第2話:沈黙の街と大人たちの正体
占領から三日が過ぎた。
空を埋め尽くしていたドローン群は姿を消し、街は不気味なほどの静寂を取り戻していた。電車や公共交通機関は止まったままだが、信号は灯り、水道からは水が出る。街のインフラが一つも壊されていないことが、かえって人間の無力さを際立たせていた。
学校は避難所兼「暫定コミュニティセンター」として占領軍に指定された。
体育館に集められた数百人の住民の中央で、甲高い声が響く。
「だから! 政府は一体何をやっているんですか! 自衛隊がもっとしっかり対応していれば、私たちがこんな目に遭わずに済んだはずでしょう!?」
叫んでいるのは、近所でPTA役員を務めていた中年男性だった。周囲の大人たちも、同調するように口々に不満をぶちまける。
「そうだ! 支援物資の配給も遅い!」
「誰かが責任を取るべきだ!」
「私権の制限なんて憲法違反だぞ!」
校庭には、銃を構えた二足歩行兵器『歩兵型09式』が二機、微動だにせず立っている。そのカメラアイは、大人たちの怒号を「物理的脅威度:ゼロ」と判断しているのか、見向きもしない。
ご丁寧に、奴らはちゃっかりとコンセントから充電しながら監視をする。インフラを破壊していないメリットは住人の極端な反抗やパニックを抑えるだけでない効果的な作戦であることが分かる。
葵は体育館の隅で、膝を抱えてその光景を見ていた。
胸の奥を激しい吐き気が襲う。
(……誰も、自分でどうにかしようとしてない)
それでも大人たちは勝手にパニックになり、誰かを責め、誰かが助けに来てくれるのを待つだけ。かつて「しっかりしなさい」「ルールを守りなさい」と自分たちを指導していた大人たちが、ここではただの「文句しか言えない烏合の衆」に成り下がっていた。
ふと、恐ろしい思考が葵の脳裏をよぎる。
【このまま流されて、大人になれば――《《俺もああなるのか》》?】
将来のことなんて考えず、なんとかなると楽観視していた自分の姿が、あの醜く喚き散らす大人たちに重なった。激しい拒絶感と絶望が、葵の体を苛む。
「……葵、お水持ってきたよ」
隣に結衣がしゃがみ込み、紙コップを差し出してきた。その手はかすかに震えている。
「ありがとう、結衣」
「……ねえ、私たち、これからどうなっちゃうのかな。葵がいてくれてよかった。私、一人だったらどうしていいか……」
結衣は葵の腕にそっと身を寄せた。葵を頼ることで、自分の恐怖から目を背けようとしている。
自宅に帰ることも長距離移動も禁止された。スマホは没収されなかったが、電波は入らない。Wi-Fiは繋がるが、アクセスできるサイトは限定されている。
葵もまた、結衣に頼られることで自分の無力さを忘れようとしていた。互いに依存し合うことでしか、この現実から逃れられない。
「おい、甘ちゃん二人組。傷のなめ合いは終わったか?」
低い声とともに、体育館の床近くにある換気窓から顔を出したのは龍平だ。
葵は監視から見えないように気を使うが、外にいる龍平はあまり気にしていないようだ。
「龍平……どこ行ってたんだよ?」
「親父のトラックのガレージだ。占領軍の動きを観察してた」
「観察って……危険だろ!」
「ボーッとここで文句垂れてるより100倍マシだ」
龍平は窓の外から、声をひそめた。
「いいか、葵。この街を支配してるのは『中国軍』じゃねえ。中国のトップすら権力を預けた統制AI『天帝』だ。あいつらは感情で動かない。ルールに従っていれば殺されないが、反抗の兆候を見せた瞬間に消される」
「そんなの……どうすればいいんだよ」
「まず、この集団から離れる。自分たちの頭で考えられない奴らと一緒にいたら、巻き添えで死ぬか、洗脳されて某国みたいになるぞ……」
その時だった。
重厚な金属音が響き、学校の正門が開いた。
黒塗りの大型車両とともに、数機の09式ロボット兵、そして胸に『文化統制部』のバッジをつけた中国側のアドバイザー――チェンと名乗る男が現れた。
「中華点心飯店のチェンさんじゃないか……そんな格好して」
どうやら知り合いだということで、先ほどまで文句を垂れ流していたPTA役員の中年男性が近付く。
「シノハラさん、私は国防動員法に基づき、国の指示に従って動いています」
「チェンさん何言って……」
そこから先は、周囲にいた『歩兵型09式』が銃を構えてシノハラを下がらせる。事態を飲み込み切れないが、銃口を向けられて黙って下がるしかない。
