【第十章:来た、騒いだ、演じた(一)】
マッド・ハイエナは、頼まれてもいないのにマッド・ゴブリンの住処へと現れた。彼は手慣れた手つきで工具を鍵穴に差し込み、カチカチと弄ぶ。ほどなくして扉が開くと、家の中へ向かって大声で吠えた。
「よぉ、友だち(フレンズ)! ただいまぁ!」
マッド・ハイエナはゴブリンの部屋へと続く廊下で、周囲に置かれた器具をベタベタと触りながら進む。そして、遠慮もなく扉を蹴破るようにして中に入った。
「ヘイ、緑の猿くん。ボスに遠出を命じられたからさ、雌ハイエナのフェロモンを一本用意してよ。アタシを『キマらせて』ほしいんだよねぇ」
「失せろ」
作業机の前でゴーグルをかけたマッド・ゴブリンは、振り返りもせず手元の器具に集中している。
「あはは、そんなに冷たくしないでよ。ピーポー、ピーポーッ❤」
ハイエナは軽薄な足取りでゴブリンの隣に詰め寄り、その頬を指でツンツンと突き回した。
「……手近な道具でお前の頭を吹き飛ばす前に、その汚い手を俺の顔からどかせ」
ゴブリンの低い、地を這うような声が響く。
ハイエナは指を離したが、今度はゴブリンの左右をぴょんぴょんと跳ね回り、しつこくせがみ始めた。
「そんなこと言わないでさぁ、お願い。アタシの親友! お願い、お願い、お願い! あの『キマるやつ』を一本、ねぇ、お願いだってば……!」
ゴブリンの口角は笑みの形を作っていたが、ゴーグルの奥の瞳は既に血走り、限界に達していた。彼は低く唸り、爆発するように叫んだ。
「ああ――もうッ! 分かった、分かったから! 明日また来い、渡してやる! だからさっさと俺のラボから消えろ! 騒がしいんだよ……!」
その時、作業机の傍らに置かれたラジオが、ニュースを報じていた。
『――連合議会の斑紋ハイエナ議長は、連合帝国へと赴き、最高指揮官との会談を行っており……』
帝国の随行員に案内され、ハイエナ議長は応接室へと足を踏み入れた。室内では帝国の最高指揮官が既に待ち構えていた。彼は礼儀正しく立ち上がり、席を勧めるジェスチャーを見せ、二人は対面に座った。
「貴国の温かいもてなしに心より感謝いたします。では、本日の目的に入らせていただきましょう」
ハイエナ議長は職務上の風範を崩さず、礼儀正しい微笑を浮かべて本題を切り出した。
「貴国と我が国の間で交わされた『武器制限協定』についてです。我々は共に、深淵戦争後の平和的な発展において共通認識を得ている……間違いありませんね?」
人間の指揮官は、すぐに友好的な態度で応じた。
「もちろんですとも、ハイエナ議長。それは我々の共識だ」
「……ですが、我々のもとには匿名での告発が届いておりまして。貴国が武器開発の面で、何らかの『成果』を上げたのではないかと?」
指揮官はそれを聞くと愉快そうに笑い、余裕の表情で答えた。
「おや――ハイエナ議長。ご存知の通り、体制に不満を持ち、根も葉もない噂を振りまく者はどこにでもいるものです。どうか真に受けないでいただきたい」
議長が口を開く前に、指揮官はさらに言葉を重ねる。
「ご安心を。帝国が貴国と交わした協定は、すべて平和発展を出発点としています。もし我々が本当に違反しているというのなら、あなた方も『証拠』を掴んでいるはずだ。違いますかな?」
「……貴国が、この手に入れたばかりの平和を容易く壊さないと信じております。ご説明に感謝を。貴国の発展が、負の結果をもたらさないことを切に願います」
ハイエナ議長は内心の不快感を押し殺し、礼節を保ったまま一礼し、部屋を後にした。
翌朝。爽やかな朝日を浴び、自宅の門を跨いだマッド・ハイエナは、深く息を吸い込んで独りごちた。
「あぁ~……なんて爽やかな一日なんだろう!」
ハイエナは今にもバラバラになりそうなレンタルのボロトラックを転がし、工場の外へと乗り付けた。車を降り、荷台から箱を下ろすと、助手席に座っていた持ち主にレンタル料を支払い、箱を押し進めて工場の中へと入っていく。
そこで初めてドワーフのパイロットと、有名な運送会社の塗装が施された輸送機を目にしたハイエナは、ヘラヘラと笑いながら声をかけた。
