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魔の娘と敬虔な王子  作者: かまこ
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草をブチブチと引き抜く音に、あたしの耳が勝手に反応してぴょこぴょこと動く。

気持ちのいいお天気。背の短い草が体を撫でて心地いい。

あたしの背中側に陣取ったルーは草を抜きながら「ねえ、友人の話なんだけどさ」。


「小さい頃から一緒に育った魚があんまり美しく成長したものだから、いよいよ結婚したいって言ってるんだよね。どう思う?」

「ルーにも友達がいたんだね」

「それはどうでもいいでしょ」

「ルーの友達は人間?」

「人間」

ほう……

「二人の気持ちが大事だと思う」


会話可能な魚なのかもしれないし、そこは意思確認が大事かなって、あたし的には。うん…… ああそれにしても、眠い。

寝そべって話半分に聞き流していたら、拗ねた声と共に草が頭の上から降ってきた。


「君はさ、そいつをおかしなやつだって思う? 」


顔や体についた草を払うと、しかたなく体の向きを変えた。ルーがあたしの毛皮に残った草のかけらを見つけてちょいちょいつまみあげるのを自由にさせてやりながら考える。


うん、あたしは魚が好きだ。

魚はあたしに怯えない。だから、そんなに美しい魚がいるなら、恋をすることも、あるのかもしれない。


「そんなに、変でもないと思う」


さみしいやつだとは思うけど、あたしだって昔は魚や虫を拠り所にしていた節がある。


「ええっ?」


ルーは大きな声を出した。今や立派な青年に成長したルーが子供みたいな反応をするのは微笑ましかった。

嫌がっていた父親譲りの金の髪も、今では彼の魅力を発揮する武器のうちのひとつとなっている。ルーが自分の出自を受け入れてくれていると感じた。


「……また、何か考えてるね」


ルーはあたしの首につかまって、器用にこちらを見上げてくる。


「なにを?」

「ろくでもないこと」


失敬な。あたしは平和的な獣である。爪も短いし。

ほら、と今しがたそれを整えた本人に両の前脚をアピールする。ルーは「はいはい」とため息をついた。


「……もう、明日はちゃんと、そばにいてね」


前脚をその頭に載せると、ルーは心地良げに頬を染めて、深く頷く。そんなに気持ちいいのか、あたしのこのもふもふのおてては。


「君がいやになるほどいるよ」


明日はあたしたち揃って都へいくのだ。

第六王子は時折、王宮にて『魔の娘』を侍らせる。ルーの言葉に従って動くあたしの姿を見せつけることが、この国の宗教的にはすごく有効なのだそうだ。


ルーはあたしとの出会いが運命であると、それも神様のお墨付きーー天啓を得た関係だと、教会のつてを利用して高貴な人たちの口の端に上るように噂を流していた。自分では尋ねられても決して口にしない。嘘くさくなるんだって、あたしにはよくわからないけど。


曰くあたしは現世に至る前は清らかな心の乙女であったが、その清浄な心ゆえに、魔といえど幼くして命を落とした獣を哀れに思い、その罪を全て己が背負うゆるしを神に願った。神は乙女の望みを聞きいれたが、その心の尊さを惜しみ、この国の王子の一人に、生まれながら獣に身をやつした乙女の魂があると教えたのだ。


そんな、本当のことを一欠片だけ混ぜ込んだ、思わず背中をかきむしりたくなるような耳触りのいいホラ話を。


最初の頃は正気を疑われていたけれど、実際あたしは猫、というよりはもはや犬のように従順に振舞ったし、誰よりも熱心に神の教えを守り伝える王の息子の人ならぬ振る舞い、それにまつわる怪しい噂は、平和で退屈な国の人々の心を買うには十分であったらしい。

彼らは魔への恐怖心を、これを飼いならす青年への畏れに変換することにしたのだった。


「リルゼも一緒にいくんだよね」

「……なんで嬉しそうなの」

「楽しみだよ。美人だから」


あたしの世話係は、あたしの行くところどこにでも需要があるのだ。ルーが付きっ切りって訳にはいかないから、そんな時はリルゼが代わってあたしを『支配』する。人目に出ることが多いので、世話係といえど着飾るのだ。夜の海色のドレス、柔らかな月色の首飾り、結ってまとめ上げた髪を、耳飾りとお揃いの銀の飾りで留めあげた姿は、エキゾチックで、月の使者との異名もあるくらいだ。あたしの呼称は「魔の娘」一択だが、リルゼと一緒だと、美しい使者にかしずく供の凛々しい獣然とする、気がする。


おかしがたい気品があると評判の世話係の姿を思いだして嬉しくなるあたしの耳をつまんで青年は不平をこぼす。


「僕は?」

「普通」

「普通……」


それは良いのか悪いのか、と笑顔でもう片耳も捉えると、左右にグイグイと引っ張った。丈夫な獣の体とはいえ耳は繊細な器官である。あたしは無意識に耳を震わせるが、ルーの手はしつこく離れない。


……ルーも見た目はいいのだが、変な噂は思い出すと寒いし、ちょいちょい触ってくるので緊張感はない。


「ル、ルーは、いつも一緒だから、普通」


良いも悪いもない、と髭をピリピリさせて耐えるあたしをじっと見つめて、「ふうん」と手を離した。あまり納得がいっていないようだ。あたしは前脚で懸命に耳を撫でる。つままれすぎて、なんだか変な感じになってしまった気がするのだ。


