夜の警告
神崎修司。
父親の名前が表示されたスマホを、悠真はしばらく見つめていた。
十年前に失踪した父親。
今まで何度もその名前を見てきたはずなのに、今だけは違って見える。
小日向ひなたが集めていた失踪記事には名前が残っていた。
他の記事は違う。
年齢や性別、失踪した場所は書かれているのに、肝心の名前だけが空白になっている。顔写真も黒く塗り潰されたように見えなくなっていた。
まるで、その人間だけが世界から削除されたかのように。
だが父親の記事だけは違った。
神崎修司。
確かにそう書かれている。
「神崎くん?」
向かいに座るひなたが不思議そうに首を傾げた。
「その人知ってるの?」
悠真は慌ててスマホを伏せる。
「いや、別に」
反射的にそう答えた。
ひなたは怪しそうな顔をしたが、それ以上追及はしてこなかった。
代わりにポテトを一本摘みながら言う。
「でもさ、この町って絶対変だと思うんだよね」
「どうしてだよ」
「失踪事件が多すぎるもん」
ひなたはスマホを操作しながら次々と記事を表示した。
十年前、七年前、五年前、三年前。
時期は違うが内容はよく似ている。
誰かが突然いなくなる。
捜索しても見つからない。
やがて話題にもならなくなる。
そんな記事ばかりだった。
「ネットだと神隠しって呼ばれてるんだよ」
「神隠しねぇ……」
悠真は曖昧に返した。
昨日までなら笑い飛ばしていただろう。
だが今は違う。
朝霧美咲が消えた。
しかも誰も覚えていない。
そんな現実を目の前で見てしまった以上、ただの都市伝説で片付けることはできなかった。
「ねぇねぇ、これ見て」
ひなたが楽しそうにスマホを差し出してくる。
そこには古い掲示板のスクリーンショットが映っていた。
『夜の向こう側を見た』
そんなタイトルだった。
「夜の向こう側?」
「有名なんだよ、この町の都市伝説」
ひなたは身を乗り出した。
「夜中になると町が別の世界になるんだって」
「別の世界?」
「そう。ビルが崩れてて、人もいなくて、全部廃墟になってるの」
楽しそうに話しているが、悠真には笑えなかった。
なぜなら。
雨宮詩織が言っていたからだ。
『夜の向こう側を見てはいけない』
偶然とは思えなかった。
「その書き込みした人はどうなったんだ?」
悠真が尋ねると、ひなたは肩をすくめる。
「知らない。アカウントごと消えてる」
「消えてる?」
「うん。過去ログにも残ってないんだよね」
妙な話だった。
失踪事件。
消えた名前。
消えたアカウント。
全部がどこかで繋がっている気がする。
気付けば外は暗くなっていた。
ファストフード店を出ると、昼間までの蒸し暑さが嘘のように風が冷たかった。
「じゃあ私は帰るね!」
ひなたは手を振りながら去っていく。
数歩進んだところで振り返った。
「神崎くん」
「ん?」
「夜の神社だけは行かない方がいいよ」
「なんで」
「都市伝説的に一番ヤバい場所だから!」
そう言うと本人は満足そうに笑い、そのまま走り去っていった。
悠真はため息を吐く。
神社。
昨日、美咲が消えた場所。
偶然とは思えなかった。
帰宅する途中、ポケットのスマホが震えた。
知らない番号だった。
一瞬迷ったが画面を開く。
メッセージは二行だけ。
『夜になる前に帰れ』
『見つかるぞ』
悠真の足が止まった。
誰だ。
ひなたの悪戯か。
だが、そんなことをするような性格ではない。
続いて画像が一枚送られてくる。
悠真は恐る恐る開いた。
そこに写っていたのは町だった。
だが見覚えのある町ではない。
道路はひび割れ、信号は倒れ、ビルは崩壊している。
まるで何十年も放置された廃墟だった。
そして写真の中央。
黒い人影が立っていた。
神社で見たあの影だった。
全身が総毛立つ。
その瞬間だった。
背後から声がした。
「見ちゃったんだ」
悠真は反射的に振り返る。
街灯の下。
雨宮詩織が立っていた。
昼間と同じ無表情な顔。
だがその瞳だけは焦りを隠せていなかった。
「雨宮……」
「もう遅いかもしれない」
詩織はそう呟くと、崩壊した町の写真を見つめた。
「今夜、何があっても窓の外を見ないで」
「だから何なんだよ」
悠真は思わず声を荒げる。
「知ってるなら教えろよ!」
詩織は唇を噛んだ。
何かを言おうとする。
だが次の瞬間、顔を歪めて胸を押さえた。
まるで激しい痛みに襲われたようだった。
「っ……!」
「おい!」
「ごめん……まだ話せない」
苦しそうな声だった。
そして彼女は最後に一言だけ残した。
「零時になったら、絶対に外を見るな」
そう言い残し、夜の闇の中へ消えていった。
悠真はその場に立ち尽くす。
スマホには崩壊した町の写真。
頭の中には雨宮詩織の警告。
そして胸の奥には、どうしようもない予感が渦巻いていた。
今夜、何かが起こる。
そんな気がしてならなかった。




