第85話:名も知らない約束
人は時々、
大切な約束をする。
紙にも書かない。
誰にも話さない。
それでも。
その約束だけは、
一生忘れない。
夜が近付いていた。
街では今日も復旧作業が続いている。
誰かが木材を運び。
誰かが食事を作る。
笑い声も少しずつ増えていた。
主人公は少し離れた高台へ座っていた。
手には。
まだ包み紙も開けていない黒糖飴。
教育係が静かに隣へ来る。
「ここにいましたか」
主人公は頷くだけだった。
二人の間を風が吹く。
しばらく沈黙が続く。
やがて教育係が小さく口を開いた。
「無理に話さなくても構いません」
主人公は苦笑する。
「顔に出てたか」
「少しだけです」
また静かになる。
主人公は空を見上げた。
赤く染まり始めた空。
「……昔さ」
ぽつりと話し始める。
「俺、工事現場で働いてた事がある」
教育係は黙って聞く。
「金なんか全然なかったけどな」
少し笑う。
「飯だけはみんなで食ってた」
その笑顔はすぐ消えた。
「一人いたんだ」
主人公は黒糖飴を見つめる。
「年下の奴でさ」
「生意気だった」
「でも、よく笑う奴だった」
教育係は何も言わない。
主人公は続ける。
「夢があるって毎日言ってた」
風が吹く。
「金貯めて」
「母親を楽させたいって」
主人公の声が少し震えた。
「……あいつ」
そこで言葉が止まる。
長い沈黙。
教育係は静かに待つ。
主人公は拳を握った。
「事故だった」
たった一言。
それだけで十分だった。
教育係は全てを察する。
主人公は俯いた。
「あの日」
「俺が代わってりゃ」
「俺が止めてりゃ」
「俺が……」
そこから先は言葉にならなかった。
教育係はそっと主人公の隣へ座る。
何も励まさない。
何も慰めない。
ただ隣にいる。
主人公は小さく笑った。
「お前も変わったな」
教育係も少し笑う。
「あなたのせいです」
その言葉に主人公は照れくさそうに鼻を掻いた。
「責任重大だな」
二人は少しだけ笑った。
その様子を少し離れた場所からE-01が見ていた。
「記録」
小さく呟く。
「言葉は傷を癒やさない」
少し間。
「存在が癒やす場合がある」
新しい学習だった。
その時。
失敗作が缶を片手に近付いてくる。
「湿っぽい顔してんな」
主人公が笑う。
「うるせぇ」
失敗作は主人公の横へ缶を置いた。
「飲め」
「何だこれ」
「ただのコーヒーだ」
主人公は缶を開ける。
苦かった。
「……苦ぇ」
失敗作が笑う。
「人生みてぇだろ?」
主人公も吹き出した。
「違いねぇ」
三人が笑う。
教育係も少しだけ笑った。
その光景を見た街の人々も安心したように笑う。
その笑顔を。
空の上からE-00が見つめていた。
『解析不能』
何故。
悲しみを語った直後に笑える。
何故。
失った者を思い出しながら前を向ける。
その答えだけが。
どうしても導き出せなかった。
その時。
主人公はポケットから黒糖飴を取り出す。
包み紙をゆっくり開く。
懐かしい香り。
母親を思い出す香り。
そして。
飴を口へ入れた。
優しい甘さがゆっくり広がる。
主人公は目を閉じる。
「……約束したんだよ」
誰へ向けた言葉でもない。
「もう」
「助けられる命を見捨てねぇって」
その小さな約束が。
今日まで主人公を歩かせてきた。
そしてこれからも。
きっと変わらない。
第85話でした。
今回は主人公の「救えなかった過去」にさらに踏み込みました。
この過去は、
黒糖飴や母親との記憶と並ぶ、
主人公という人物を形作る重要な柱です。
また、教育係は慰めるのではなく「隣にいる」ことを選びました。
それこそが、この作品のテーマである
「未完成だからこそ支え合える」
という考え方に繋がっています。
次回は、この静かな時間を破る新たな動きが始まります。




