05.
目の前の赤熊をじっと見つめる。
ロイドより頭一つ大きなその体中から殺気を放つそれに、知らず口元が歪む。
「まあ、ちょっと鈍ってたかも、な」
村にいたころは、もっとヤバい魔物がゴロゴロしていた。ここしばらくの生活で平和ボケしていたのだと実感する。
ロイドの腰ぐらいの太さの腕が振り降ろされる。
体躯に見合わない素早さに、それでも躱すのは難しくはない。
ひょいひょい、とステップを踏むように大振りな攻撃を躱していけば、赤熊は苛立ったように両腕を振り上げた。
「はっ、気が短いな」
僅かに魔力の流れを感じた。中心部は赤熊の両腕。
ギリギリまで引き付けて――飛びのく。
次の瞬間、世界が揺れるような轟音と、砂埃が立った。
悪くなった視界を利用して大木の影に隠れる。
「はは、洒落にならねぇ」
木の影から様子を伺えば、その先にあったのは、大穴。
食らえばきっとひとたまりもない。
「ちょーっと、本気出すかな」
ロイドの姿を見失ってきょろきょろと辺りを見渡す赤熊に、敬意を評して。
一瞬だけ目を閉じて、魔力を体中に行きわたらせる。
馬鹿力には、馬鹿力を。
ぐっと重心を低くして、死角を待つ。
大剣を握りなおすと、短い金属音が鳴る。
赤熊の背中が見えたその瞬間、ロイドは思い切り地面を蹴り飛ばした。
ドン、と爆発音が響く。
踏み切った地面が、深く抉れた。
「おー、これだと止めンのか」
思い切り踏み込んで、大剣を重力に従って赤熊の頭上から振り降ろす。
「野生の勘、ってか?」
咄嗟に出たのだろう、赤熊の左腕に深々と大剣が突き刺さる。辛うじて頭には触れない。
ぼたぼたと、赤黒い塊が地面に染み込む。
赤熊の目がこちらをにらみつける。
「はは、怒ってンのか」
ぐるぐるとうめき声にも似た鳴き声に、口から笑みが零れる。
両手で引いても、剣は食い込んで引き抜けない。
「調子乗ってんじゃねえよ」
赤熊の身体を両足で蹴飛ばし、剣を無理やり引き抜いた。
視界の端でイリヤの姿を捉える。こちらの赤熊の背後には拘束されたキズあり。
赤熊の左腕は骨が見える。もうあれは脅威じゃない。
「向かってこないのか」
嘲りと受け取ったのか、赤熊が唸り声を上げて突進してくる。
精度は鈍い。ならもう、終わりだ。
ぐっと膝に力を込める。
まだだ、引き付けて。
ギリギリで地面を蹴り飛ばす。
真上からまっすぐに、大剣を突き立てた。
あー、眠いしだりぃ。
魔術を使う赤熊なんて、聞いたこともない。
「あー、ったく」
二匹の赤熊に襲われた瞬間、反射的にロイドを蹴り飛ばしてその場を離れた。
良い踏み台だったが、目の前に無傷の赤熊がいるこの状況は歓迎できない。
「面倒くせぇな」
寝不足で思考が鈍い。
びきり、とまたキズありから音が響いた。
「ちっ、――捉えろ!」
絞め殺すつもりでかけた術も、力づくで破壊されそうになる。
口の中で正式詠唱を小さく唱えて、目の前のもう一匹に視線を合わせる。
キズありに纏わりつく鎖が、暗く光った。
「てめぇも死にたいらしいな?」
赤熊の咆哮で空気が震える。
突風にも似たそれに、苛立ちが増す。
「さっさと来いよ。終わらせてやる」
バカでかい体躯に見合わぬ速度で突進してくる赤熊に、やはり畜生だと笑う。
「――落ちろ」
ずん、と周囲の空気が重くなった。
同時に、赤熊の体躯が地面に沈んだ。
「落ちろ、沈め、溶けろ」
いつもの簡略な詠唱は、できない。
「大地の愛し子よ、その執着に飲まれろ――鈍愛」
意識は拘束中のキズありに向けたまま、それでも視線は赤熊から逸らさない。
空気に押しつぶされた赤熊は、それでも両腕を振り回して地面を抉る。
「はは、無様だな」
いくらもがいても、その腕はイリヤには届かない。
懐から抜いたナイフは三本。
二本は赤熊の両腕に、一本はその眉間に。
左手を振り抜けば、狙い通りに突き刺さる短剣があった。
一拍遅れて噴き出す血飛沫を交わして、視線をキズありへ向ける。
拘束はこれ以上強くかけられない。
面倒臭ぇ。
舌打ちをしてぐるりと周囲を見れば、ロイドが大剣を片手で振り回す姿が見えた。
「あいつ、どんな馬鹿力だよ」
一瞬、眠気が引く。
普通、両手だろ。
じわりと赤熊の血だまりが足元まで届く。
濡れないように、ロイドの方へ足を一歩進めた。
「待たせたか?」
「いいや、ちょうどいい」
そろそろ拘束も限界だ。
びきびきと鈍い音を立てている鎖にヒビが入るのが見えた。




