73.婚約者とのお茶会
「迎えに来たよ、イルヴァ」
「……エリアス?」
爽やかな挨拶と共に現れたのはエリアスだ。
「では、私はこれで失礼しますね、レンダール様」
「ありがとうございました」
確信犯のユーフェミアは、エリアスに挨拶すると、イルヴァの方を向き直ってひらひらと手を振った。
「またね。……あ、お願いされてた件は、調べたら送るわ!」
「ユフィったら……。まあいいわ。今日はありがとう。調査結果も待ってる!」
最後に微笑んだユーフェミアは、美しい一礼を残してその場を去った。
「それで? ユフィから聞いたの?」
「そうそう。お茶するから迎えにこないかって」
どうりでユーフェミアに驚いた様子がないはずである。
エリアスに会えて嬉しい気持ちと、そんな気の使われ方をして恥ずかしい気持ちとがないまぜになって、イルヴァはどうしていいか分からなくなった。
「イルヴァがよければ、少し、話をしていかない?」
エリアスはそういうと、イルヴァたちがいた個室のほうを手を向けた。
「いいけど、個室の予約の時間がギリギリかもしれないわ」
「大丈夫。後ろは僕が押さえてるから」
「え?」
いったいいつから計画されていたのか。
ここを予約してくれたのはユーフェミアだったが、まさかそんなことまで画策していたとは思わなかった。
「じゃあ、もういっぱい、お茶にお付き合いいただけますか?」
ダンスのお誘いのような雰囲気で誘われて、イルヴァは思わずクスリと笑った。
「素敵な紳士に誘われて光栄です」
茶化すように応えると、エリアスがパッと顔を背けた。ちょっと耳が赤い気がする。
「エリアス?」
「なんというか……率直なイルヴァに素敵な紳士、と言われると……照れる」
「? あなたが素敵な紳士なのは事実でしょ?」
どうして照れるのかと首を傾げると、エリアスがじとっとした目でこちらを見てきた。
「そう、そういうのだよ。……素で言ってるのは、もう触れてなくてもわかるんだから」
なんだかエリアスはもごもごと言っているが、カフェの個室の入り口に長い間滞在するのも気が引ける。
聞き返すことはせずに、イルヴァはエリアスを促すと再び個室に戻った。
2人が部屋に入ると、先ほどの料理や飲み物はいつのまにか下げられていた。
「ライスト嬢とは、たくさん話せた?」
「ええ。お兄様とシャロのことも相談したわ。エリアスのアドバイスを受けて食事の様子を観察したのだけれど……お兄様って好き嫌いがなくて困っていたの」
エリアスに以前相談した時に、こっそり好きなものを探るように教わっていたが、あまりうまくいかなかったのだ。
「ライスト嬢はなんて?」
「調べて結果を送るって言ってたわ。お兄様は人気があるからいくらでも調べられると。……本当かしら?」
イルヴァがそういうと、エリアスはなんだかとても微妙な表情になり、視線が泳いでいた。言葉を探して困っているような様子だ。
「……ライスト侯爵家家の力を持ってすれば、簡単だと思うよ」
ーーーなんの間かしら。
ユーフェミアと話した内容を交えて雑談をしていると、今度はお茶だけでなく、軽食とお酒も運ばれてきた。
お茶とは言ったが、先ほどまでティータイムをしていたイルヴァへの配慮だろう。
確かにもうお菓子は充分な気持ちだったので、塩気のある食べ物は嬉しい。
エリアスのそういう細やかな配慮も、エリアスの良いところだ。
「今日はどうしたの? 何か急ぎの用でも?」
ユーフェミアとのお茶と違い、席は隣同士だ。
「急ぎの用というか……この前話した結婚のことでーーー」
「そうだわ! ごめんなさいーー」
「あつっ」
結婚が遅くなって、と続けようとしたら、エリアスがお茶をこぼした。
「大丈夫?」
イルヴァはエリアスの服と机を魔法で乾かすと、念の為、治療魔法をかけた。
「ありがとう。それより、その……ごめんなさいって……?」
「ああ。王命特任位になったことで結婚が伸びたでしょう?」
エリアスが3回瞬きをして、深く息を吐いた。
「……ふぅ。そのことか。うん、良かった」
「え?」
「今になって結婚をとり止めたいのかと」
意表をつかれて、イルヴァも何度か瞬きをしたあと、首を傾げた。
「どうしてそんなことを?」
「あの流れで謝られたら……そう思うよ」
「そう? でも……安心して。あなたとの結婚を止めたいだなんて思わないから」
エリアスは目を見開いて、固まった。
そして張り詰めていたものが解けるように、笑みをこぼして言った。
「それは……すごく嬉しい」
「ほんと?」
「うん」
まっすぐこちらを見るエリアスから視線を外す。そして、グラスに入っていたワインを飲んだ。
グラスに残るワインは、思ったより少ない。
飲みすぎたか。
「……それで、エリアスがしたかった結婚の話って?」
「その……一年後までは結婚できないけど、結婚できるタイミングになったら結婚できるように準備するのはどうかな?」
「ええ。そうしましょう」
それは決まったことだと思っていたイルヴァをよそに、エリアスは一瞬、動きを止めたように見えた。
「本当にいいの? いいなら、最短で結婚できるように、尽力するけど……」
「早く結婚しましょうって言ったのは私だもの。もちろんいいわ」
そこまで言ってから、ふと、早く結婚したいのはイルヴァの都合だったのではないかと思い当たる。
イルヴァが結婚しない限り、あらゆる手段で結婚の邪魔は入るだろう。
そう思って早く結婚しようと言ったが、それはエリアスの気持ちとは向き合っていなかったような気がする。
