【第十六章:最後の狂気】
扉の前に立つオークの随扈は、それを聞くと呆然と眉をひそめ、不審げに問い返した。 「……議長は、今はまだ議事堂にいらっしゃる時間では?」
「病院への慰問に向かわれてから、消息が……」 ハイエナ議長は、オークの背後にいるマッド・ハイエナの姿を捉えた瞬間、驚愕に顔を歪めて叫んだ。 「ああっ!! このバカ野郎ッ!!」
玄関の喧騒を耳にし、事態の深刻さを悟ったビッグボーイの顔が険しくなる。 (……早すぎる。予想以上に……)
ビッグボーイは即座にマッド・ゴブリンへ視線を向け、慎重に確認した。 「……あいつを、起こしたのか?」 表情を強張らせたゴブリンが答える。 「……まだだ。休眠状態のままだ」
混乱から立ち直った議長令嬢が、慌てて扉の前に駆け寄り、オークに押さえ込まれているハイエナ議長に詰め寄った。 「……待って。お母様がどうしたっていうの?」
後を追ってきたビッグボーイが、ぎこちない義肢の足取りで玄関に現れ、一同を制した。 「……一旦やめろ。あんた、話を続けてくれ」
ハイエナ議長はビッグボーイを見つめ、ようやく動きを止めて焦燥を露わに説明した。 「エルフ議長は、慰問を終えた後に議事堂へ戻る手筈だった。けれど、執務室は空っぽ……。病院に問い合わせたら、彼女は疾うに病院を後にしたというし、駐車場にも彼女の車がないのよ……」
それを聞くと、ビッグボーイはゴブリンの方へ振り返った。 「車のキーをくれ。追跡する」
沈痛な空気が場を支配する中、突如としてマッド・ハイエナが声を上げた。 「おっと、捜す必要なんてないぜ。彼女がどこにいるか、ボクは知ってる」
全員の視線が、後頭部で腕を組むマッド・ハイエナへと一斉に注がれた。 注目の的になった本人は、悦に入ったような表情で問いかける。 「なんだよぉ? ボク、何か間違ったこと言ったかい?」
「このバカ野郎! 知っているなら何で早く言わないのよッ!!」 彼の不真面目な態度に、ハイエナ議長が激昂して殴りかかろうとするが、再びオークに無力に押さえ込まれた。
マッド・ハイエナはケラケラと笑いながら茶化す。 「誰も聞かなかったじゃないか。それに、ボクを見るなり罵倒してくるなんて……ひょっとして、ボクに惚れ直したのかい?」
ビッグボーイが冷徹な眼差しを向け、短く告げた。 「……言え」
マッド・ハイエナは少し態度を改め、答えた。 「……ボクの記者のファンくんがさ。特ダネのために、エルフ議長の車を尾行してるんだよねぇ~」
「……彼と連絡は取れるか? 現在地は?」 「もちろんだよ、ボス。こないだボクの『愛の告白』を一面に載せてやってから、彼は大儲けしてボクに恩があるのさ」
「彼に伝えろ。位置を確認したら、あとは俺たちが引き受ける。彼はそこから離れさせろ」 ビッグボーイはハイエナに指示を出すと、次にオークとハイエナ議長に向き直った。 「……あんた。連絡先を教えろ。俺が合図を出したら、すぐに警備チーム(ヴィジランテ)を動かせ」
「貴方は……?」 ハイエナ議長が呆然とする中、ビッグボーイは無言の圧力を伴う眼差しで問い返した。 「……不満か?」 「い、いえ……」 ハイエナ議長は一瞬の威圧感に気圧され、慌てて連絡先を差し出した。
ビッグボーイは次に、ソファに座っていた恋銃癖へ視線を向けた。 「……お前のトランクの武器を、貸してくれ」
