第3話:ノイズと決意
龍平の父親が経営する運送会社のガレージは、街の郊外、山あいの目立たない場所にあった。
油と金属の匂いが立ち込める暗がりの中、葵たちは息を潜めていた。外では時折、哨戒ドローンの不気味なローター音が遠くを過ぎ去っていく。
「親父は昔から『トラックの配線と現場の裏道だけは裏切らない』って言ってた」
龍平がシートを剥ぎ取ると、そこには昭和から使い込まれた旧型の大型トラックと、レガシーな無線機、そして整備用の機械工具が並んでいた。
「ここにあるのは、最新のネットワークに繋がっていない完全なアナログ機器だ。統制AI『天帝』はデジタル通信やGPS、現代の規格化されたネットワークを監視している。だが、この手のアナログな高出力周波数や、現場の人間しか知らない物流の裏道までは学習データに入れてない」
「……だから、監視網の隙間を突けるってことか」
葵はガレージの片隅にあった古いノートパソコンを引っ張り出し、龍平が持ち帰っていたAI兵器の破損した通信チップ(先ほどの自衛官が残した戦果だ)を有線で接続した。
「統一規格《USB》ってこういう時は便利だな」
古いパソコンを起動すると、OSも古い。HDDがカリカリと音を立てて起動にもやたら時間がかかる。骨董品の様なものだが、スタンドアローンで動くのだからありがたい。
「将来のことなんてどうでもいい」と思って何もしていない葵だが、父親の勧めでただの暇つぶしで弄っていたプログラミングの知識。それが今、この極限状態において唯一の武器になろうとしていた。
「葵……私、やっぱり怖い」
膝を抱えて震えていた結衣が、ぽつりと呟いた。
「葵に頼ってばかりで……私、モデル生徒に選ばれた時も、ただ怯えて葵の服を掴むことしかできなかった。……葵が守ってくれるって、ずっと甘えてたんだと思う」
結衣の目から涙がこぼれ落ちる。
実際には、葵は動けなかった。
「でも……あの自衛官の人を見て、分かったの。守られるだけの存在でいたら、私はあいつらに心まで書き換えられちゃう。……私にも、何か手伝わせて。葵の後ろに隠れるのは、もうやめる」
葵は結衣の目を真っ直ぐに見つめ返した。かつての「お世話される側」と「お世話する側」という歪んだ依存関係は、そこにはなかった。
「ありがとう、結衣。助かるよ。……俺も、ずっと楽観視して現実に目をつぶってた。でも、もう逃げない」
葵はキーボードを叩く手に力を込めた。画面に流れる、複雑な暗号解読データ。
ホワイトハッカーを目指すのも一つの道だ……そんな話から暗号解析は一時期暇つぶしという名目ではまった経験だが、それがいま生きている。
「見えた……! AI『天帝』のロジックだ」
葵が示して見せたのは、AI兵の戦術計算アルゴリズムの解析結果だった。
「『天帝』の予測精度は完璧だ……それゆえに実行アルゴリズムはシンプル。人間の『合理的行動』――生存確率の最大化、最小リスクでの攻撃、軍事的な定石――は100%読まれている。自衛隊の反撃が一瞬で封じられたのはそのせいだ。……でも、弱点がある」
「弱点……?」龍平が身を乗り出す。
「AIは『感情による不合理な行動』を想定していない。例えば、軍事的価値がゼロの場所への突撃や、生存確率を無視した選択、あるいは……人間同士の個人的な思い出や文脈に基づいた行動だ」
体育館での大人たちの無駄な言い争い……武装行動ではないから放置していると思っていたが、理不尽な言い争いを止めるべきか迷っていたとしたら……
「それをデータとして流し込まれると、AIの予測モデルに一瞬の計算遅延が発生する」
「計算遅延……」
「たった数ミリ秒かもしれない。でも、その一瞬があれば、監視網を突破して敵の地域統制サーバーにアクセスできる。そこから通信ログを奪取できれば、この街の占領軍の『死角』が完全に特定できるはずだ」
龍平はニヤリと笑い、葵の背中を叩いた。
「言うようになったじゃねえか、甘ちゃん。……よし、作戦を立てるぞ」
◇
翌朝。
街の中心部にある市役所跡地。そこは現在、占領軍の地域統制AI『天帝』のノード(中枢サーバー)が置かれ、大量の『歩兵型09式』と哨戒ドローンが厳重に警備していた。
チェンが率いる文化統制部隊もまた、そこに本部を構えている。
「まったく、当局のやり方は強引だと思っていたけど、全部うまくいってるね……天帝AIは凄いね……日本人に恨みは無いケド、結局逆らうことはできないね」
モニターに映し出される指示はシンプルだ。
「全ユニットに通知。周辺エリアの警戒レベルを維持せよ」
チェンが端末を操作していたその時――突然、市役所周辺のサイネージや通信端末から、脈絡のない「巨大な音波とデータ」が爆発的に再生された。
それは、高校生たちしか知らないローカルな遊びの音声データ、過去のくだらない動画、そして葵と結衣と龍平が過ごした「無意味で不合理な青春の記録」を、龍平のアナログ送信機で最大出力に増幅させたデジタルノイズだった。
