔獣に脅かされている」
「は、ははっ! 仰る通りでございます!」
ダミアンが機を見るに敏とばかりに頭を下げる。
「であれば、一刻の猶予もございません。私めが王家の使者として私兵を率い、別邸へ赴いてリーゼロッテを引っ立ててまいりましょう! 泣き叫ぼうが髪を引っ張ってでも連れ帰り、我が手でこの危機を収拾させてみせます!」
国王は重々しく目を閉じた。
リーゼロッテの真の実力やこれまでの功績を、国王自身も完全には把握しきれていなかった。ガレスの言葉が真実だとしても、今は一刻も早く事態を収拾できる「鍵」が必要だった。
「……よかろう。ダミアン、貴様に使者としての権限を与える」
「ははっ! ありがたき幸せ!」
ダミアンの口元に、醜悪な歪んだ笑みが浮かんだ。
一度はジークハルトの失脚に巻き込まれて社交界の笑い者になりかけたが、あの高慢な公爵令嬢をひざまずかせ、手柄を国王に献上すれば、我が家の復権は約束されたも同然。
「すぐに私兵を揃え、郊外のアトリエへ向かえ。――いかなる手を使ってでも、彼女を王宮へ連れてまいれ」
「仰せのままに!」
勝ち誇った顔で立ち上がり、足早に謁見の間を後にするダミアン。
その背中を見つめながら、ガレスはただ一人、絶望的な面持ちで拳を血が滲むほど握りしめていた。
(愚かな……。あまりにも愚かすぎる……!)
現場の守護神であった少女が、どれほどの力を持っているのか。
自らの足で立つ本物の強者が、くだらない貴族の脅しなどに屈するはずがないということを、この宮殿のネズミどもは誰一人として理解していなかった。
眠れる巨大な竜の鼻先を、木の枝で突っつくような暴挙。
破滅への歯車は、もはや誰にも止められない速度で加速し始めていた。