「え、ええっ!? それは僕の……」 恋銃癖はビッグボーイに凝視されると、次第に声が小さくなっていった。彼はマッド・ハイエナを指差し、縋るように懇求した。 「……あ、あのバカ犬以外ならいい。僕の妻妾たちを……どうか、優しく扱ってやってくれ……」
マッド・ハイエナはそれを無視し、自信滿々に親指を自分に立ててビッグボーイにウィンクした。 「ヘイ、分かってるねぇ。魔術師に必要なのは、銃器という名の道具だけさ」
「安心しろ。これらの『恋人たち』がお前にとって重要であることは分かっている。適切に使用させてもらう」 大男は恋銃癖に答え、次に新入りのパイロットへと告げた。 「……ドワーフのパイロット。あんたはオークの随扈たちと一緒にここに残れ」
「よし、野郎ども、出るぞ」 ビッグボーイは隊員たちを率いて、屋敷を後にした。
道中、ビッグボーイはぎこちない義肢の足取りでトラックへと急いだ。車椅子を押すゴブリンが彼の背後に回ると、ビッグボーイは無言の阿吽の呼吸で車椅子に座った。
一同が次々とトラックに乗り込む中、一際強く車体に足をかける音が響き、全員がハッチの方を振り返った。 最後に乗り込んできたのは、議長令嬢だった。ビッグボーイは當惑して眉を寄せた。 「……どうした?」
令嬢は真剣な眼差しで問い返した。 「どうした、じゃないわよ。私を置いていく気?」
一同が呆気にとられて見守る中、真っ先に我に返ったビッグボーイの瞳が、冷徹な光を帯びて彼女を射抜いた。 「……ふざけるな」
不屈の姿勢を崩さない令嬢も、その瞳を冷たく凍らせて、マッド・ゴブリンに命じた。 「ふざけてるのはどっちよ? 出して」
ビッグボーイは感情を抑え、言い聞かせた。 「……聞け。今は時間が惜しいんだ。遊びじゃないんだ、あんたは家で――」
「昨日の連中なんでしょう?」 令嬢は沈痛な面持ちで、その手に鋭い冷気を練り上げながら、一同に告げた。 「お母様が危険な目に遭っているのに、私に何事もなかったかのように家で待てというの? ……そんなの、無理よ……」
時間の猶予はない。ビッグボーイは知らず知らずのうちに拳を握りしめていた。 (……彼女を車内に縛り付けておくしかないか。行動は他のメンバーに任せる……)
ついに、ビッグボーイは折れた。 「……分かった。だが、必ず俺の傍を離れるな。いいな?」 「ええ、約束するわ!」
マッド・ハイエナのファンからの通報に従い、トラックは幹線道路を抜け、ハイ州の南西部へと向かった。遠方には、ハイランド州に隣接する巨大な世界樹が鮮明に見えていた。
走行中、ビッグボーイは簡潔にブリーフィングを行った。 「救出作戰を開始する。警備チームが到着する前に、可能な限り脅威を排除する。議長の安全を確保し、警備チームに引き継いだら、俺たちは直ちに撤退するぞ」
やがてトラックは、放棄されて久しいハイエルフの建築物の外に到着した。そこにはエルフ議長の座駕が停められていた。 トラックを隠蔽ポイントに停めると、ビッグボーイは電弧を帯びた魔術水晶を数台の飛行デバイス(ドローン)へと挿入した。起動したデバイスたちが、音もなく半空へと浮上する。
他のメンバーたちが武器を手に建物へと展開していくのを見送り、ビッグボーイは投影装置の前へと戻った。各デバイスとリンクし、迅速に建物の各所へと偵察に向かわせる。
令嬢はビッグボーイの操作を眺め、呆然と尋ねた。 「……貴方は、一緒に行かないの?」
投影画面を凝視し、建物の各所に潜む脅威を特定しながら、ビッグボーイは振り返らずに答えた。 「行かない。俺の仕事は誘導だ。戦闘員たちが中の掃討を担当する」
