06.
現れた魔狼は他の魔狼よりも一回り小さく、動きものっそりとしている。
その金の目はひたり、とこちらを見据えて離さない。
ぶわり、と鳥肌が立つ感覚に、考えるより先に身体が動く。
「くっ……」
大地を切り裂くように放たれた風の刃を辛うじて避ける。僅かに掠った右腕が痺れる。
その痛みよりも、金目が二つしかないことに意識が向いた。
「これがもう一匹、いんのかよ」
四つ目の怪物でないことは僥倖。最悪が、最悪になっただけだ。
「……気が立ってるな」
「周りは任せるわ」
痺れが残る右手で杖をぐっと握る。
感覚を研ぎ澄ませ。
ぐるる、と魔狼の声が夜闇に響いた。
動く気配はない。
「黙れ、黙れ黙れ」
周りの魔狼に邪魔されるとさすがに厳しい。
杖に魔力を集中させる。
「ーー沈黙の帳」
音が、落ちた。
がう、と金目が吠えた。
風は動かない。
イリヤはにやり、と口元を歪ませた。
「畜生が、人間サマに逆らうんじゃねぇよ」
睨み合いが続く。
動かないのなら好都合。
「ーー沈め」
ずん、と空気が重くなった。
遠距離はもうない。
獣特有の機動力を止めれば、詰みだ。
ぐるる、と唸りながら踏み出す金目に、更に唱える。
「ーー沈め」
金目の四つ足ががくり、と折れる。
それでも立ち上がろうともがく金目。
周りの魔狼も動く気配を感じる。
周りはロイドに任せた。それぐらいはできるだろう。
敵意むき出しで唸り声を上げる金目に、更に畳み掛けた。
「ーー沈め」
べしゃり、と金目の頭が地面につく。
ゆっくりと近付けば、それでもこちらをじっと見つめる目が見えた。
「ちっ……やり辛ぇ」
短剣を取り出して、動けなくなった金目の首を上から切りつける。
くうん、と小さな鳴き声が闇夜に溶ける。
黒い飛沫が舞った。
金色の目の光が消え、辺りは沈黙に包まれる。
周りを見渡せば、残った魔狼も残り少ない。ロイドが一匹切る度に、その血の匂いに集まってくるのが見えた。
返り血すら浴びずに戦うその姿に、さすがに畏怖すら覚える。
身分証すら持っていない、組合すら知らない辺境出身の男が、剣の腕は立つ。きっと、この腕なら王都で身を立てることも難しくないだろうと思う。
この魔狼についてもそうだ。金目が四つという話だったが、まだ二つだけ。本当に見間違いだったのか、それとも――
何よりこの赤目たちの行動も異常だ。炎を厭わず飛び込んでくるなんて、聞いたこともない。なのに、ロイドはそれを当たり前だと言った。
ゆっくりと、この依頼で感じた違和感が頭をよぎる。考えることが多くて頭が痛くなる。
ああ、面倒臭え。
でもこの違和感を放っておくわけにもいかない。特に魔狼は放置できない。
思考の海に沈む内に、いつの間にか短剣を握る手の力が抜けていた。
からん、と短剣が落ちた。
「っ、イリヤ!」
遠い。
反射的にその場から離れる。
右腕が燃えるように熱くなった。
「ぐっ……」
自らの右腕に食らいつく黒い塊を、何とか蹴り飛ばして引きはがす。
杖を握ると、痛みが目の奥まで走る。
自分の失態に、大きな舌打ちをした。
目の前にいる黒い塊は、今日見た中でも飛びぬけてデカい、金目だ。
「なるほどな……番かよ」
負傷した腕でこのデカブツの相手は厳しそうだ。視界の端に駆けてくるロイドを捉えて、イリヤはわずかに後ずさった。
「グルルゥガァッ」
金目が飛びかかってくる。
片足で踏みこむ。
右手で杖を振るって、痛みに顔をゆがめた。
「ちっ……くそっ」
杖が空を切る。
伝う血で、手が滑る。
行き着く間もなく、金目の爪が襲ってくる。
ぐっ、と息を詰めて地面を転がった。
「ガァウガァッ」
金目はイリヤに伸し掛かり、吠える。
その声に、森からの気配が増えた。
爪が皮膚に食い込む。
生臭い息が顔にかかる。
気分悪い。
胸糞悪い。
牙が目の前に迫る。
狙いはその一瞬だった。
「っ爆ぜろ!」
狙いは金目の口の中。
目の前に迫るその場所で、小さな爆発が起きた。
甲高い声に、金目の身体が一瞬仰け反る。その隙に思いっきり蹴り飛ばす。転がるように起き上がり、視線を走らせる。
「ロイド!」
その声が聞こえたのか。
一筋、風の刃が金目に向かう光景が目に入った。
「待たせた」
「遅えよ」
大剣を振り下ろした姿で、ロイドが笑っていた。




