【第十七章:汝の剣が阻むものを、我が短剣(ダガー)が屠らん(一)】
深夜。静まり返っているはずの病院の中で、維安チームが厳重に警備する独立病房(個室)だけは、氷点下まで冷え切った空気と、止むことのない怒声に包まれていた。
「なぜ、あんな危険な場所に彼女を連れて行ったの! 言いなさいよ!」 感情を爆発させたエルフの議長が、声を枯らして怒鳴り散らしている。
ビッグボーイは伏せ目がちに彼女の前に立ち、何も言わず、ただ議長に突き飛ばされるがままになっていた。傍らではオークの随扈が議長の肩を抑え、必死に彼女を宥めようとしている。
手術を終えたばかりの議長令嬢が、その怒声の中で目を覚ました。彼女の微かな呼びかけが、次第に形を成していく。 「……お母様……お母様!」
娘の声を聞き、エルフの議長は目を真っ赤に腫らし、震える手で娘の額を撫でた。 「ごめんなさい、お母様が悪かったわ……ビッグボーイにあんな……」
崩れ落ちる母親を見つめ、令嬢は無理に微笑んで遮った。 「……お母様。これは私の意志よ……ビッグボーイのせいじゃない」
「でも、あの子を庇うなんて――」 議長が娘の手を握り締める。しかし、令嬢は残された力を振り絞って叫んだ。
「お母様! 私が無理について行ったの! 私が決めたことよ! 彼には関係ないわ! 貴女には分からないのよ……私は、これ以上家族を失いたくないの!」
娘から初めて怒鳴りつけられ、議長は呆然と立ち尽くした。言葉を失い、どうすればいいのか分からず立ちすくむ。
傍らのオークが彼女の肩に手を置き、耳元で低く囁いた。 「夫人、もういいでしょう……。貴女らしくありません。少し外で風に当たって、頭を冷やしてください」
母親がオークに支えられて部屋を出て行くのを見送った後、令嬢の視線がビッグボーイへと向けられた。彼女は優しく微笑んだ。 「ごめんなさいね。お母様、あんな感じで。……自分を責めないで、いい?」
ビッグボーイは顔を上げ、幾重にも包帯が巻かれた彼女の右耳を見つめた。彼は硬直した笑みを無理やり浮かべて答えた。 「……気にするな。ゆっくり休め。俺は……まだやることがある。先に行くよ」
彼は背を向け、部屋を出た。その瞬間、彼の表情から一切の温度が消え去り、極寒の如き冷徹さが宿った。
部屋の外では、憔悴したエルフの議長と、その背をさすって宥めているオークが待っていた。 議長はビッグボーイに向かって、深く頭を下げた。 「……ごめんなさい。先ほどは取り乱してしまったわ。オークから事情は聞いた。私がどうかしていたわ……」
「理解しています。家族なら当然の反応だ」 ビッグボーイの語気は異常なほど平坦だった。彼は続けた。 「……そして、これからすることについても、先に謝っておく」
「不謹慎なのは承知していますが……議長。軍に通知を。封印された『身体』を、今日中に返還してください」
「貴方……」 議長は茫然と顔を上げた。二人の視線が交差した瞬間、彼女はこの青年の姿に、かつての父親の面影を見た。 「あな……たは……」
「――万事、よろしくお願いします」
それだけを言い残すと、彼は覚束ない足取りで昇降機へと向かった。
階下へ向かう途中、彼は病院へ来る前に維安チームから聞いた報告を思い出していた。エルフ・アバヴの首領が逃亡に成功したという情報を。
一階に降りたビッグボーイは、ハイエナの通信機を呼び出した。 「……以前、モールで残党を追跡させた件、進展は?」
『ヘイ、ボス! もちろんだ。あの時一番近くにいた奴をマークして、家まで突き止めておいたぜ』
予想以上の回答に、彼は一瞬沈黙した後、命じた。 「……よし。恋銃癖に連絡しろ。二人で、そいつの家族の『投影』を確保するんだ」 「いいか、怖がらせるなよ。終わったら解放しろ。それから水晶と弁護士証を俺に届けろ」
病院を出てタクシーを拾い、工場へと戻った彼は、空き地に停泊している輸送機の屋根に不器用に這い上がり、仰向けに寝転がった。静まり返る夜空に、双月が斜めに分かたれて輝いているのを、彼はじっと見つめていた。
翌朝。ハイエナから投影水晶と偽造された弁護士証を受け取った彼は、単身で犯罪者拘置所へと向かった。
狭い廊下。エルフの看守が、エルフ・アバヴの幹部を尋問室へと連行していく。幹部の男は、首領が弁護士を差し向けてくれたのだと思い込み、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
だが、部屋に入って目にしたのは、ビッグボーイの姿だった。幹部の顔から色が消え、嘲笑を投げつけた。 「……また貴様か。猿め、笑うがいい。長くはもたんぞ」
ビッグボーイは手元の水晶を弄りながら答えた。 「……落ちぶれた人間を笑う趣味はない。だが、これを見ろ。お前の信じる『エルフ・アバヴ』は、お前を捨て駒にしたようだが?」
冷ややかな視線を幹部に向け、彼は続けた。 「俺のことを侮るのは勝手だが、事実は見ておいた方がいい。……さて、これは誰かな?」
彼は水晶をポータブル投影機に差し込んだ。映し出された映像を見た瞬間、幹部の瞳孔が激しく見開かれた。彼はデスクを叩き、怒鳴り声を上げた。 「貴様ッ!!」
「急所を突かれたか?」 ビッグボーイの表情は、冷徹な機械のようだった。指を組み、デスクに肘をつく。 「皮肉なもんだな。お前がすべてを捧げた連中は、お前の家族のことなど微塵も気にかけていないらしい」
幹部はビッグボーイを激しく睨みつけた。「……何が望みだ?」
彼は上半身を前傾させ、ホログラムの映像の中に指を差し入れた。幹部の「娘」の耳を覆い隠すように指を動かし、冷たく告げる。 「……あんたたちにとって、異族は低賤で卑劣な存在なんだろう? なら、その卑劣な俺が、彼女の耳を半分奪ったとしても不思議はないよな。……天秤にかけろ。あんたの知っていることを、すべて吐き出すんだ」