「ヘイ~、小猿ちゃん。アンタがあの、ウチの屋根にデカい穴を開けたっていう生意気なパイロット?」
「え、あはは……わざとじゃないんだってば」
ドワーフのパイロットは気まずそうに後頭部を掻いた。
「いいよ、アンタのそのイカれ具合、嫌いじゃない! この『宅配便』、アタシを存分に楽しませてくれるといいんだけどさ」
ハイエナはそう言いながら、持ってきた荷物箱の一つをひっくり返した。すると、その箱が突然**「アッ!」**と機械的な音を発する。彼は満足げに蓋を閉めた。
遠くでそれを見ていたドワーフのパイロットは、呆気にとられて立ち尽くしていた。
(……え? 今の箱、中身は何が入ってるのよ……)
続いてハイエナは機内へと入り、しばらく物色した後、ビッグボーイが用意していた空箱と特殊な貨物箱を運び出した。代わりに、自分が別途用意しておいた二つの箱を機内に積み込む。
ハイエナが自前の箱を開けてその中へ潜り込もうとするのを見て、ドワーフは困惑して問いかけた。
「え? ちょっと、機内にはちゃんと座席があるんだけど……」
「いいのよ、小猿ちゃん。アタシ自身が『宅配物』なんだから。アンタは予定の時間にネットを張って、アタシを受け止めてくれればそれでいいの」
ハイエナは不気味にニヤリと笑うと、箱の蓋を内側から閉めた。
ドワーフは、ハイエナが潜んでいるにもかかわらず微動だにしないその箱をしばらく見つめていたが、考えるのをやめた。彼女は操縦席に座り、輸送機のエンジンを始動させ、ビッグボーイの指示通り連合帝国へと向かった。
半日の飛行を経て、輸送機は深夜の帝国検問所へと着陸した。サーチライトが機体を照らす中、貨物が次々と運び出され、帝国の検問員による逐一のチェックが始まる。ドワーフのパイロットは検問員とリストを照合した後、再び離陸した。
彼女は予定のルート通り、監視区域を抜けると急降下し、低空飛行で潜伏ポイントへと向かった。
「ふむ……予備パーツセットか。不気味な形だな」
人間の検問員は、手元のリストと識別票を照合し、スキャナーに映し出された中身を見て首を傾げた。
「俺たちの**成層圏戦略艦**ってのは、こんなガラクタを組み合わせてできてんのか?」
「さあな。エンジニア部の連中が造るもんは、俺たちには理解不能なもんばかりだ。まあ、艦が飛ぶなら文句はねえよ」
エルフの検問員は相方に一瞥をくれると、手で合図を送り、貨物車を通過させた。
「ん? これは……何だ?」
人間の検問員が別の箱から一冊の本を取り出した。タイトルは**『勇者vs深淵の女魔王:正義は必ず勝つ』**。表紙はかなり露骨な代物だ。
横にいたドワーフの検問員が、顔を赤くして小声で毒づく。
「クソッ! どこのバカがこんなもん注文してやがった! 見つかったら減俸もんだぞ!」
「ふん……まあ、俺が上手く隠しといてやるよ。後でじっくり見るからな……」
検問員は本を服の中に隠すと、次の箱を確認した。
「次も民生用の補給箱か。まさかまた、この手のブツじゃないだろうな?」
「あ――あった! よいしょ!」
ドワーフの検問員が箱の中から取り出したのは、**『金床とハンマーの情事』**というタイトルの本だった。人間の検問員が無言でこちらを見ているのに気づき、ドワーフは慌てて弁明する。
「何だよ! 俺だって欲求ぐらいあんだよ!」
「……次の箱にも、そういうのが入ってんのか?」
人間の検問員が尋ねる。
魔法透視モニターの前にいるエルフは、映し出された画像を見つめていた。低解像度の画面には、雑多な荷物の隙間に、はっきりとハイエナの輪郭をした何かが映っていた。それは静止したまま、四肢で荷物を抱え込み、口を極端な「O」の形に開けている。
「……悪いが、モニターは見ない方がいい。前の箱よりよっぽど目に毒だぞ。……ハイエナの抱き枕、かな……」
エルフの検問員は目が充血し、眉間を押さえて苦悶していた。
「今日の非番、先に医務室の眼科に行ってくるわ……」
相方のダメージを見た人間の検問員は、すぐに貨物トラックへ手を振った。
「もういい、行け行け! どうせロクなもんじゃない。積み込んだらさっさと隠させろ。今日は督軍の視察があるんだ、見つかったら首が飛ぶぞ」




