01.
甲高い金属音に、嫌な予感が当たったとイリヤは舌打ちした。
抜かれた剣は太陽の光を反射し、イリヤが持つ杖に阻まれていた。あとほんの少し。少しだけ反応が遅れていれば、きっとイリヤの喉は鮮血を散らしていただろう。
目の前の男は鋭い目付きでこちらを睨むと、剣を引いた。けれども、それは終了の合図ではないことぐらいイリヤにもわかる。
距離を取った男に対して、無意味だと知りながら口を開いた。
「いきなり斬り掛かってくるとは、穏やかじゃねぇなぁっ」
「うるさいっ」
イリヤの軽口にも一言だけ返し、男は再度剣を構えて踏み込んだ。
行き倒れの男になんか、声をかけるんじゃなかった。自分の気まぐれに舌打ちをしたい気持ちを堪えつつ、イリヤは男から更に距離を取る。
口の中で呪文を唱えながら、杖を構えて男を観察する。細身の長身で、パワーファイターには見えないが獲物は両手剣。どっちにしろ、その速度は先程の一撃で知っている。
動きさえ止めてしまえば、まあ少しぐらい話もできるだろう。勘違いで命を狙われるのは気分が悪いし、かといって殺すのも目覚めが悪い。
男はイリヤの動作に警戒しているのか、剣を握り直してこちらをじっと睨んでいる。若干足元がふらついて見える。この状態では、あの大剣を握るだけで精一杯だろうに。
「鎖縛」
薄っすらとイリヤは目をほそめて、最後の呪文を唱え切る。一瞬の後、黒い鎖が無数に男に襲いかかる。
「っ」
男は顔を顰めながらも鎖を剣で捕らえるが、鎖が剣に巻き付いてその動きを止める。
「魔術の鎖はただの剣じゃ斬れねぇよ」
「くそっ」
別方向からも向かってくる鎖に足を絡め取られ、男は悔しそうにイリヤを睨みつける。ふう、とため息をついてイリヤは男にゆっくりと近付いた。
鎖縛の術は簡単な術ではない。男が口の中で何かもごもごとしているのも、悪態をついているのだと思い込んでしまった。
だから、油断した。
カキン、と甲高い金属音と共に、男の剣が目の前に迫る。
「やっべ」
咄嗟に身を捻るが、片腕はやられる。そう思い、衝撃を覚悟した。
けれども、そこまでだった。
男の剣はそのまま軌道がずれ、どさり、と男の身体ごと地面に倒れこんだ。
「⋯⋯まじかよ」
そのまま意識を失った男に、イリヤは再度ため息をついた。
元々、あてのない一人旅だ。誰かとつるむのも煩わしいし、ある程度のことは一人でできる。だからこそ、あまり人と関わらずにいたイリヤにとって、行き倒れの男に声をかけたのも、ほんの気まぐれだった。
「ほんっと、変な親切心なんか出すんじゃなかった」
心底後悔しながらも、焚き火を絶やさないように枝を焚べる。男と会った時にはまだ真上にあった太陽も、大分傾いてきている。
荷物の中から保存食をいくつか出して、早めの食事にする。魔物避けの結界は張ってあるが、こんな森の中での野宿はあまり歓迎したくない。
パチリ、と火の粉が音を立て、男が呻いた。
「おう、起きたか」
ぼんやりとした顔でイリヤを見つめる男の顔には、昼間の苛烈さは見られない。まだ寝ぼけてるのか、と判断して、イリヤは荷物から新しい干し肉を取り出した。
「ほら、とりあえず食えよ」
「あ、ありが、とう?」
若干混乱している素振りながらも、素直に干し肉を受け取る男の姿に、もう襲われないかと様子を伺う。じっと干し肉を見つめたままの男に、からかい交じりの皮肉を少し。
「いきなり襲われたからって、毒なんか入れねぇよ。腹減ってんだろ」
ぐーすか寝てる間に腹の音がしてたぞ、と言えば、男の顔に焚き火の明かり以外の赤みが少し。
男が眠っている間に、野営の準備のついでに男の荷物も確認していた。埃っぽい服装で、少なくとも数日は徒歩の旅をしていたはずなのに、極端に少ない荷物。馬でもいたのかとも思ったが、それでも本人が剣の他には何も持っていないのはおかしい。先程の険しい顔つきも、足元のふらつきも、全て旅の疲労と空腹が原因なら納得もできる。