『警告:未知のデータ入力。重要性を解析中――CPU負荷99%――エラー:例外処理不能』
次の瞬間、市役所を警備していた『歩兵型09式』たちのカメラアイが一斉に狂ったように明滅した。
赤く光っていたセンサーが、警告音とともに黄色い「緊急待機モード」へと強制変更される。
無機質な金属の巨躯が、まるで糸の切れた人形のようにガクガクと関節を震わせ、その場に棒立ちとなった。
空を舞う数十機のドローン群もまた、攻撃目標を見失い、ブーンという重低音を響かせたまま空中でピタリと旋回を止めて静止している。
「な、なんだ!? ロボットたちが動かない!? 通信エラーか!?」
チェンがパニックを起こして端末を叩くが、あまりに過剰で無意味なデータの流入に対し、完璧すぎたAIのセキュリティ構造が裏目に出て、システム全体に「数秒間の強制再起動」がかかっていた。
「今だ! 一斉再起動が終わる前に突っ切るぞ!」
ガレキの陰から飛び出したのは、大型トラックを駆る龍平だった。
現場の裏道を熟知した正確なドローン回避ルートを通り、敷地の外囲を突破する。
「サーバールームの端末にたどり着いたら、この端末《USB》を差し込むんだ!」
「分かってる!」
葵も結衣も大量の昔の古いUSBメモリを持っている。
AIを破壊するような高度なハッキングは高校生の葵には無理だ。
「自分の分身をガンガンファイルコピーしまくる増殖系のウィルスなんて最近見ないだろ?」
それは葵が小学生のころに初めてPCを触って、ハッキングの勉強で習った悪意ある増殖系ウィルスの初歩的なもので、今どきはネットワークを介して散布されることはない。
「だけど、直接アクセスして流し込んだらどうなるのかな?」
サーバールームを中心に、端子を見つけたらともかく差し込みまくる。
無計画だが、それが精いっぱいだった。
ロボット兵器たちがコンフリクトから復帰し、トラックへ銃口を向けたその瞬間――
「葵!全部差し終わった!」
「こっちもだ!……結衣、行くぞ!!」
普段から使っているスマホの画面には、特定Wi-Fiから中国発信の情報のみが受信可能だったものが乱れ、見慣れたクーグルやWhotubeのページが受信可能になる。
「よし、原始的だけどウィルス攻撃は有効だ……」
葵はデータを見つめ、確信を込めて呟いた。
「敵を全滅させることはできなくても……このノイズと非合理な行動を組み合わせ続ければ、AIの絶対的な支配は必ず崩せる……!」
「おい、早くしろ!脱出だ!!」龍平がトラックを横づけする中に葵と結衣が乗り込む。
◇
トラックは占領軍の包囲網を破り、郊外の山林へと脱出した。市役所のノードサーバーは一時的にフリーズし、街を覆っていた完璧な統制網に、明確な「亀裂」が入った。
夕暮れ時。
壊れた高台の展望台で、3人は息を整えていた。
遠くには、まだ占領下にあり、薄暗い影を落とす街並みが見える。空には相変わらずドローンが旋回し、過酷な現実が終わりを迎えたわけではないことを物語っていた。
避難所の大人たちは、きっと今も文句を言いながら助けを待っているのだろう。
だが、葵たちの目にはもう、絶望も迷いもなかった。
「葵」
龍平がトラックのドアに寄りかかり、煙草……ではなく、駄菓子のシガレットチョコを噛み砕きながら葵を見た。
「俺はこれから、このデータを持って親父の物流ルートで全国の生き残りと連絡を取る。どこぞの地方で足止め食らっている親父とも合流を急ぐ……結衣を頼んだぞ」
龍平の瞳には、横恋慕していた結衣への未練と、それを乗り越えて葵を「対等な男」として認めた覚悟が宿っていた。
「ああ。任せろ、龍平」
ふたりの男が、強く拳を交わし合う。
そして、龍平がトラックを走らせて去った後、高台には葵と結衣の二人が残された。
西日が二人の影を長く伸ばす。
侵略が始まる前、葵が「告白しよう」と決意していた、あの日の夕暮れと同じ光景だった。
葵は結衣に向き直った。
ポケットの中のメモはもう捨てていた。飾られた言葉も、楽観的な逃避も必要なかった。
「結衣」
「うん」
「明日はどうなるか分からない。かつてみたいな平和な日常なんて、もう二度と戻ってこないかもしれない。……それでも俺は、結衣と一緒に、自分の足で立ち上がって、自分の未来を選びたい」
葵は結衣の手をしっかりと握りしめた。
「俺と一緒に、戦ってくれるか」
結衣は一瞬目を見開き、それから晴れやかな、今までで一番強い笑顔を見せた。葵の手を強く握り返す。
「うん。……どこまでも一緒に行こう。葵」
それは、かつての「日常を守るための告白」ではない。
残酷な現実を受け入れた上で、共に未来を切り拓くための、自立した二人の「誓い」だった。
手の中には、圧倒的なAI国家に一石を投じる「反撃のロジック」。
空を舞う冷酷なドローンの群れを見上げながら、子供から大人へと脱皮した若者たちは、希望の光を胸に、明日という過酷な戦場へ踏み出していった。
(完)




