その3:「でも、今はもうミカじゃないでしょ?」
四人は大水槽の前へと辿り着いた。幅40メートル、高さ10メートルはあるだろうか。青い光で満たされ、巨大魚が悠然と泳ぐ大水槽の前には、階段状にせり上がった床にベンチを配した観覧スペースがあった。幻想的な大空間に、四人は暫し圧倒されていた。
やがて、水槽に近づいたミカが大きな声を上げた。
「アミカナ! 見て! このエイの顔。ほら、高校の時の……」
アミカナは目を見開いた。
「わかった! 数学の先生ね! ほんとよく似てる!」
彼女がミカへと駆け寄る傍で、シオンが顎でベンチを示した。志音は頷いた。
階段の一番上まで上がった男子ペアは、そこのベンチに腰を下ろした。
シオンは後ろに手を付いてのけ反ると、脚を組んだ。
「女ってのはよくしゃべるな」
うんざりしたように言う。志音は黙ったまま微笑んだ。
やがて、シオンは、膝の上に両肘を置いた志音へと語り掛けた。
「……よお、お前、何であの脳筋女に惚れたんだ?」
志音は驚いて身を引いた。
「何、急に」
「顔か? 体か?」
余りにもストレートな問いに、志音は苦笑した。
「……まあ……綺麗だとは思うけど……」
「けど?」
一度目を伏せた志音は、暫く両手の親指を絡ませていた。やがて顔を上げる。
「彼女は懸命に生きてる。アンドロイド、特に戦闘特化型のアンドロイドであることの不自由は、きっと僕らでも計り知れない。それ以前に、自分がアンドロイドであるという事実そのものと、どうやって向き合うのか。それは、そうなった人にしか分からない悩みというか、課題というか……」
シオンは苦笑した。
「それはお前もだろ?」
「まあ、そうなんだけど。でも、とにかく、アイデンティティの問題を抱えながら、それでも、そんな問題なんてないかのように振舞う彼女を見ていると、どうにかして支えてあげたいな、と思って……」
「ふ~ん。結局顔か」
意味不明な納得の仕方に、志音は顔を顰めた。
「……話、聞いてた?……」
「お前の好みは分かってる。何たって、お前は俺だからな」
うすら笑いを浮かべるシオンに、志音は溜息をついた。
「……じゃあ、シオンはどうしてミカさんと付き合うことにしたの? 顔が好みだから? 脳筋女の顔だよ?」
負けずに志音が茶化すと、シオンは、配管の束がある暗い天井を見上げた。
「……そうだな……」
一度目を閉じる。
「……生きることに、負い目なんて必要ない。何たって、生きてるんだからな。負い目を持って生きるってのは矛盾してるんだ。あいつはそれが分かってない。だから……」
「……だから?……」
シオンは志音に顔を向けた。
「まあ、お前流に言うなら、『輝くべき人に、輝いて欲しい』ってことかな?」
一瞬、志音は言葉に詰まった。気を取り直すと笑みを浮かべる。
「ふ~ん。結局顔か」
そう言われて、シオンは余裕に溢れる顔で笑った。
「まあな。お前、俺の好みは分かってるだろ?」
そこで、志音はシオンから顔を逸らすと、大水槽の方を見た。
「……アミじゃダメなの?」
一瞬唖然としたシオンは頭を振った。志音は彼に目線を戻した。
「人の唾が付いたものは要らん!……それにあいつは……」
そういうと、シオンはアミカナに目をやった。苦笑する。
「もう輝いてる。お前が支えたからかは知らんがな……」
女子ペアは、青く輝く大水槽の正面に立っていた。
「……綺麗ね……」
ミカが呟くように言う。
「……ねえ、本当にあいつでいいの?」
水槽を眺めたままで、アミカナは聞いた。
「どうして?」
ミカに聞かれて、アミカナは思わず彼女の横顔を見た。
「どうしてって……私がミカのままだったら、きっと選ばないと思うから……」
「そうね」
そう言うと、ミカはアミカナを見た。
「でも、今はもうミカじゃないでしょ? だから……そういうことよ……」
アミカナは眉を顰めた。ミカは水槽の中に視線を戻す。それ以上説明する気はないようだった。アミカナもゆっくりと顔を水槽に向けた。目線を落として暫く躊躇した後、彼女は思い切って尋ねた。
「ミカ……今だから聞くけど、志音のこと……気になってたでしょ?」
水槽の方を向いたまま、ミカは微笑んだ。
「さあ、どうかしらね?」
どうとでも取れる返事に、アミカナは不安げな表情で再びミカを見た。ミカはチラリとアミカナに目をやった。
「心配だったの?」
そう言われて、アミカナは目を伏せた。
「……私は……アンドロイドだし……しかも、彼みたいに人間に近い仕様じゃないし……」
苦笑したミカはアミカナに向き直った。
「もっと彼を信じてあげないと。この間の彼、私の擬態を最初から見破っていたでしょ? だから……そういうことよ……」
「……でも、ただ、何となくわかっただけだって……」
アミカナが口ごもると、ミカは笑った。少しだけ腰をかがめると、上目遣いにアミカナの顔を覗き込む。
「それだけあなた達の仲が深いってことでしょ?」
「……え?……」
一瞬、戸惑いと恥じらいの表情を見せたアミカナだったが、急に眉を顰めた。
「何?……この音?……」
全ての魚が同時に動きを乱し、大水槽が銀色の光を放つ。
突然の事態に、アミカナとミカは身構えた。
同時にシオンも立ち上がっていた。
「おい! 今年は何年だ?」
突然の切迫した声に、志音は思わず身を引いた。
「え?……令和8年だけど……」
「年号じゃわからん! 西暦だ!」
「……2026年……」
「2026年……X月XX日……今日か!」
そう言うと、シオンは階段を駆け下りながら叫んだ。
「ミカ! アミカナ! そっから下がれ! 水槽が割れるぞ!」