戸惑いながらも干し肉を齧る男に、水袋を差し出す。
「どうせ、飲まず食わずでいたんだろ。こっちもやるから食っとけ」
差し出された袋に戸惑いを見せる男に視線を向けることなく、イリヤは反対の手で持っていた干し肉をかじる。うっすらとした塩気と、噛めば染み出る肉の旨味にこの店は当たりだったな、とどうでもいいことを考えた。
男は何かを言おうとしたのか、二、三度口を開いては閉じる、を繰り返した後、そっと受け取った干し肉を口に入れた。
「……あ?」
食事を取り始めたことを横目で確認して、ぎょっとした。苦しそうに、とも違う。けれども、何かを堪えたかのような表情と、大粒の涙に。
「なんだよ。たかが干し肉でそんなに泣く奴、見たことねぇよ」
そう言ったのは、本人に聞かせるためかそれとも自分の動揺を隠すためか。
嫌な物を見た。率直にそう思った。
「……あー」
涙をぬぐおうともせずにいる男の姿に、イリヤは頭をがりがりとかいてもう一つ干し肉を取り出した。
「ほら。泣きながら食うんじゃねぇよ」
放り投げた干し肉を、男は涙を腕で拭いながらしっかりと受け取った。
ぱちり、と焚火の火が跳ねる音がした。
小さくなる焚火を見つめながら、イリヤはぐっと体を前に伸ばす。
「まっさか、今日も野宿になるとはな」
「っ……ごめん」
つい口に出た思考に、男が反射的に頭を下げるのが見えた。
「あ? 別にお前に聞かせた訳じゃねぇよ」
「それでも……悪かった」
涙を拭った後だからか、男の目尻が少し赤い。それでも真っすぐにイリヤを見つめて謝る男に、イリヤは何かまぶしいものを見た気がした。
「っ別に」
男からの謝罪が、野宿になったことだけでないと伝わったから。気にするなと片手をひらひらと振って、手ごろな木にもたれかかった。
男はその様子をただぼんやりと見つめているだけで、その様子に違和感を感じる。
「なあ、お前、どうやって寝るんだよ」
野宿の場合は、基本的に魔物除けの結界を張った上で体を休める。体を横たえたりすれば夜盗の獲物となるので、基本的にはイリヤは武器を持ったまま座って眠ることが多い。必然、睡眠も浅くなるので何があってもすぐに動き出せる利点もある。
けれども、男はじっと焚火とその向こうのイリヤを見つめたまま、体を休めようという気配がない。いくら旅慣れていなさそうだとはいえ、野宿の方法も知らないわけはないだろう。
「あ、いや……しばらく、眠っていなかったなと思って」
「……はぁ?」
言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。理解したと同時に思わず大声が出てしまい、自分の口をおさえる。
「いやあ、お恥ずかしながら、旅に出て七日間、ろくに休んでなかったなぁと」
「おっま、ばっかじゃねぇの」
旅をするのに必要なのは食料と休息だ。どちらも、欠けてしまえば自分の命をも脅かすこととなるからだ。馬鹿、という言葉に思いっきり力を込めて言うも、男は気にした風もなく頭をかく。
「正直、村の外に出たのも初めてだったし、どうしたらいいのか全然わかんなくてさ」
「お前、よく七日も生きてこれたな」
荷物が極端に少ないことも、昼間襲ってきた時の足元のふらつきもこれで理解した。
「旅慣れてない世間知らずが着の身着のままで旅に来た、ってか」
「まあ、言ってしまえばそうなるの、かな」
あはは、と乾いた笑いを返す男に、ため息も出ない。けれども、この男だけ起きていて自分が休むのもどうにも居心地が悪い。
「ったく。ほら、それ使え」
荷物から予備の敷布を取り出して押し付ける。これはそう、自分の心の安寧のためだ。
「明日、近くの町まで連れてってやるよ。旅支度も何もできちゃいねぇ」
そう伝えれば、ありがとう、と礼が聞こえた。顔も見ずにおう、とだけ返す。
だから、その先は届かなかった。
焚火を見つめる目の奥に一瞬だけよぎったものにも、呟いた言葉にも。