ここでようやく、令嬢は自分がビッグボーイの「罠」に嵌められたことに気づいた。彼女は悔しそうに地団駄を踏んだ。 「……貴方ッ!」
「怒るのは分かっている。……済まない。俺はもう、大切な人を失いたくないんだ」 ビッグボーイは淡々と操作を続け、静かに説明した。 「約束は守ってくれるな? すべてが終わったら、いくらでも八つ当たりしてくれて構わない」
一分一秒が過ぎていく。ビッグボーイは通信機を通し、ドローンが捉えた映像と状況を、行動隊員たちへリアルタイムで報告し続けた。
その時、トラックの近くに待機させていたドローンの映像に、一人の不気味な影が映った。人影はトラックに向かって接近し、ゆっくりと手を挙げた。 ビッグボーイは瞬時に事態の異常を察知した。
考えるよりも早く、彼はぎこちない義肢の脚で、全力を振り絞って隣の令嬢を突き飛ばした。 次の瞬間、腕ほどの太さの氷晶がトラックの荷台を貫通し、投影装置を無残に粉砕した。
「……全員、主任務を続行しろ。各自の判断に任せる。俺は襲撃を受けた」
ビッグボーイは恋銃癖から借りた銃器を掴み取り、痛む体を引きずって起き上がると、下敷きになった令嬢を案じた。 「……無事か?」
この突然の襲撃を受け、ビッグボーイはショッピングモールでの露出から、ある結論に達した。その瞳に、一筋の陰惨な殺気が宿る。 (……奴ら、準備していたな。……ここで一気に根絶やしにする……)
ビッグボーイは令嬢の耳元で囁いた。 「……聞け。外に出たらすぐに車を遮蔽物にしろ。隠れる場所を捜すんだ」
ハッチが勢いよく開かれ、ビッグボーイは令嬢をトラックの反対側へと突き出した。自らは扉を盾にし、脅威の方向へと果敢に火力を叩き込む。
突き飛ばされるわずかな瞬間、令嬢はビッグボーイを見つめ、小さく呟いた。 「……信じて」
もう一筋の氷晶がハッチを抜け、ビッグボーイの身体を切り裂いた。痛みを堪え、相手に向かって引き金を引こうとしたその時、彼は真犯人の姿を捉えた。 同時に、エルフ幹部の攻勢が、車の前方から放たれた氷晶によって遮られた。
ビッグボーイは容赦なく発砲し、対面の幹部は即座に障壁を展開して、その二次攻撃を防いだ。幹部は遮蔽物の影に身を隠し、大声で嘲笑した。 「……この程度の腕か? 不意打ちで俺を殺せるとでも思ったか?」
ビッグボーイは挑発を無視し、エネルギーの切れた水晶を抜き取ると、燃え盛る火の水晶を装填した。瞳は高速で周囲をスキャンし、幹部が移動するであろう遮蔽物を予測する。 彼は一定の間隔で射撃を浴びせながら、ぎこちない足取りで別の遮蔽物へと移動を開始した。遮蔽物を利用し、角度の優位を確保しようとする。
ビッグボーイの射撃を受け、幹部は最後の弾道が遮蔽物を掠めた角度から、相手の位置が変わったと判断した。彼は掌に氷晶を練り上げ、トラックの前方へと投げつけた。
車の前方が氷晶に撃ち抜かれるのを見て、ビッグボーイの心臓が激しく跳ね上がる。彼は奥歯を噛み締め、拳を握りしめた。 (……あの野郎、彼女を利用していやがる。……早く片付けなきゃ……)
その時、車の前方から眩い光が溢れた。一塊の火球が幹部の頭上へと放たれ、壁を叩いて砕け散る。飛び散った火の粉が幹部の潜む遮蔽物へと降り注いだ。 火が燃え移りそうになった幹部は慌てて次の遮蔽物へと転がり込み、ビッグボーイはその隙を逃さず一斉射擊を浴びせた。
