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紅茶と食事と白鳥

「昂聖様」

 僅かなカーテンの隙間から零れた朝日が昂聖の顔にかかる。穏やかな寝顔が目を刺すような光にくしゃりと歪んだ。

「昂聖様。お時間ですよ」

 湯気の立つ熱い紅茶を注ぎ、茉莉花と共に朝食の準備をする。

 昨夜、昂聖と話をして、結局二人一組で行動をすることを新たなルールにしようと決まった。そして、昂聖の考えからして、犯人の狙いは一ノ瀬に近い人間。一ノ瀬に執着している人間。昂聖自身は狙われていないと言う。今の所は。

 所々、腑に落ちない所があるのだが、昂聖が言うのであれば従うしかないし、実行するしかない。

 何かあればきっと昂聖は話してくれるだろう。

 それまで待つしかない。

 アンティークのティーカップに似合いな上等な紅茶が注がれる。

 昂聖の朝は熱い紅茶と甘い物から始まる。






 ――昂聖様の朝食はどうしましょう?

 昂聖の機嫌を損ねないために、羽鳥と茉莉花は二人で朝食の調達に行ってきた。ワゴンに豪華な食事を乗せて運ぶ。羽鳥は茉莉花の横に並んで歩いていた。

 特にあの後、何か起こったようには見えない。使用人を集め、昂聖の命を伝えると、羽鳥は直ぐに茉莉花と共に部屋に戻ってきた。

 使用人の安否を確認した以上、直ぐに昂聖の元に戻らなければ。

 使用人としての意識が働いているのか、昂聖の元に戻らなければ、と言う思いが強かった。

「昂聖様、紅茶が冷めてしまいますよ」

「……ああ…羽鳥くんか……」

 小さく身じろぎをして、昂聖は羽鳥に焦点を結ぶ。

「おはようございます」

「…おはよう……」

 くわぁっと欠伸をして、昂聖はベッドの端に座った。近くに置いた懐中時計を手に取り、突起を押して文字盤を確認する。

 動いてもいない懐中時計をどうしてそんなに大事にするのか、羽鳥には不思議だった。

「羽鳥くん……今日は街へ出ようか…」

 脇に時計を置いて再び欠伸をする。

「こんな事件が起こっているのに、ですか?」

「だからこそだよ」

 眠たそうな目を擦りながら、いつもよりもゆっくりとした口調で昂聖は言った。

 着ていたローブを脱がし、用意したシャツを着させる。ボタンを閉める手元を見つめながら、羽鳥は次に、昂聖の首元にリボンを回す。慣れた手つきで流れるように作業をこなしていき、昂聖を食事につかせた。

「今日はちょっと会いたい人がいるんだ。きっと今回の件で役に立つよ?」

 確認を取るような口調で、紅茶を口に含み、昂聖は淡く微笑む。

 事件の役に立つとはどういうことなのだろうか。

 それはどのような方なのですか?

 頭に浮かんだ言葉を飲み込み、一つ了承したように羽鳥は頷く。言ったところでどう返されるか。羽鳥には解かっていた。

 きっと優美にその黒に限りなく近いダークブルーの瞳を細めて、「行ってからのお楽しみだよ」と、言うのだろう。だったら聞かなくても同じだ。

「それよりも、ちゃんと食事を摂って下さい。甘いものだけでは栄養不足です」

「大丈夫さ。全部食べるよ」

 スプーンを一振り。用意された朝食に手を付ける。

 昂聖は一度言ったことは責任を持って最後までやり遂げる。

 好きなだけ甘いものを食べても良い。その代わり、用意した料理は全て食べること。

 過去に一度だけ羽鳥が昂聖とのゲームに勝った時に約束したものだった。

 ――そんなもので良いのかい?君にはもっと他の願いがあると思っていたのだが…

 残念そうな表情を浮かべて、だが、直ぐにその表情も切り替わる。

 ――約束……ね。何、僕には簡単なことだよ。

 そう言って昂聖はふふ、と不適に笑って頷いた。

「そうだ。羽鳥くん」

「何ですか?」

 口の中に残るトマトを紅茶で流し込む。

「ガラス細工の何かを。置物でも、小物でも何でも良い。できれば白鳥がいいね。一つだけ用意しておいてくれるかな?大きさの指定も何も無い。ただ、なるべく美しくて綺麗な物を頼むよ」

 首を傾げて、羽鳥は頷いた。

 具体的な指定が無いのが一番困る要望だ。

 それに比べて、今日の要望はいつものより具体的で助かる。

「茉莉花くんは僕と羽鳥君が居ない間、一人にならないことだね。そうだ、アシュレイと一緒に居るが良い。あれはきっといざという時に助けてくれるよ」

「はい」

 素直に頷いて茉莉花は頭を下げた。

 アシュレイとは、昂聖が雇っていた使用人の息子だ。今回の事件で母親が死亡。母子家庭で、何度もこの邸を訪れていたことから、アシュレイを気に入っていた昂聖が引き取った。

