第1話:告白前夜のノイズ
「明日、結衣に言うわ」
放課後の教室。西日が射し込む窓際で、浅野葵はスマートフォンの画面を指で弾きながら、どこか他人事のように言った。画面に映っているのは、最新のAIを搭載した二足歩行ロボットの量産化ニュースと、世界一の発電量を更新したという中国のメガソーラー群の映像だ。
「言うって、何をだ?」
隣の席で、巨大なトラックのパーツカタログをパラパラと捲っていた城戸龍平が、心底呆れたような声を出す。親が小さな運送会社を経営している龍平は、普段から油と排気ガスの匂いをどこかに纏わせていた。高校生にしては現実的すぎるその眼差しが、葵の呑気な顔を射抜く。
「決まってんだろ。『付き合ってください』だよ。いつまでも幼馴染のままじゃ、なんかかっこ悪いしな」
「へえ。で、お前のその『将来のこと? なってみなきゃ分かんないっしょ』っていう薄っぺらい人生設計のどこに、結衣を巻き込むつもりなんだ?」
「そんな言い方すんなよ……俺だって、何も考えてないわけじゃない」
「へぇ。じゃあどんな将来設計があるのか参考までに聞かせてくれよ」
龍平の顔は、まじめな顔をすると両親の影響もあるのか迫力がある。
葵は嘘はつけないな……と観念して本音を話す。
「男としては、結衣の……その、何だ、初めてを他人に渡したくないし」
「はっ!それは彼女の未来でもお前の将来でもないただの欲望じゃん」
「そ、そのためにもしっかりしたいと思っているんだって……大学行って就職して……よくわかんないけどな」
葵がヘラヘラと笑うと、龍平は短く息を吐き、カタログをパタンと閉じた。その瞳の奥に、葵には読み取れない複雑な感情が影を落としたのを、葵は気づかない。
「……お前、ほんと甘いよ。世の中、明日が今日と同じ顔してやってくると思ってんのか?」
その時、ガラッと教室のドアが開いた。
「葵! また龍平くんと無駄話? ホッといたらすぐサボるんだから」
入ってきたのは橘結衣だった。整えられた制服の襟元、少し怒ったように眉をひそめる表情。葵のノートが開かれていないのを見るやいなや、甲斐甲斐しくカバンからペンを取り出して葵の机に叩きつける。
「もうすぐ中間テストなんだよ? 私が隣についててあげないと、ホントに何もできないんだから」
「わかってるって、結衣。……俺のお袋じゃあるまいし」
葵は苦笑いしながらも、どこか誇らしげだった。頼りない自分を世話してくれる結衣の存在が、心地よかった。だが結衣自身もまた、葵の「頼りなさ」に依存することで、自分自身の将来や本当の望みから目を背けていることに、達観している龍平だけが気付いている。
「じゃ、俺は上がるわ。親父の現場の手伝いがある」
龍平が立ち上がり、カバンを肩にかけた。去り際、葵の肩を強く一度だけ叩く。
「痛ってぇ……な」
「葵。お前が覚悟決めたつもりなら、せいぜい頑張れよ」
それだけ言い残して、龍平は教室を去っていった。
◇
翌朝。
晴れ渡る空には雲ひとつなく、葵の気持ちは軽やかだった。ポケットの中には、昨日から何度も推敲したメッセージメモが入っている。放課後、いつもの高台で結衣に伝える。
(龍平に言われたからじゃない。自分で将来を考えなければ……)
でも、何から変えたらいいのか分からない。
だから、結衣との関係をまずは先に進めよう。
そういう漠然とした葵の、少しばかり欲望も混じった決意だった。
学校に着くと、いつもの雰囲気が違って見えた。
きっと、気分が高まっているからだと葵はそう思って進む。
「おい、そこ! 廊下を走るなと言ったはずだ!」
体育教師の武田が、理不尽な理由で学生を押さえつけている。
「いつの時代の教師だよ……平成どころか昭和かよ……いい年こいたジジイが」
いつの間にか隣に来ていた龍平が吐き捨てるように言う。
考えることを放棄し、ただシステムに従うだけの大人たち。葵は胸の奥に、小さな引っかかりを覚えた。だが、「まあ、いつもの学校の光景か」と自分に言い聞かせ、教室へと向かう。
席につき、結衣と目が合う。結衣は少し照れくさそうに微笑み、口パクで「あとでね」と動かした。
葵の心が跳ねた、まさにその瞬間だった。
ウ―――――――ッ。
聞いたこともない、腹の底を揺さぶるような重低音の警報が、街中に響き渡った。スマホが一斉に甲高い警告音を吐き出す。
「な、なんだ? 地震か?」
「ニュース見ろ! 画面が……!」
教室が騒然となる。スマホの画面は一瞬で暗転し、赤地に金色のエンブレム――中国の国家章が画面をジャックした。
『本艦隊および陸上統制網は、これより本地域の管理を開始する』
「な、なんだこれは! 授業中だぞ、スマホをしまえ!」
担任の岡本先生がパニックを起こしながら叫ぶ。武田が竹刀を手に廊下へ飛び出そうとした、その時だった。
バリバリバリッ!