障壁に守られながらも、無様に次の遮蔽物へと逃げ延びた幹部は、なおも叫び続けた。 「魔法を使っているのはエルフだろう! 見てみろ! 俺が貴様を攻撃している間、その人間は何一つ動こうとしなかった! 奴が貴様の生死など欠片も気にしていないことに、まだ気づかんのか!」
ビッグボーイは幹部の演説の隙に、次の遮蔽物へと前進した。 距離を詰めると、彼は問答無用で発砲した。角度が絞られた弾道が、エルフ幹部の腹部を無慈悲に引き裂いた。
幹部は即座に火球を練り上げ、ビッグボーイの遮蔽物へと叩きつけた。熾烈な炎がビッグボーイの反撃を一時的に封じる。
だが不意に、幹部の足元に鋭い冷気と刺痛が走った。立ち上がる間もなく、氷晶が彼の両足を包み込み、彼は無様に転倒した。 幹部は憤怒に燃える瞳で、自分を凍りつかせた犯人を睨みつける。 「……貴様かッ!」
次の行動に移るより早く、幹部が地面についていた手に極寒の感覚が走った。氷晶が彼の素肌の手のひらと地面を一つに縫い付けたのだ。幹部が苦悶の声を上げる。 「あ、あああああ――ッ!!」
その時、遠くからパトカーのサイレンが鳴り響いた。ビッグボーイは銃口を向けたまま、遮蔽物から足を踏み出した。 ビッグボーイが警戒しながらゆっくりと近づくと、令嬢の方を向いたエルフ幹部の怒りの形相が、突如として狂気じみた笑みへと歪んだ。
「……おい」
刹那、幹部は傷口を押さえていたもう片方の手を振り抜いた。その掌には、鋭利で硬質な氷晶の礫が形成されていた。 それがビッグボーイに向かって放たれる寸前。駆け寄っていた令嬢が、ビッグボーイを庇うように飛び込んだ。
尻餅をついて地面に倒れたビッグボーイ。彼は呆然と、自分にのしかかっている令嬢を見つめた。 彼女は瞬時に振り返り、躊躇なく幹部のもう片方の手へ向かって火球を放った。 彼女が振り返ったその瞬間、赤い飛沫と、細い髪の毛が、ビッグボーイの頬にハラリと落ちた。
「……いや……嘘だ……」
エルフ幹部の凄まじい絶叫と共に、ビッグボーイは令嬢の横顔を、愕然として見つめた。 そこにあったのは――既に半ばを失い、断ち切られた尖った耳。そして頬を伝って滴り落ちる、鮮血の跡だった。
令嬢は荒い息をつき、右耳の違和感に気づいて無意識に手を伸ばそうとした。起き上がったビッグボーイは、慌てて自分の上着を脱ぎ、彼女の右耳に押し当てた。 「……橫になれ。動くな、動くな……動くな……っ!」
サイレンの音が近づき、他の隊員たちがビッグボーイの元へ駆けつけた。心理的な葛藤の末、ビッグボーイは直ちに他の隊員たちに現場を離脱するよう命じた。
サイレンが幾重にも重なり、車両が現場に到着する。
重傷を負ったエルフ幹部は警備チームに拘束され、緊急搬送された。もう一隊の警備チームはビッグボーイと令嬢に銃口を向け、脅威がないことを確認すると、即座に救急隊を要請した。
赤色灯が点滅する中、担架に載せられ救急車へ運び込まれる寸前。令嬢はビッグボーイに向かって、無理に笑顔を作って言った。 「……へへ。……ほらね。言ったでしょう、私が守ってあげるって」
ビッグボーイが救急車に同乗しようとした、その時。警備チームに護衛されて姿を現したエルフ議長が、ボロボロの外衣を羽織った姿で、上半身裸のビッグボーイと、その手に握られた血塗れの上着を捉えた。
彼女は警備チームに合図を送り、足早にビッグボーイへと駆け寄る。 そして、その視界の端に――愛娘の姿が映り込んだ。




