一ノ瀬と羽鳥と硝永
羽鳥の前には、昂聖の邸のような屋敷が建っていた。ただ、昂聖の家とは違って、上下に細長い窓がある。一つ一つが大きい。
昂聖の邸と比べると、大きさも、土地の広さも昂聖には劣るが、いい勝負だ。
にしても、こんなに大きな屋敷を持って何になるのだろうか。権力の大きさを示しているのか。
羽鳥にとっては安アパート一部屋でさえ十分な広さなのに。
近くによると、どうやら吹き抜けがあるらしい。一階の一部がかなり高い位置に天井がある。
贅沢だ。
真っ先に羽鳥はそう思った。
侵入者を拒む大きな門が口を開けた。年老いた執事が丁寧にお辞儀をして出迎えてくれる。
「昂聖様、よく御出で下さいました。透香様がお待ちです」
「高瀬くんはご苦労だね」
「ご案内します」
昂聖のコートに帽子を預かり、高瀬は先陣を切って案内をしてくれる。
外から見ていて思ったが、中も真っ白だ。汚れの知らない白がずっと先まで続いている。何もかも、真っ白だ。
外の外壁も白かった。
「羽鳥くん。ちゃんと持ってきているかな?」
「はい。確かにここに」
白鳥のガラス細工を示す。
「ならいい。忘れてしまっては一大事だ。もう一度出直さなければいけない所だったよ」
様々な物から選んだ白鳥を思い浮かべて、昂聖を見る。
邸の様子からして、ここの主は普通ではないようだ。
広い敷地の割には使用人が余りに少なくは無いか?
昂聖の持つ(正しくは父上だが)敷地よりは狭いにしても、高瀬以外の使用人が見当たらないのはおかしい。
ぐるりと辺りを見回すが、人影どころか、気配すらしなかった。
「ここは全くと言っていいほど使用人はいないよ。キョロキョロしたって無駄さ。落ち着きが無いよ。羽鳥くん」
「すみません……」
罰の悪そうな顔をして、羽鳥は視線を下へ落とした。
「では、誰が掃除を?この広さでは数少ない使用人で手入れするには広過ぎるかと……」
それに、塵一つ落ちていない。
さっき通りかかった時にあった台を見てみたが、見事にぴかぴかになっている。隅々まで気が行き届いていた。
あんなに丁寧な掃除を数人でやるなんて一日かかっても無理だ。
「もちろん、全て宙人くん一人で、だよ?」
羽鳥は驚いて視線を上げた。
人差し指をぴんと立てて、昂聖は器用に後ろ向きに歩く。
危なっかしい行動を取る昂聖が気になるのか、高瀬ははらはらと仕切りに視線を送っている。
「その、宙人くん…とは?」
「透香くんの側近だね。透香くんが頼めば彼は直ぐに掃除なんてやってくれるのさ。彼とってこの屋敷の掃除は、箒で一掃きに等しいんだよ」
だから他の使用人は要らないのさ。
気分良く微笑んで昂聖は軽い足取りで歩く。
羽鳥はただ驚くしかなかった。
「高瀬くんは硝永家代々から続く由緒正しき執事。家にはそういうのが無いから羨ましいねえ」
「ご冗談を」
「うん、冗談さ。でも素直にすごいと思えるね」
「それはそうですね」
昂聖の意見に賛同し、頷いた。
先祖代々からって、執事として生きることを生まれながらの使命にしているようなものだ。
僕だったら疾うに辞めてるね。
昂聖が呟いた。
羽鳥とて、生まれながらの執事などと縛られたくない。今回執事として働いているのは、たまたまなのだから。
「透香様。昂聖様をお連れ致しました」
大人である高瀬ですら端に届かない大きな扉を開くと、人形のような整った顔立ちの少女が、ガラスで出来た小物をたくさん並べた部屋で佇んでいた。
「昂聖!」
年は昂聖と同い年だろうか。
昂聖の姿を見るなり突然飛びついてくる。
ミルクチョコレートのような髪はカールがかかっていて、柔らかな印象を与えた。
「透香くん、久しぶりだね」
「久しぶり。元気だった?」
「もちろんだとも」
にっこりと昂聖は笑って答えた。
「透香くんの好きなガラスも持ってきたのだよ?羽鳥くん、渡してもらえないかね?」
「はい」
「羽鳥……くん?」
透香は可愛らしく首を傾げ、羽鳥を見上げた。
「あなた、羽鳥って言うの?名前は?」
「はくび。白い弥生の弥で、白弥です」
丸い目を瞬かせ、花のように笑う。
「羽鳥白弥、ね。いい名前。通りで力のあるわけだわ」
「力……とは?」
「昂聖。まだ話してないの?」