ガラスを叩き割る凄まじい風圧とともに、校庭の空が「黒く」染まった。
雲ではない。それは、大陸間弾道弾から分離し、上空で撒き散らされた数十万機の小型ドローン群だった。空を覆い尽くす無数の黒い羽音。
「ひっ……!?」「何だアレ?!」「ドローン……にしてもあの数?」
武田が竹刀を振り上げ、校庭に向かって怒鳴り散らそうとした瞬間。
ドローンの群れから、パパパと乾いた音がする。
パン……パパパン
武田はスタンゴム弾で吹き飛ばされる。殺すためではない。ただ「脅威になり得る反抗行動」を0.1秒で認識し、完全に無力化するための機械的な処理。武田は白目を剥いて倒れ込み、二度と動かなくなった。
「うあぁぁああっ! 武田先生が!?」
「いやだ! たすけて!」
パニックに陥る生徒たち。担任の岡本先生はガタガタと震えながら教壇の陰に丸まり、「指示を……教育委員会本部からの指示を待つんだ……」と、すでに機能していないラジオに向かって呟くだけの壊れた人形と化した。
校庭には、弾道ミサイルのコンテナから脚を折りたたんで降り立つ、無機質な金属の二足歩行ロボットたち――『歩兵型09式』が着地していた。表情のないカメラアイが、一斉に校舎に向けられる。
自衛隊の反撃の砲声が遠くで聞こえたが、それも数分と持たなかった。
1機が受けた被害データは0.001秒で全AIに共有され、即座に最適な包囲網が組み直される。人間の兵士が恐怖や躊躇を感じている間に、AI兵器たちは被害を完全に無視した特攻と、超精密なドローン爆撃で、自衛隊の防衛線を文字通り「消去」していった。
インフラはひとつも破壊されていない。
水道も、電気も、通信網も、すべて生かされたまま。
ただ、人間側の「中枢」と「指導力」だけが、寸分の狂いもなく切り取られていく。
葵はSNSで小学生の時に、中国が主催する「世界ロボット大会(WRC)」で、二足歩行ロボットが100m走で人類最速を1秒も上回ったというニュースと共に、疾走するロボットが走り終わりに制御不能で壊れていくのを見て笑っていたのと思い出す。
その人型が一斉に一糸乱れず制御された形で兵士として制圧行動をする。
今度はギャグでもフェイクAI動画でもなく、目の前でモニター越しではないリアルで行われていく。
わずか数日。
日本という国家が、何一つ抵抗できないまま、中国の統制AI『天帝』の完全支配下に落ちた瞬間だった。
「……葵」
がたがた震える結衣が、葵の服の裾を強く祀り上げるように掴んできた。
葵はただ、窓の外で繰り広げられる地獄を、開いた口が塞がらないまま見つめていた。
今日告白して、明日も明後日も、楽しく過ごすはずだった。
葵の思い描いていた楽観的な未来は、突如として飛来した冷酷なテクノロジーの前に、跡形もなく粉砕された。




