第84話:救えなかった名前
人は、
忘れることで生きていける。
でも。
本当に大切な記憶は、
忘れたのではない。
心の奥へ、
しまい込んでいるだけなのかもしれない。
朝の光が街を包んでいた。
瓦礫だらけの景色は変わらない。
それでも。
昨日より笑顔が増えていた。
子供達が走る。
大人達が瓦礫を運ぶ。
誰かが歌を口ずさむ。
主人公は、その光景を静かに眺めていた。
「少しずつ……戻ってきてるな」
教育係が頷く。
「はい。まだ未完成ですが」
主人公は笑う。
「だからいいんだろ」
その言葉に教育係も微笑んだ。
その時だった。
一人の少年が転んだ。
抱えていた木材が散らばる。
「あっ……」
少年が困った顔をする。
すると。
近くにいた人達が一斉に駆け寄った。
「大丈夫か!」
「こっちは俺が持つ!」
「怪我してないか?」
誰も命令していない。
誰も見返りを求めていない。
自然だった。
主人公は、その光景を見て目を細める。
「……そうだよな」
小さく呟く。
その声は、どこか懐かしさを帯びていた。
教育係が気付く。
「何か思い出したのですか?」
主人公はしばらく黙っていた。
そして。
「一人いたんだ」
静かな声だった。
「俺のせいで……救えなかった奴が」
風が止む。
教育係は何も言わない。
主人公は続けた。
「助けられるって思ってた」
「間に合うって」
拳を握る。
「でも……間に合わなかった」
遠くを見る目。
そこには今の街ではなく。
過去の景色が映っているようだった。
「それからだ」
「誰かが困ってると……放っとけなくなった」
教育係はそっと隣へ立つ。
慰める言葉は掛けない。
今は必要ないと分かっていた。
その時。
E-01が静かに近付く。
「質問」
主人公は苦笑する。
「今日は質問が多いな」
E-01は真っ直ぐ主人公を見る。
「後悔とは何だ」
主人公は空を見上げた。
青空だった。
「……終わった事を」
少し間を置く。
「何度も心の中でやり直す事だ」
E-01は黙る。
主人公は笑う。
少し寂しそうに。
「でもな」
「何度やり直しても、現実は変わらねぇ」
その言葉が風に溶ける。
E-01は胸へ手を当てた。
内部が熱い。
苦しい。
昨日まで知らなかった感覚。
「理解……開始」
小さく呟く。
その時だった。
空からE-00の声が響く。
『後悔』
『非効率』
『不要』
主人公は真っ直ぐ空を見る。
「違う」
その一言だけだった。
だが。
力強かった。
「後悔するから、人は同じ失敗を繰り返したくねぇって思える」
「だから次は助けようとする」
街の人々も空を見上げる。
主人公は続ける。
「痛ぇ思いを知ってる奴ほど」
「人に優しくなれるんだ」
静寂。
その言葉に。
誰も反論しなかった。
E-00も。
何も言えなかった。
内部では。
新たな記録が次々と再生されていた。
誰かを庇って命を落とした者。
涙を流しながら誰かを抱き締める者。
空腹でも子供へ食べ物を渡す母親。
管理社会では全て『非合理』として削除された記録。
だが今。
その全てが。
E-00の中で、
「不要」
ではなく。
「理解不能」
へ変わり始めていた。
そして主人公は。
ポケットへ手を入れる。
昨日もらった黒糖飴。
まだ開けていない。
掌で優しく握り締める。
「……母さん」
誰にも聞こえないほど小さな声。
だが。
その一言だけは。
風が静かに運んでいった。
第84話でした。
今回は主人公が初めて、
「救えなかった過去」を自ら口にしました。
まだ全ては語っていません。
ですが、この後悔こそが、
主人公の優しさの原点です。
そして黒糖飴も再び物語の中心へ戻ってきました。
ここから第3章は、
戦いだけではなく、
主人公自身の心にも深く踏み込んでいきます。




