02.
「また、今日はずいぶんとふざけた依頼だな、おい」
いつにも増して不機嫌な声で言われる。自分でも、少し焦っているのだと自覚して反省する。
見慣れた組合通りから離れた住宅街。宿よりも大きな家が何軒も並ぶそこは、ほとんど足を踏み入れることはない。
依頼主の家は、その外れにあった。
成金、とまでは言わない。そこそこに値の張る調度品が並ぶ応接間に通されても、イリヤはいつも通りの態度を崩さない。
「まあ、ずいぶんとお若い討伐員さんですこと」
現れた依頼人は、どう見ても機敏に動くような人ではない。それでこの依頼か、と納得した。
依頼主が座る椅子が、軋む音がした。
「それで、依頼内容についてお話できればと思うのですが」
「若い子はせっかちなのねぇ」
甘ったるい喋り方に、背筋がぞわりとする。
まあいいわ、と茶菓子に手を伸ばして口を開く。
「庭に放してあるうちのコ達、元気良すぎてただのお散歩じゃ足りないみたいなのよ」
「はあ」
だから、と何でもないことのように続ける。
「エリグの湖まで、お散歩に連れて行ってちょうだい」
その具体的な地名に、素知らぬ顔で紅茶を飲んでいたイリヤがぐっとむせそうになるのが見えた。
「っ、エリグの湖です、か」
何とか吹き出すのは免れて、言葉を選びながら話すイリヤを見る。
「ここから半日はかかるし、魔物もよく出る場所、ですよ」
「ええ、そうね。だからあなた達にお願いするのよ」
扇子で口元を隠しても、依頼主が口元を歪めるのがわかった。舐めつけるような視線に、顔が歪みそうになるのを意識して抑える。
「うちのコ達に傷一つでもつけたら、どう責任取ってもらおうかしらね」
その言葉に、得体のしれない寒気を感じた。
ではまず庭に、とさっさと立ち上がって部屋を出るイリヤを追いかけようと立ち上がれば、依頼主が先に扉の前に立った。
「ねえ、あなた」
「どうしましたか」
女性には丁寧に、そう教わったけれど。
「いい身体してるじゃない。顔も綺麗」
扇子で頬を擦られる。ぞわり、と本能的に拒否反応が出る。
「それはどうも」
あくまで義務的に返す。依頼主に嫌悪感は与えないように。
「この依頼の後で、おはなししませんこと? もちろん報酬はあるわ」
「次も別の依頼がありますので」
やんわりと、けれどもはっきりと断りを入れる。この手合いは苦手だ。
「気が向いたらいらっしゃい」
報酬は弾むわ、とクスクス笑う依頼主の声が聞こえないように、扉を閉めた。
甘ったるい香水の匂いが鼻の奥に残った。
廊下の先で待ってたイリヤに合流する頃には、既に疲労を感じていた。
「んだよ、遅えな」
「悪い」
相変わらず不機嫌そうなイリヤに、こちらも笑顔でいなす余裕はない。
ん? とイリヤが何かに気付いたように小さく上げる。
「お前、隙だらけだな」
「え?」
はっ、と小馬鹿にしたように鼻で笑われて、呆気に取られる。その間にイリヤは早足で庭へ向かう。案内をする使用人が、ゆっくりと中庭へ続く扉を開けた。
どん、と黒い塊がイリヤに飛びかかるのが見えた。
倒れ込むイリヤを見て、反射的に剣に手を伸ばす。
「っーーちょっと待て」
左手の杖を握り直したイリヤが静止の声を上げた。
「犬、か」
冷静になって見れば、長く黒い尻尾を千切れんばかりに振る大きな犬がそこにいた。
思わず気が抜ける。扉の向こう側を見れば同じような犬が二匹、こちらの様子を観察するようにそこにいた。
「この三匹が依頼の散歩相手です」
使用人の言葉に、そうだろうなと納得する。あの依頼主ではこの三匹を散歩に連れ出すことはできないだろう。同時に嫌悪感も思い出しそうになって、頭を振る。
「よーし、お前たちはこっちだ」
そっと、慎重に近付く二匹に、動物は可愛いと思う。魔狼によく似てるが、ブラウンアイがこちらをじっと見つめる。
ぴくりと、犬たちの鼻が動く。それと同時に、さっきまで近づいてきていた二匹がイリヤの方へ駆けよって行った。
「えぇ?」
小柄な女性ほどの大きさの犬三匹に囲まれ、乗られて、もはやイリヤが黒い塊に見える。
食われてないよな?
「てっめえら、重ってぇ」
良かった生きてる。
「おいロイド! 何とかしろよ」
「いや、何とかって言われても」
尻尾をぶんぶんと振り回しながらイリヤの顔を舐める犬たちをどうしろと言うんだ。
近づくな、とかおいこら、とかイリヤが文句を言っているのが聞こえる。とりあえず、少しだけ近づいてみれば、ぴくり、と三匹の犬は顔をこちらへ向けた。
そのまま更に近づくと、犬たちは警戒も露わにしながら離れていく。
決して一定以上近づいてくれないまま、犬たちはイリヤの上から自然と離れて行った。
「……何とかなったな」
金の髪に葉をつけたまま立ち上がり、イリヤは服の埃を払う。
「何でだ」
ちょっとだけ悲しい。別に危害を加えることもないのに。
「いやお前くせえし」
甘すぎる、とイリヤにも言われた。
結局、エリグの湖までの道中はイリヤが三匹のリードを持ち、ロイドが護衛の形を取ることとなった。
「んな甘ったるいもんつけてるからだ」
「好きでつけてるんじゃない」
三匹の黒い犬を引き連れて歩くイリヤは、黒いローブのフードまでかぶって黒ずくめだ。
「親分か」
「あん?」
聞かれないようにつぶやいて、思わず肩が震える。これはさすがに伝えたら怒られる。
何とか笑いを噛み殺して、屋敷へ目を向けた。
道中も特に魔物が現れることもなく、依頼自体は至って平凡な結果に終わった。
きっとイリヤが魔物避けでもかけたのだろう。湖の近くには、人でない物の気配がいくつかあったから。
「これで依頼完了、ですね」
何となく不機嫌そうな依頼主には気付かない振りをして、しれっと完了報告だけ使用人からもらう。さらり、とペンを走らせる音がした。
最後まで犬達はロイドに近付くことはなかった。
「……何でだ」
「知るかよ」
やっぱりちょっと悲しい。懐かれていたイリヤはくつくつと喉の奥で笑いながらロイドの肩を叩いた。
「たまには飲みにでも行くか」
「……金がない」
そう言えば、じゃらり、と先ほど受け取ったばかりの報酬を持ち上げた。
「依頼はクソだが、払いは良かったからな」
足りなきゃ出す、とまで言われれば、断る理由はなかった。
「今のお前見ながら飲んだら面白そうだし」
前言撤回。
「じゃあ、たっかいの飲んでやる」