「エリアスにとっては……早く結婚する意味はあるの?」
「あるよ!」
焦りを含んだ強い口調で返されて、イルヴァは目を丸くした。
「僕が君のことを好きだって気持ちは受け止めてくれたんじゃなかったの?」
「受け止めたわよ」
「それなら結婚を急ぎたい気持ちも分かってくれるはずじゃ……?」
心なしか潤んだ瞳で見つめられて、イルヴァは一瞬、何か言おうとして——思考がまとまらないまま口を開いた。
「結婚のタイミングは恋情では決まらないでしょう?」
「え?」
「………え?」
貴族の結婚とはそういうものではなかったか。
そう思って尋ねると、エリアスはなぜか意表をつかれた顔をした。
そして、彼はそっとイルヴァの手に、自身の手を重ねた。
「もし……僕の意思が必要ないなら、僕はとっくに婚約者がいたよ」
エリアスはレンダール公爵家の唯一の後継者だ。そう思うと、確かにこの歳まで婚約していないのは不自然と言うべきだろう。
エリアスに婚約者がいたかもしれない。
そんな想像をしてみると、なんだ落ち着かない気持ちになる。
「……それは、そうね」
イルヴァはエリアスの言葉を聞きながら、重なる手のひらに視線を落とした。
エリアスの手が温かい。
ただ、それだけのことなのに、なんとなく視線を外せない。
「貴族の結婚に意思が関係ないと思ってたの?」
エリアスが少し困ったような声で聞いてきた。
イルヴァは顔を上げて、率直に答えた。
「関係ないとは思っていないけれど……結婚のタイミングを決めるのは家同士の事情が主でしょう。恋情は、あくまでも縁を深める要素であって、基準にはならないわ」
「……貴族としては、そうだね」
エリアスが深く息を吐いた。
「でも、うちは違う」
「え?」
「少なくともレンダール家の場合、両親も僕も、結婚相手との関係ありきで考えてる。政略的な意味合いは否定しないけれど、それだけで決めることはない」
それは知らなかった。
イルヴァはしばらく黙って、その言葉を噛み砕いた。
「……だから、エリアスはこの歳まで婚約者がいなかったの?」
問うと、エリアスは少し間を置いてから頷いた。
「そう。……王家の意向が絡んで、立ち消えになったものもあって」
「そう……それは、大変だったわね」
王家の意向。その言葉で、自然と合点がいった。
アマルディア殿下が関わっていたのだろう。エリアスへの執着を思えば、縁談を潰すぐらいのことはしかねない。
「いいんだ。ただ……」
エリアスは、少し困った顔でイルヴァを見た。
「イルヴァが早く結婚したいと言ったのは、邪魔をされる前に、という理由だけ?」
率直な問いだ。
嘘はつけないので、そのまま考えた。
「……最初にそう思ったのは、そういう理由よ。でも」
でも、と言ったきり、続く言葉がまとまらない。
今この瞬間、早く結婚したい気持ちに、合理的な理由だけが含まれているかと問われると、はっきりとそうだとは言い切れなかった。
それが何なのか、まだイルヴァには分からない。
「でも、それだけではないかもしれない」
正直に言うと、エリアスがふっと表情を和らげた。
「それを聞けて良かった」
「……そう?」
「うん」
あっさりと返されて、イルヴァは少し目を逸らした。
手のひらはまだ重なったままだ。
「じゃあ、僕も一つ聞いていい?」
「どうぞ」
「僕が早く結婚したい理由、ちゃんと伝わってる?」
なんだかやけに、エリアスの手に力が入っている気がする。
「好きだから……でしょう? それ以外にも事情はありそうだけれど」
ーーー好きだから、以外の理由が気になるところだけれど……。好きだからが理由として大きいのも、さすがに分かってきたわ。
「事情については、ごめん。今度、景勝地での旅行で話すから」
「謝らないで。事情は誰にでもあるものよ。私の事情もあるしね」
ーーー嘘をつけないというのは、時期公爵家の婦人として致命的な欠点でもある。エリアスのご両親は受け入れられるのかしら。
「不安がある?」
エリアスの問いに、イルヴァは少し首を傾けた。
「そうね……私たち以外のことは、2人で決められないこともあるから」
王命特任位で一年結婚できなくなることもそう。
もしかしたら、レンダール夫妻がイルヴァの欠点を知って結婚を反対するかもしれない。
「でも、あなたの気持ちは信じてるし、私の気持ちも変わらないわ。生じてもいない不和を気にして不安に思うのも……おかしな話ではない?」
エリアスは目を丸くした後、小さく笑って、重ねていた手をそっと離した。
「イルヴァらしいね」
その声が甘やかで、優しくて。
エリアスとの距離が近いことを意識させられて、急激に気恥ずかしくなる。
イルヴァが言葉を継げないでいると、エリアスはワインのグラスを持ち上げた。
「じゃあ、最短で結婚できるように頑張るから」
「お互いにね」
グラスを合わせると、軽い音が個室に響いた。
帰り道、馬車の中でイルヴァはぼんやりと今日のことを思い返した。
エリアスがこの歳まで婚約者を持たなかったこと。王家の意向が絡んで立ち消えになったという話。
ーーーどうして、エリアスには婚約者がいなかったのかしら。
王家の意向が絡んでいたというなら、アマルディア殿下の件は説明がつく。
でも、それだけで、レンダール公爵家の嫡子がこの歳まで婚約者なしでいられるものか。
それに、その事情は、本当にイルヴァで解決するのか。やはり後から結婚に反対されたりしないだろうか。
ぐるぐると渦巻く思考の答えは出ないまま、馬車は夜の街を走り続けた。