チェンは避難所の体育館の壇上に上がり、手元のタブレットを操作し、体育館のスピーカーから合成音声を出力させる。
『住民の皆様に通知します。本日より、新教育プログラムおよび社会適応講習を開始します。日本の伝統文化、言語、歴史はすべて古代中国を起源とするものであり、本来の正しい文脈へ還元されます。特に若年層は、優先再教育の対象となります』
体育館がざわつく。チェンの後ろのスクリーンに、生成AIがリアルタイムで作成した「日本の歴史がいかに中国起源であるか」を証明する精巧な捏造映像が流れ始めた。
「な、なんだそれは! 歴史改竄だ!」
大人たちが騒ぎ出すが、09式が一歩踏み出し、銃口を天井に向けると一瞬で静まり返った。
チェンの視線が、生徒たちの列をなぞる。そして、まっすぐに結衣を指さした。
『橘結衣さん。あなたの学業成績および適性データに基づき、第1期「文化還元モデル生徒」として指定します。別棟へ移動してください』
結衣のほかに数名の生徒の名前が呼ばれる。
「え……? 私……?」
結衣の顔から血の気が引く。モデル生徒――それは、AIが算出した「従順で扱いやすく、見せしめとして効果的な若者」の洗脳・協力機関への編入を意味していた。
「待ってください! なんで結衣が!?」
葵は思わず立ち上がった。だが、09式の無機質なカメラアイが瞬時に葵をロックオンする。
『発言の撤回を推奨します。拒絶は「国家統制法」違反とみなされます』
「葵……!」
結衣が怯えた目で葵を見る。葵の足がすくんだ。
銃口を突きつけられ、圧倒的なシステムの前に、何も言えない。自分が今までいかに「大人」や「社会」というシステムに守られた子供だったかを痛感させられる。
結衣の手が、葵の服から離れていく。
(嫌だ……助けなきゃ……でも、どうやって?)
その時、学校の外輪山の方角から、突如として激しい爆風と銃声が轟いた。
タタタタタタッ! ドォン!
「敵襲!? いや、AIの通信障害か!?」
校庭の09式が一斉に哨戒モードに切り替わり、チェンが顔をしかめる。
混乱に乗じて、龍平は裏口から体育館に入り、葵と結衣の首根っこを掴んだ。
「葵、結衣、走れ! こっちだ!」
葵たちは、大人たちがパニックで逃げ惑う体育館を飛び出し、龍平の手引きで裏門の山林へと駆け込んだ。
裏山の手前、ガレキの陰に潜んでいたのは、全身泥まみれの自衛官だった。自衛隊の徽章は引きちぎられ、右腕から血を流している。
「子供か!? なぜこんなところにいる、早く伏せろ!」
自衛官は葵たちを物陰に引きずり込むと、手にした89式小銃の残弾を確認した。
「自衛隊……? まだ戦ってたんですか! 隊長からの指示は!? 本部は!?」
葵が必死で問いかけると、自衛官は自嘲気味に短く笑った。
「本部? 命令系統なんて初日で全滅したよ。将校も、政治家も、全員真っ先に抑えられた」
「じゃあ……なんで!?」
「命令なんてない。だがな」
自衛官は血の滲む唇を噛み締め、校庭で連行されそうになっている他の生徒たちを見つめた。
「目の前で、守るべき市民が踏みにじられてるんだ。命令がなきゃ動けないなら、俺はただの給料泥棒だろ。自衛官として、ここは死んでも譲らん」
自衛官は葵の肩を力強く掴んだ。その手は温かく、血と泥の匂いがした。
「ボウズ。前を見ろ。国が負けたって、お前たちの人生まで負けたわけじゃない」
そう言い残すと、自衛官は単身、圧倒的な戦力差のある09式とドローンの群れに向かって突撃していった。被害を無視して押し寄せるロボット兵に対し、己の命を盾にして時間を稼ぐために。
自衛官としての背中。
システムに依存せず、己の意志と責任で戦う人間の姿。
葵の胸の中で、何かが音を立てて砕け散った。
(大人全員が、腐ってたわけじゃない……。俺は……俺は何をやっていたんだ?)
文句ばかり言う大人。システムに従うだけの先生。そして、助けを待つだけだった自分。
命を捨てて自分たちを逃がそうとしている自衛官の姿を見た瞬間、葵の瞳から「子供の甘え」が消え去った。
「……龍平」
「あ?」
「結衣を絶対に奪わせない。……俺たちのやり方で、反撃する」
龍平は葵の顔をじっと見つめると、不敵な笑みを浮かべた。
「やっと目覚めたか、遅すぎんだよ甘ちゃん。……親父のガレージに、AIの目をごまかせる『現場の遺物』が山ほど眠ってる。行くぞ」
絶望の占領下で、一人の少年が「自分の足で立つ」決意を固めた。




