《蝕》と犯人と三大家
「でも、あれは《蝕》が取り付いてしまった僕の母上だよ」
「………え?」
意味が解からないと、羽鳥は更に頭を混乱させ、目を点にした。
一ノ瀬の使用人を殺していたのが、昂聖の、母上?
そんな馬鹿な。
羽鳥は笑おうとした。だが、笑えない。
だって、あまりにも目の前の昂聖が寂びそうな目をするから。
誰にも気付かれていない。
羽鳥だけが知る、読める、昂聖の表情。
「母上は自分の意思を実行に移している。《蝕》の力によってね。そして、今母上の意識。魂と言うのかな?それは、ノアの空間に居るんだ」
昂聖は懐から肌身離さず持っている懐中時計を取り出した。突起を押し、文字盤を羽鳥に見せる。
いつもは零で止まっているはずの針が動いている。短針は三。長針は、十を指していた。先端がクラブのような形をした針は六を指している。
「これはノアの空間時計。《蝕》に囚われた者の負の感情の残量と、空間に存在していられる時間を示しているんだ。もう、時間は無いんだよ」
いつもは猫みたいに笑う瞳が、しかし、輝きが失ている。
寂しい?それとも、辛い?
愁いを帯びた瞳が何か思いつめたように伏せられる。
かちりと音を立てて古い時計の蓋が閉じられた。
ノアの空間時計と言ったか。どう言う仕掛けになっているのかは良く知らない。が、昂聖の助けになるのなら、助けてやりたい。
嘗て、羽鳥は昂聖に救われたのだから。
「羽鳥くんには、《蝕》を浄化させる能力がある。そして、ノアの空間に飛べる能力があるんだ。今まで羽鳥くんは知らなかったようだけれど、羽鳥くんのお祖父さんは羽鳥白燈ではないかな?お祖母さんは多分、弥生だろう」
「……はい」
「彼も、昔は硝永家と共に《蝕》を浄化していたんだ。けれど、彼はノアの空間に飛ぶことは出来なかったね。彼の世代までは純粋な羽鳥の血が流れていたから、空間移動の能力は持ち合わせていなかった。解かるかな?羽鳥くんは僕の親戚に当たるんだよ」
親戚?
羽鳥はぱちぱちと何度も瞬きをする。さっきからそうだが、話が唐突過ぎて理解できない。羽鳥は手の中のガラスの小さなオブジェを見つめた。
「一ノ瀬には、ノアの空間に飛べる能力。硝永は、《蝕》の封印。羽鳥は、《蝕》の浄化。嘗て三大家と呼ばれた僕らは、それらを管理するのが使命だったんだ」
なのに。
昂聖は続けた。
透香も、高瀬も宙人も。皆黙っている。長い沈黙が、続く。
「羽鳥は突然姿を消した。白燈の父上が殺害されたのだよ。危機を感じ取った羽鳥は身を暗まし、居なくなってしまった。そうして《蝕》に囚われる人々は増え続けた。一ノ瀬はノアに空間移動して、《蝕》に囚われた人々を解放し、硝永は溢れた《蝕》をガラスの中に封印し続けた。そうし続けるうちに、父上は心をなくしてしまった。ノアに飛ぶには心の一部を動力源とする。飛びすぎて父上は心を使い果たしてしまった。そして、母上は人の変わった父上に一ノ瀬から追放された。それから数十年。やっと羽鳥の末裔である羽鳥くんが見つかったんだ」
「……………」
「驚いたよ。羽鳥家は驚くほどに衰退していた。羽鳥だって昔は僕らのような家柄だったんだからね」
ノアの空間時計を懐にしまい、疲れたように昂聖は笑った。
羽鳥は、何も言えなかった。何も、知らなかったから。
羽鳥は両親を知らない。物心ついたときから羽鳥はお祖父さんである白燈と一緒に暮らしていた。その白燈も、羽鳥がここに来る数ヶ月前に亡くなっている。
「私は、何も、聞いていません。お祖父さんからも、何も」
呆然と、羽鳥は首を振った。
羽鳥を気分のどん底救うように、透香が声をかけた。
「きっと巻き込みたくなかったんでしょう。羽鳥は三大家でもずば抜けて優秀だったんですから」
柔らかな子犬のような笑顔を、透香は羽鳥に向けてくれる。
沈黙の重い中で、それは唯一の安らぎだった。
「だからこそ、羽鳥狙われていた。そして、誰もがもう滅んだと思っていたんだ」
在らぬ方向に目をやり、昂聖は呟いた。
それはどうして逃げたのだと言う尋問にも似たような響きを持っていて、羽鳥は遣る瀬無い気持ちでいっぱいになった。
ぎりりと奥歯を噛み締め、羽鳥は拳を握り締める。
「私に。何が出来ますか?何をすればいいですか?」
唸るような声で、今思いつくだけの言葉を搾り出す。
昂聖が、羽鳥に視線を戻した。
「僕と、透香くんと。一緒に戦って欲しいのだよ」
「私に出来ることなら。私も、最善を尽くします。」
黙っていた透香が口を開いた。
「宙人は、優秀な闘技家なんです。剣道だって、武道だって、何だって出来るんですよ」
子犬のような仕草で羽鳥の手を握った。爪の食い込んでいた手の平を優しく包み込み、柔らかに微笑んでくれる。
振り向けば、静かに宙人が瞑目して頷いた。
「宙人だって、高瀬だって、思っていることは同じなんです」
花の咲いたような笑顔を見せて、透香は淡く微笑んだ。
不意に電子音が鳴り響いた。