「怒らないで。これあげるから」


あたしが顔まわりの毛並みの手入れに使った爪を舐める段になると、ルーはナイフで果物をむき始めていた。

別に丸かじりでもいいのだが、やりたがるのでさせている。真っ赤な皮を器用に落として、中身の白い実をこちらによこした。あたしは手から直接口にする。


ルーはよく人前であたしに果物を与えるけれど、そういうときは大抵そのまま食べられる薄皮で果汁も少ないものだ。


それも美味しいのだが、どちらかといえばこちらの方が好きだった。かぶりつくと瑞々しくて甘い果汁が口の中いっぱいに満ちる。気をつけないと口周りがベタベタになるのが難点だけど。

もちろんそれをのせたままのルーの手も汚れるのだが、皿に入れろと言うと不機嫌になるので諦めた。その濡れた手を何の気なしに服で拭おうとするので、見兼ねていつからか舐めとってやるようになった。

あたしの舌は猫よりも滑らかだがそれなりにザラザラしているので、ちょっと痛いと思うし、唾液をなすりつけるようで抵抗はあるのだが、服に染みを作るよりはマシである。


すっかり草食系になってしまったようだが、実際ほとんどそうだった。魔、というのは特殊な生き物のようで、食事に体が適応して変化するのである。

だからルーは、あたしをベジタリアンにしようと考えた。空腹に任せて、小動物や人の子供に襲いかかったりする心配がないように。……そういう可能性があると、周囲に考えさせないように。

あの幼い頃からそんなことを考えていたのかと感心する。さすがである。



「じゃあ。行ってくるね」

――青年は稀に、屋敷にあたしを残して数日出かけた。帰ってくると、決まって彼の周りを好奇心旺盛な蝶が舞う。鱗粉は彼を責めるようにまとわりつくから、「少し離れていてね」と念じて尻尾をパタパタする。

あたしは、「ああまたあたしの同朋を殺してきたのだ」と思うけど、気づかないフリをする。王子はあたしのために、この国で暮らす魔の数を減らしに行く。あたしという従順で安全な魔の娘の地位を守るために、あたしの存在がこの国の安全に貢献していると示すために。


大抵少しやつれているから、まとわりつくのはやめて、さっさとお湯を使わせて、寝床に追い込むのだ。そして未だわずかに残るにおいに髭を震わせて、子供の時のように彼の枕になってやる。

ルーとは同じ経験をしなくとも、あたしたちは繋がっている。その手はあたしの前脚で、切り裂くのはあたしの爪で、断ち切るのはあたしの尖った牙だ。

同胞を、会った事もない仲間たちを殺すのはあたしだ。


例え彼が涙を流すことはなくなっても、あたしは背中を貸すのをやめない。その自己嫌悪も罪の意識も、全て共有すべきものなのだ。

青年の頭が、その金色の髪が、あたしの呼吸に合わせて上下していた。その眩しさに記憶の炎の色を重ね、その上で彼のためにゴロゴロと喉を鳴らした。


――そう、最初からもう、青年は泣かなかったのだ。ただ自分に取り付く数匹の蝶を呆然と眺めていた。あたしはにおいでわかっていたけれど、目があった瞬間、その表情が怯えた子供のそれに変わる。あたしは代わってやりたくて、けれどそれは叶わなくて、ただ近くでそのにおいを嗅ぎ、手を舐めてやった。本能的な懐かしさ、姿は知らずともわかる、そこに染み付いた同類の残滓に身がすくんだ。


――その魂ごと、穢れに――


声を思い出す。生まれる前に聞いた、人であったあたしの記憶。


あたしでは、救えないのか。ただ入れ替わっただけでは、彼を業から引き上げてやることは。


おずおずと頭にのせられた手が、震えながらも耳をおさえないようにそっと毛並みをすいていった。


――それなら、あたしも染まるだけだ。同じように。同じだけの――拭えない穢れに。


おかえり、と一言送ったあたしに、彼は顔を歪めて笑った。


この日、あたしは青年に名前をねだった。


怖がりな彼が、あたしをいらなくなるまで、その罪に耐えられなくなるまで、その名を使おうと、決めたのだ。




――整えられた芝生が夜の色に染まって、月が上天に輝いた。あたしの背中に頭をつけて、青年は子供のように眠っている。その安らかな表情は、いつしかあたしの胸を締めつけるようになった。


「――あたしはまだ、ここにいていいの?」


だけど、ああ、あたし、ルーがもしいやだと答えた時、きちんと手放してあげられるかな。


「ねえ、ルー」


眠っているはずなのに、青年はあたしの囁きに反応して、ぎゅうと毛を握る。


あたしはふわりと視界に紛れ込んだ蝶に誘われて顔をあげた。月の光を浴びて磨き上げられた銀の籠がきらきらと輝いている。

その脇に無造作に投げ出された果実の方へ、蝶は音もなく羽を動かす。その際あたしの尻尾のそばを通ったけれど、追い払うことはしなかった。

鉄格子の影が尾に落ちて、なんとはなしに動くのをためらったのだ。


あたしはあくびをかみ殺す。青年の体を包むように顎を回すと、月光が傾いて、完全に籠の影に閉じ込められるのをまどろみの夢にみた。

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