8.意外なる歓待
「私、とっても怖かったの、大きな事件が身近にある気がして。でも、あなたは誰よりも早く解決してくれた。」
細い指が頬にしなやかに触れる。くすぐるような柔らかさが俺を引き摺り込もうとする。
「勇敢で、頼り甲斐のある人って素敵に見えちゃうの。聞かせて、あなたがどうやって捕まえたのか…」
美しい上目遣いが近付く。きっと俺は、蠱惑的なその女に喜んで武勇伝をでっち上げていただろう。相手がイリナで無ければ。
危険人物であることは既に知っている。それでもお高いホテルの一室に連れ込んだのは、あのイリナがジャグに近付いて来た理由を知りたかったからだ。
「特別なことはしてないさ。ただ、すぐに捕まらないのが奇妙だったから現場を見に行っただけだ。」
絶対に口を割らない相手にイリナがどう出るのかを楽しみにしながら、キスを迫る。俺の唇は指で止められた。
「私は今お話しが聞きたいの。続きを聞かせて?現場に行った人は他にも大勢いたはず…どうしてあなただけが分かったの?」
「魔法を使っただけだ。」
「どんな魔法なの?」
「近くに犯人がいたら自首する魔法さ。これでお話しは終わりだ…」
さっきよりも強引に迫りイリナをソファーに倒す。
「…もうお話ししてくれないの?」
「後回しだ。」
「そう…それじゃしょうがないかな。」
身を躱すようにイリナはソファーを抜け出す。その身のこなしは、多少の強引な手口を押し通すだけの技量を示していた。だが、俺が逃がしてしまった理由はそれだけじゃない。直後に訪れた頭のモヤがそれを警告する。
「簡単に引っかかるような人は愛せないの。ゴメンね。」
焦点の定まらない俺の視界から消えようとするイリナに魔法を使えたのか。確かめる余裕が無いまま意識が途絶えた。
「…頭が…」
重い。薄く開いた目で見えたのは、俺の頬に触れていた指に違い無かった。明かりがついたままの部屋で判然としない意識の覚醒を待つ。何度目かの深呼吸の後、万全になる見込みが無いことに気付きイリナの体で起き上がった。
(便利だな、俺の魔法は…)
相変わらず頭は重いままだが、ふらつく程じゃない。バケツを用意してからソファーの上で手足を縛り終えた頃には、朝焼けが差し込んでいた。
「んぁ?―うっ!ぅえっ!」
魔法を解いてすぐに読み通りの位置に吐瀉物が落ちていく。
「気持ちの良い朝だな、イリナ。」
「…お陰様でね。お礼にキスしてあげよっか?」
「止せよ、気持ち悪ぃ。」
呼吸が整うよりも早く状況を理解したイリナは無理に抜け出す素振りを見せない。俺はソファーの背もたれに肘を突きながら未だにスッキリしない頭で尋問を始める。
「俺は何を飲んだんだ?」
「ただの睡眠薬。私も血で汚れるのは好きじゃないの。」
「私も?」
「縛るだけで許してくれる紳士的な人とは気が合うと思うの、私…」
「目的は?」
「正義感に溢れる厄介な魔法使いかどうか調べるように命令されたの。無害だと判明しないなら連れ帰るようにってね。」
「誰に?」
「ドンに。」
「ドン・オノマテルか?」
「お魚さんに聞いたの?オノマテルは組織の名前。みんなは単にドンと呼ぶの。」
「そのオノマテルの敵になった覚えは無いんだがな。」
「手際が良過ぎる仕事ぶりは注目を集めるものなの。」
つまり、俺がフグ男を捕まえるのが早過ぎたせいでちょっかいかけられたわけか。鬱陶しい。
「でも私の目的は違う。頼り甲斐のある人と協力したいの。」
「協力?」
「私はドンを見つけたいの。その為には協力者が要る。」
「命令を受けたと言ってなかったか?」
「会ったことがあるなんて言ってないでしょ?ドンを知ってるのは幹部と直属のメッセンジャーだけ。1人でこれ以上調べるのは無理なの。ジャグだって放ったらかしに出来る問題じゃないでしょ?」
確かにオノマテルが俺に手を出さない理由が必要になりそうだ。
「ドンを見つけてお前に何の得がある?」
「探してる魔法があるの。」
「…ドンは魔法に詳しいのか?」
「魔法ギルドから情報を持ち帰ったことがあるのはドンだけ、って言ってたの。」
魔法研究の総本山と言える魔法ギルドは俺も聞いたことがある。体を返す方法を探るなら大本命の組織だ。それでも今まで手を出して来なかったのは、俺の魔法の最大の強みが秘匿性にあるからだ。下手に接触して正体が露見する危険性を高めるよりも先に、衣食住や金銭面の拡充を優先したかった。だが、オノマテルという組織を介して間接的に情報を得られるなら悪くない。オノマテル自体が集めた情報の中にも手掛かりを得られる可能性がある。
「ドンの正体さえ分かればどんな取引でも出来るはず。ねぇ、いいでしょジャグ?仲良くしましょ?」
「…お前は何をしてくれるんだ?」
「ここから1番近い隠れ里を教える。まずはそこで何を相手にしているのか自分で見るのがお勧めね。」
「場所は?」
イリナをここで捕らえておいても次の刺客が来るだけだ。詳細を聞き終えた後、俺はひとまず手を組んだことにして拘束を解いた。
「またね、ジャグ。」
去り際に送られた投げキッスを手で弾き落とす。薬と情報で重くなった頭を晴らす為にベッドに倒れ込んだ。




