003 invitation
本名、アリス・ウォルドーフ。
シュノインが運営するVRMMO『ゲルタニア』で、最もよく知られたトッププレイヤーである。VRMMO『クロス』が高いシェアを占めるアジア圏でも、ほとんどアイドル扱いであり、その人気は非常に高い。
実際にどれほど熱狂的に支持されているか、颯は実感させられてしまった。
「まさか、臨時休校になるとは……」
「制御不能でした」
転校生として突如登場したアリスの影響は凄まじく、教室全体が蜂の巣を突いたような騒ぎになった。騒ぎを聞きつけた他の教室にも狂乱は伝播していき、やがて学校中が滅茶苦茶になってしまった。
学校からの緊急メッセージを確認した後、颯はため息を吐きながらエアディスプレイを閉ざす。思考操作ではなく、あえて指で弾いてクローズしたのは、やけくそな気持ちを示すためだ。
「すごい人気だな」
皮肉に対し、アリスはピースサインで応える。
こんな時でも、キャラクターを徹底しているらしい。
見慣れたポーズを現実で見せられたことに、颯はため息を吐く。
「私も、同じようなことを思いました」
「同じようなこと?」
「あなたは、現実でも嫌われ者みたいですね」
「やめて。傷つく」
閑静な住宅街を歩きながら、颯はなぜかアリスと手を繋いでいる。
学校をゾンビ映画のような状況にした張本人ながら、アリスは他人事のように冷たく、「逃げましょう」と決断を下し、殺到する生徒たちを手慣れたもののように、するりと駆け抜けてみせた。
強引に手を引かれて、颯も逃亡劇に付き合わされている。
「もう手を離してもいいだろ?」
颯がそう云うと、アリスは逆にぎゅっと力を込めた。
「ダメです」
「どうして?」
「特に理由はありません」
この半年間、彼女の性格を思い知らされてきた颯は、抵抗することをあきらめる。大人しく受け入れたことをどんな風に解釈したのか、アリスは指を絡め合うように手を握り直してきた。
「非常に素晴らしいですね」
「なにが?」
「こうして現実で触れ合えることの全てが」
現実でも仮想世界でも、アリスは変わらない。笑わない、怒らない。喜怒哀楽が、その表情には見当たらない。透き通った冬の大気みたいに、彼女はどんな時でも物静かである。
一方で。
話し込み、踏み込んでみると、ぐらぐらと煮えた湯のようである。
油断していると、赤熱した鉄球を剛速球で投げ込んでくる。
「腕を組みませんか?」
「嫌です」
颯はきっぱり断りつつ、ぼやく。
「本当に、本物なんだな」
アリスは首を傾げる。
表情は変わらないが、不思議そうにしていた。
非常にわかり辛いだけで、彼女は感情のない機械では決してないのだ。何気ない仕草や言葉遣いで、颯は多少のことならば理解できるようになっていた。わずか半年、されど半年、仮想世界でピタッとストーキングされる毎日は濃密だった。
颯はVRMMO『クロス』のプレイヤーであり、アリスはVRMMO『ゲルタニア』のプレイヤーである。異なる仮想世界の住人であるから、異世界バトルGPが終われば、二人の関係は完全に途切れるはずだった。
グランドフィナーレを迎えた翌日、颯が日常に戻ったような気分で『クロス』にログインしてみたところ――。
『待っていました、虐殺鬼』
不意打ちでエンカウントしたのは、レベル1のプレイヤー。
初期装備のため、初心者プレイヤーであることは一目瞭然だった。ただし、プレイヤーネームはALICEと表示されており、アバターはカスタマイズ無しのリアルデータだった。
どこからどう見ても、ゲルタニアのトッププレイヤーであるALICE本人。
まあ、不可能ではない。
メインで遊んでいるゲームを片時も離れてはいけないなんて決まりはないのだから。『ゲルタニア』のプレイヤーが気まぐれや息抜きで、『クロス』に新規アカウントを作成しても問題はなかった。
とはいえ、有名人であるALICEのようなトッププレイヤーが、『ゲルタニア』以外のVRMMOを始めるなんて、ニュースになるぐらいの大事である。
わざわざ別の仮想世界に乗り込んできたALICEに対して、意図がわからず、HAYATEは最大の警戒心で身構えたものだ。
『あなたに会いに来ました』
『僕に? どうして?』
