02.
翌朝、日が昇りきる前に目覚めたイリヤがぐるりと周囲を確認すれば、男はさほど離れていない場所で座っていた。
起きているのかとも思ったが、足音を立てて近づいても身じろぎ一つしない様子に、面倒ごとを抱えたとため息を吐いた。
「おら、起きろ。さっさと行くぞ」
穏やかな寝顔に段々と苛立ち、つい男の足を軽く蹴飛ばす。そのまま焚火の後始末をして、荷物をまとめているとのそり、とやっと男が動き出した気配を感じた。
「すまない、これも借りてしまって」
「別にいいから。もう行けるか」
正直言えば、自分の方が荷物は多いし野宿の片付けもあるから、この男が出発できない道理もない。頷いた男に、さっさとついて来いよとイリヤは背中を向けた。
「そういや、お前名前は?」
近くの町までは半日ほど歩けばたどり着くとはいえ、その間ずっと男のことを『お前』と呼ぶのも座りが悪い。深く考えず、軽い気持ちでイリヤが振り返りながら問いかければ、男はあ、と開きかけた口を閉じた。
「何なの。名前も言えないのかよ」
別にお前の事情なんかどうでもいいけど。つい視線が冷たくなるが、そういえば世間知らずの坊ちゃんだったな、と昨夜のやり取りを思い出す。
「貴族か王族で、家出でもしてきたとか?」
にやり、と冗談交じりに問いかけるが、これが事実であれば面倒ごとは厄介ごとになりかわる。それならそれで、町に着いたら姿を隠せばいいのだけれども。
「いや、そうじゃない。君の名前も聞いてなかったな、と」
失礼に失礼を重ねてしまって、と頭をかく男のずれた答えに、ふ、と笑いが漏れる。
「ふは、ははは、確かに、な」
そういえば昨日はこいつと戦ってもいたな、名前なんて聞くタイミングもなかったなと昨日の出来事を思い出して、らしくなく世話をやいてしまったことが可笑しくなる。
「イリヤだ。イリヤ・コロトコフ。見ての通り魔術師だ」
笑いの発作が収まってきたところで、何とか簡単に名乗る。男はイリヤ、イリヤと二、三度名前を小さくつぶやいて、やっぱり、と頭を横に振った。
「俺はロイド。ロイド・オクリーヴだ」
よろしく、と差し出された左手は、剣を握る人間特有のごつごつとした物だった。
道中は、イリヤにとってはある意味で新鮮な物だった。時たま路銀稼ぎに受ける護衛依頼とは異なり、世間の何たるかも知らない奴だ。一つずつの会話も新鮮に驚き、素直に信じるその姿は昨日急に襲ってきた男と同一人物だとは到底思えない。
けれども、あの件について深堀りすつつもりはさらさらなかった。
「そうだ、街に着いたらとりあえずどっか組合で登録しとけよ。旅するにもタダじゃねぇし、干し肉代ぐらい返せよ」
「組合?」
「お前、組合も知らねえのかよ」
あまりにも旅の知識がなさすぎるこの男が七日間も一人で彷徨っていたなんて、本当によく生きていられたもんだと感心すら覚える。あーめんどくせぇ、と頭をがりがりとかきながらもイリヤはゆっくりと口を開いた。
「いいか、一回しか説明してやらねぇからよく聞けよ? 組合ってのは、同業の自由稼業同士の互助組織だ。お前、田舎から出てきたなら村民同士の助け合いとか想像つくだろ? あれみたいなもんだ」
「ああ、それなら少しはわかる。家の雨漏りを直してもらう代わりに子守りするとか、剣を教える代わりに素材を集めてもらうとか」
規模の小さな村では、近隣住民と顔見知りなことも多い。貨幣制度はもちろんあるだろうけれど、それ以上に身内意識でお互い助け合いを行うことも多い。ロイドの理解に、まあ概ねそんなところだとおざなりに頷く。
「村と違って都市じゃ規模もでかいし、人も多い分問題も起こる。例えば一人じゃ集合住宅やでかい城の修繕なんかはできないから、組合にいる他の大工と協力して複数人で仕事する、とかな」
「なるほど。とりあえずそこに登録したら仕事があるかも、ってことか」
納得したようにぽん、と拳を反対の手に打ち付けてみせる様子に、別に頭悪いわけじゃないのか、と認識を改める。
「まあ、お前の剣の腕なら討伐員組合か、商業組合じゃねえか。討伐員組合は旅人が登録することも多いし、商業組合なら店番とか行商人の護衛とか、なんでもある」
「なるほどなぁ。でも、言われた中なら討伐員組合だな」
迷いなく言い切る様子に、思わず眉を顰める。
まあ、大方予想通りの答えでもある。当てのない気まぐれな旅であれば、そもそも知識も持たずに彷徨ったりはしないだろう。こいつには旅をする目的がある、そう思うには十分な材料があった。
「イリヤは魔術師組合とかなのか?」
「いや、俺は討伐員組合だな。あっちは馴れ合いばっかで性に合わねぇ」
つい気が緩んでしまい、正直に答える。その回答にも、らしいな、と笑うロイドの顔にも毒気を抜かれてしまった。
「んじゃ、まあ組合までは付き合ってやるよ。駆け出しに向けた資料なんかも組合にはあるから、お前は少し勉強しとけ」
俺がいなかったらほんとに死んでたぞ、と杖で軽くわき腹を小突けば、へへ、と苦笑が返ってきた。本当に、昨日の鬼気迫る剣を振るった男と同じとは思えない。
「見えてきた。あの門を通れば、花の街『フルーフェルト』だ」
煉瓦色の石造りの街門に蔦が這っているのが遠目からも見える。久しぶりに訪れる街の風景に、思わずイリヤは目を細めた。
街門に行けば、身分証を見せて組合までこの男を連れて行って、それでさよなら。短い邂逅でも悪くなかったなと思い、重大なことを忘れていたことに気付いた。
このまま街門で別れることは、できないかもしれないと言うことを。