「時期が来るのを待っているだけだよ」
「そう…。昂聖が言うのならそうなのね」
「?」
次は羽鳥が首を傾げた。
この方もいい加減と言うか、昂聖に似ている。
眉を寄せて怪訝そうにする羽鳥に、高瀬がそっと呟いた。
「透香様は、昂聖様の許婚で御座います」
「えっ?許婚、ですか?」
「はい」
「二人は幼馴染なんです。家柄としても、昔からの付き合いでそうした方がいいだろうと」
「うわっ」
反対側からも聞こえた呟きに、羽鳥は文字通り飛び上がった。
高瀬よりも高く、通りのいい声。
横からいつの間に居たのか、羽鳥より僅かに小さい頭がひょこりと視界に入る。
落ち着いた雰囲気が印象的な少年だ。きりりと引き締まった顔が大人びて見える。
「あなたは?」
「日比谷宙人です」
そう言って、宙人は丁寧にお辞儀をしてみせる。
この子が昂聖の言っていた、宙人。
羽鳥よりも小さな体のどこにそんな力があるのだろうか。
人は見た目で判断するものじゃないなと、改めて実感する。
「あ、あなたが宙人さんですか?」
「はい」
素っ気無く宙人は返事を返した。
あまり多くの感情は語らない。透香と対照的。そういった感じの人だ。
「羽鳥くん。こっちに来てくれるかい?」
高瀬と宙人に挟まれた羽鳥を、昂聖が手招きした。
「これを触って欲しいんだが」
昂聖の指差す透香の手の中に、丸い水晶玉が乗っかっている。
何故か、透香の手に乗る水晶玉は、透香の肌の色を映すのでもなく、中心に黒いものが蜷局を巻いている。
「何ですか、これは………」
「手を出してもらえますか?」
「こう、ですか?」
透香に手を差し出す羽鳥の手の平に、どろりと黒い物が流された。
反射的に手を引っ込めそうになるが、何とか耐えて固まる。
透香の手の中の水晶玉は本来の色に戻っている。透き通る色で、今は、透香の肌の色を透かしている。
何の変哲もないただの水晶玉だ。なのに、それに入っていた、このどろどろとしたような、それでいて自身の意思を持つ生き物のような。液体でありながら形を持とうとしている手の平に乗る《これ》は何なのだろうか。
「やはり…そうみたいだね」
「はい?」
昂聖が呟くと同時に、手の平に乗った黒い物体が、しゅうしゅうと白煙を上げる。もがき苦しむように《それ》は蠢きだんだん小さくなっていって、消えた。
「……………昂聖様…なんですか、これは…」
異様な光景に他の言葉が見つからない羽鳥は、露骨に嫌な顔をして自分の手の平を見つめる。
「今のは《蝕》と言ってね。これが人間の体内に入ると、心の内に閉じ込めている負の感情が引きずり出されるんだよ」
クロスのひかれたテーブルに乗る、さっきとは別のガラスを手に取り、ゆらゆらと中身をかき混ぜる。
やはり、その中に入った《蝕》というものは光の一切差さない黒い色をしている。
「症状としては個人差があるけれども、大体はこの《蝕》に負の感情が喰われてしまうから、至ってポジティブ思考になる。末期は物事の良い悪いの区別がつかなくなるね。強い思いによって、その思いを実行に移そうとしたりする。そうして最終的に感情を喰われてしまったものは皆、生きながら死んでしまうのさ。感情だけが抜け落ちた人間。そうなったら元には戻らないんだよ」
半ば頭を混乱させて羽鳥は首を傾げ、何度か目を瞬かせた。
「そんな物を私に触らせたんですか!?」
「だから言っただろう?キミは特別なんだと」
手の中の《蝕》入りのガラスを昂聖は投げ渡してくる。
先ほどまで激しく蠢いていた《蝕》が、羽鳥の手の中でおとなしくなる。怯えているようだ。
「この《蝕》と言うものは、ガラスの中に閉じ込めることが出来る。言わば、結界みたいな物だね。もし割れてしまったら、その《蝕》は開放されてしまう」
昂聖はテーブルに寄りかかり、片手でぱんっとガラスの砕けるジェスチャーをした。
「《蝕》の弱点は純粋な魂には取り入ることが出来ない所。最近ね、この《蝕》を使って悪巧みをする連中が居るんだよ」
「それが、今回の使用人殺しの犯人ですか?」
「流石は羽鳥くん。勘が良いね」
昂聖はわざとらしく拍手をする。
いつもは笑っている瞳から輝きが失せている事に、羽鳥は気がついた。