「ですが、大丈夫ですか?アシュレイはまだ七歳です。それなら他の方と居た方が……」

「大丈夫だよ、羽鳥くん。キミは少し心配し過ぎではないかね?アシュレイはキミが思っているよりもずっと賢い。何かあれば直ぐに知らせてくれるさ」

「…そう……ですか…?」

「ああ、そうさ」

 全ての料理を平らげ、昂聖は立ち上がった。

「じゃあ、羽鳥くん。頼むよ?僕たちはアシュレイの所に居るからね」




 ◆   ◆   ◆




 一人緑に囲まれ、幼い少年は一輪の花を眺めていた。

 鮮やかに咲乱れるのは花壇の真っ赤な薔薇。その中に紛れ込んだ穢れを知らない白い花の花弁をアシュレイは指先で撫でた。本来なら雑草のように抜かれてしまうものだが、アシュレイはそうはせずに毎日じっと花の成長を見守っていた。

「アシュレイ」

 ぴくりとアシュレイの瞼が動いた。呼んでる。

 ゆっくりと後ろを振り返ると、にこにこと笑った昂聖が、アシュレイの頭を撫でた。

 漉き取るような銀髪。アシュレイの母も、こんな銀髪だった。その大好きな母も、今はもう居ない。

「また見ていたのかい?」

 ふっくらとした子供らしい頬を人差し指の背で撫でる。

 小さく頷いた子供の目の高さに合わせ、昂聖はしゃがみ込んだ。

「ようやく咲いたんだね。良かったじゃないか」

 いつも思うが、昂聖のこの顔は感情が読めない。アシュレイもそうなのだが、別に意図的に隠しているわけではないのだ。これは生まれつきだ。

 昂聖は何かを悟られまいとしている。

「アシュレイ。一つ、頼まれごとをしてくれるかい?」

 アシュレイは身じろぎ一つしなかった。じっと昂聖を見つめて動かない。

 昂聖はアシュレイの手に銀色の何かを渡した。

 アシュレイが手を開くそこには携帯が握られていた。

 スライド式のものだ。

 昂聖がアドレスを開くと、《一ノ瀬昂聖》の名前だけがディスプレイに現れる。登録されているのはこの一件だけだった。

 昂聖が首を傾げると、アシュレイは無言のまま、手の中の携帯をくっと握り締めた。

 満足そうに昂聖は頷く。

「茉莉花くん、これで大丈夫だよ。アシュレイはキミを護ると言っている」

「え…っ?」

 茉莉花が驚いたように顔を上げた。

 見ている限り、昂聖とアシュレイは会話と言う会話をしていない。ただ携帯を渡して終わり。そんな感じだ。しばらく妙な沈黙があったが、それはどういうことなのだろう。

「アシュレイはちゃんと話しているよ?キミが聞こうとしていないだけさ。アシュレイと話せるのは、今のところ僕と羽鳥くんだけだね」

 茉莉花は首を傾げた。

「昂聖様」

「やあ、羽鳥くん。随分と早いご到着だね」

 白鳥のガラス細工を手に、羽鳥がやってくる。

「今日はわかりやすい物だったので……」

「希望の物は見つかったんだね」

「はい。出発の準備も出来ています」

「そうか。じゃあ、すぐにでも行くとしようかな」

 羽織っていたメデルのコートに腕を通して、帽子を被った。これも、メデルの作ったオーダーメイドだ。大抵の昂聖の服は全てメデルのオーダーメイドである。

 手触りの良い生地が風で翻った。

「何ですか?アシュレイ」

 羽鳥の元に、アシュレイが駆け寄った。何も喋らず、ただ羽鳥を見上げている。

 その真っ直ぐな瞳を、羽鳥も見つめ返す。

「………。大丈夫です。いなくなったり、しませんよ」

 安心させるように羽鳥はアシュレイの銀髪を撫でた。するりと指をすり抜けて、アシュレイの髪は風に踊る。

「では、行って来ます」

 にこりと笑うと、アシュレイはこくりと頷いた。そして、茉莉花の手を取る。

「茉莉花さん。アシュレイは茉莉花さんと遊びたいみたいです」

「え?」

「アシュレイの心の声を聞いてあげてください」

 ふかぶかとお辞儀をして、羽鳥は待たせているであろう昂聖の元へ駆けて行った。

「心の、声を……?」

 アシュレイと二人残された茉莉花はどうすればいいかわからなかった。

 心の声と言われてたっていまいちぴんと来ない。それに、茉莉花は今まで一度もアシュレイに会ったことが無かったのだ。初対面。ここに来たのは二週間前で、仕事だってまだ覚えることがいっぱいある新米なのだ。

 どうしよう。

 途方に暮れながらも、茉莉花は花壇で花を見つめるアシュレイへと視線を走らせた。

『お姉ちゃん。一緒に水遣りしよう?』

「えっ?」

 頭に響くような声があった。

 驚いて、声の主を探そうと茉莉花は辺りを見回すが、当然のように誰も居ない。

『お姉ちゃん?』

「アシュ…レイ、くん?」

 無言のアシュレイと視線が合うと、テレパシーのように頭に直接声が届く。高く、幼い、子供独特の声だ。

『やっと聞こえた』

 アシュレイが笑った。気がした。

『お花が、喉渇いたって言ってるの』


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