『クロスは初めてなので、案内してください』
『いや、だから理由を……』
『お腹が空きました。何か奢ってください』
『話を聞けよ』
『アイスをいっしょに食べませんか?』
『だから、話を聞けよ!』
『手を繋ぎませんか?』
『……』
アリスの見解では、キャッチセールスのようにしつこく付き纏うことをデートと呼ぶらしい。
理解不能だったものの、所詮は他所の世界のトッププレイヤーだから、暇を持て余しているはずもなく、一日ぐらい付き合えば満足して帰って行くだろうと思っていた。
しかし、ALICEは連日連夜、HAYATEのログインタイミングを把握しているかのような正確さで登場するようになった。
『お前、ゲルタニアの方は大丈夫なのかよ!』
『問題ありません。これでも、天才ですから』
ALICEは、両手でピースサインを作りながら云った。
『本気を出せば、二十四時間は二倍にも三倍にもなります』
結局、この半年間、HAYATEは多くの時間をALICEと共に過ごしてきた。稀に一人きりになった時は、ひさしぶりの自由に快哉を叫んでしまうぐらいだった。
「リアルでこうして会ってみて、やっぱり驚かされたよ。俺と違って、ロールプレイじゃなかったんだな」
ロールプレイ。
VRMMOは『第二の現実』であり、現実の自分と完全に切り離したキャラクターを演じることは、現代ではごく普通のプレイスタイルとなっている。精神への悪影響が問題視された時代もあったが、現在ではストレス軽減のために推奨されている。
仮想世界でのPKを趣味としている颯は、それこそ一昔前であれば、現実で犯罪者のような扱いをされていたかも知れない。
アリスも当然、現実と仮想世界で二面性を持っているだろうと、颯は思い込んでいた。
徹底的な無表情で、口数は少なく、感情を隠している彼女は、キャラクターとして個性的である。黙って立っているだけで絵になる美しさも、人気の秘訣に違いないが、自己を表現しない『無個性』という個性が、彼女をさらに人気者にしている。
「それで、お前……」
颯は云いかけて、一瞬、口を閉ざす。
VRMMOでは同じトッププレイヤーということで、特に意識せず接してきた。
しかし、現実では事情が違う。こちらは平凡で、群衆に紛れれば見分けの付かないレベルの男子高校生。あちらはVRMMOそのままの世界一の美少女。月とスッポン。思わず、動揺が表情に漏れてしまう。
わずかな静寂。
アリスに、ぽんぽんと肩を叩かれる。
「なに?」
「大丈夫です。あなたは格好いいですから。仮想世界のあなたよりも、魅力的ですから」
露骨な慰めである。
颯はあえて無視して、本題に踏み込む。
「どうして、わざわざ日本に?」
アメリカ在住である彼女が、いきなり日本にあらわれた理由が、『自分に会うため』だけであるはずがないと、颯はそう思っていた。
「信じてもらえないのは、非常に残念です」
「信じていないわけじゃないよ。それ以外の理由もあるだろうって、そう云いたい」
好きです、と。
その一言を思い出してしまう。
冗談と笑い飛ばせるならば、良かったけれど――。
困った。
内心で、颯はそう思っている。
颯は最初から、アリスの突飛な行動の裏にあるものに感づいていた。そろそろ覚悟を決めなければいけない。もう少し歩けば児童公園があるので、ベンチに座ってゆっくり話をするのも良いだろう。
しかし、アリスはいきなり核心を突いてくる。
「あなたは、新しいゲームを始めないのですか?」
颯は黙り込んだまま、公園を目指して歩き始めようとするのだけど、手を繋いだままのアリスはぴたりと立ち止まって動かない。
やはり、もう逃げられない。
「招待状は届いていますよね?」
手を振り払うこともできたが、颯はあきらめて、アリスに向き直った。エアディスプレイを起動する。アイテム欄から『貴重品』を選択した後、空中に浮かぶ半透明のシステム表示をくるりと反転させて、アリスに突き付けてやった。
——〈THE FIFTH WORLD〉プロジェクト。
シンプルな題名のメッセージだが、その中身は世界をひっくり返すようなものだ。エアディスプレイの表示を挟んで、颯とアリスはしばらく無言で見つめ合っていた。




