【第十四章:小さき者(一)】
トラックの外から聞き慣れた放送が響いてきた。
『――中の同胞たちよ、エルフ議長です。要求通り、私はここに来ました。互いに抑制を保ち、対話によって文明的な解決を図ることを望みます』
ビッグボーイはすぐさま傍らの紙片を掴み取り、迅速にペンを走らせた。
【現場に到着した。奴らの注意を逸らし続けろ】
彼はその紙片と偽造された身分証を、車内に同乗していたドワーフのパイロットに差し出し、鋭く命じた。
「……これをエルフ議長のもとへ届けろ。急げ」
ドワーフのパイロットはそれらを受け取ると、後部ハッチを蹴開けて現場へと飛び出していった。
扉が閉まると、ビッグボーイは現場の生中継映像と、ジャックされた画面の中で演説を続けるテロリストの首領へと視線を戻した。
中継映像の中では、議長の呼びかけに応じるかのように、モール内から悲鳴が上がった。ほどなくして、腹部を撃たれた人間の男性が引きずり出され、外へと蹴り出された。
『人間と結託し、エルフの品格を貶め、我らを深淵へと突き落とした魔女が、よくも文明を語れたものだ。罪を認めろ。世界樹の前で、ハイエルフの審判を受けよ!』
防弾盾を構えたオークたちの援護のもと、エルフの衛生兵が重傷者を安全な場所へ運び出す。
ビッグボーイのモニターには、その惨狀の傍らで、モール内の各所に配置された監視カメラの映像が並んでいた。
今まさにテロリストの一人を機械室へと引きずり込み、音もなく扉を閉める恋銃癖の姿。そして、非常扉の裏で荒い息をつく議長令嬢の姿。
彼女は封鎖線の外で車を降りることを余儀なくされ、警備網のわずかな隙を突いてここまで辿り着いたのだ。路地裏のコンテナを飛び越え、得体の知れない水溜まりを避け、ようやく卸売エリアの非常階段へと滑り込んでいた。
令嬢は緊張に震える長い耳をそばだて、階段の隙間から階上を窺った。彼女の心に、一瞬の躊躇が生まれる。
(……これからどうすればいいの? 私、あまりに無謀だったかもしれない……)
目の前の出口へ引き返そうとした彼女の脳裏に、オークの随扈の後ろ姿が浮かんだ。彼女は猛然と首を振り、音を殺して階段を上り始める。その姿は、投影画面を通してビッグボーイの目に焼き付いていた。
ビッグボーイは恋銃癖へのリアルタイム報告を続けながらも、視界の端で別のモニターに映った人影を捉えた。それが誰であるかを確認した瞬間、彼の全身に激震が走った。
彼は即座にセキュリティ・システムへと制御を切り替え、非常扉をロックしようと試みる。だがその直前、令嬢は二階の扉を細く開けていた。その隙間から、背を向けて立つテロリストの姿が映り込む。
令嬢は目を見開き、息を呑んでゆっくりと扉を閉めた。その直後、電子ロックが作動する重い音が響いた。
「ん?」
扉の向こうからテロリストの不審な声がし、ガタガタと扉を乱暴に引く金属音が鳴り響く。息を殺した令嬢は、扉を見つめたまま数歩後ずさった。
「おい! 誰かが扉をロックしやがった!」
「こっちもだ! 首領に伝えろ、俺たちをモールに閉じ込める気だぞ!」
制御不能に陥った現場。令嬢は激しく上下する胸を必死に抑えようと試みる。
(……ビッグボーイ。あいつはお母様を相手にしても、あんなに冷静に対処できた。あいつにできるなら……私にできないはずがない!)
立ち尽くす令嬢の姿は、ビッグボーイの瞳に反射していた。彼はマイクを握り、低く告げる。
「恋銃癖、難易度を『ノーマル』から『ハード』に引き上げる。ルートを再設定する。エルフの人質たちがいる場所へ向かう道中、すべての障害を排除しろ」
『はぁ? 何をいきなり……。まあいい、ルートをよこせ。これ以上難易度を上げるなよ』
スピーカーから恋銃癖の呆れた声が返ってくる。
ビッグボーイは監視映像と図面を高速で処理し、二人の進むべき道を編み出していく。
モニターの中の令嬢は、不安げに周囲を伺っていた。上の階からロックが解錠される音が響くと、彼女の肩が小さく震える。彼女は慎重に位置を変え、階上の様子を警戒した。
しばらくして、動きがないことを確認した令嬢は、ようやく三階へと這い上がり、解錠された扉を開けて中の様子を窺った。
その隠密行動を見守っていたビッグボーイは、ようやく一度だけ安堵の息を漏らし、意識を恋銃癖へと戻した。
人気のない三階のフロアに、令嬢が足を踏み入れる。その時、点滅する魔力水晶灯が彼女の注意を引いた。
彼女がその灯の下へと進むと、水晶灯は消灯し、代わりのように次の灯が点滅を始める。意図を感じさせるその導き。
誘導灯に導かれるまま、令嬢は困惑気味に次の階段室の前に辿り着いた。扉のロックが解錠される。彼女は慎重に扉を開け、異常がないことを確認してから一階へと降りていった。
だが、壁際に広がる血溜まりが彼女の視界に入った瞬間、彼女の体は硬直した。それは、誰かが階上へと引きずり去られた跡だった。
再びロックの解除音が響く。音の主は一階の非常扉。令嬢はしばらく階下を警戒していたが、動きがないことを確認すると、意を決して一階へと踏み出した。
扉の前。彼女の耳に複数の話し声が届く。片手で扉を細く開け、もう片方の手には鋭い冷気が渦巻き、錐のような氷の楔を形成する。彼女はその隙間から、室内を覗き込んだ。
後ろ手に縛られ、恐怖に顔を歪めるエルフたちの姿。令嬢はアパレルショップの中を素早く観察し、他に脅威がないことを確認すると、音もなく室内へ滑り込んだ。
異変に気づいた人質たちが、驚きに目を見開き、必死に声を潜めて警告する。
「……お嬢ちゃん!? 早く隠れて! 見張りが階段室へ行ったばかりだ、すぐに戻ってくる!」
令嬢は答えず、最悪の事態には人質の中に紛れ込むことを想定しながら、周囲を鋭く見渡した。彼女の目は、カウンターに置かれた裁断用のハサミを捉えた。
ハサミを手に取ると、彼女は一番近くにいた人質の結束バンドを切り裂き、耳元で囁いた。
「他の人たちは? ここだけじゃないんでしょ? 急いでみんなを解いて」
「……俺たちは分けられたんだ。エルフとそれ以外を分断するつもりらしい」
解放された人質Aは、震える手で隣の仲間を助け始めた。
「あいつらはどこにいるの?」
「……移動させられていなければ、広場にいるはずだ」
人質Aは、令嬢がそのまま店の出口へ向かおうとするのを見て、慌てて制止した。
「おい! 何を考えてる、危険だ! 戻れ!」
彼が彼女を連れ戻そうとした瞬間、令嬢が凄まじい形相で振り返り、口元に指を当てて静寂を求めた。彼女は即座に人質の群れの中に潜り込み、縛られているふりをする。




