71. another_side 彼女の秘密と自分の秘密
エリアス視点です
いつからだろう。
彼女に完全に惚れたのは。
そんなことを考えながら、見慣れた天井を仰ぐ。
ぐったりとソファの背もたれにもたれかかると、今日の古樹森林帯での疲労がのしかかるようだった。
「助けられて……良かった」
軍命を放棄してでもイルヴァを助けにいく、と言ったエリアスに、部隊員たちは好意的だった。
おそらく、イルヴァ1人を囮にして残すのが、彼らも後ろめたかったのだろう。
イルヴァもエリアスには小言を言ったものの、リングダールには報告しなかった。
イルヴァとエリアスは当初の作戦では殿を務める予定だったので、彼も疑問に思わなかったようだ。
ただ、もし、事が露見して、罰則を食らうことになっても、エリアスは決して後悔しなかっただろう。
何度あの場面を繰り返しても、エリアスは同じ選択をする自身がある。
ーーー私はあの日に決めたの。守るべきものを守るために手段を厭わないと。
イルヴァの声が脳内に蘇る。
彼女もまた、何度繰り返しても自分が囮になるのだ。
あれは、自己犠牲の精神というわけではない。むしろ、彼女は自分自身のために、あの道を選ぶ。
だからこそ厄介で、止めづらい。
「強く、ならないと……」
彼女の信念を曲げることはできない。
でも、エリアスは、彼女がもたらす結果の全てを受容するんけではない。
いつだって、彼女を守るための干渉はさせてもらうつもりだ。
ソファでぐったりしていると、扉がノックされ、執事の声の後、両親が入ってきた。
「大丈夫?」
母エレオノーラが心配そうにそういうと、エリアスの隣に座って怪我はないかと確認した。
「はい。体力は使い果たしましたが、大きな怪我はありません」
エレオノーラも自分の目で見て安心したのか、ほっと息をついた。
「連絡を受けた時は心配だったのだけれど、ちょうど王妃陛下とのお茶会で抜け出せなくて」
「お茶会の最中に連絡を?」
「王妃陛下に伝令があって、私たちにも共有されたの。安全が確認できるまでここに留まってくれと」
確かに討伐漏れがあった場合、王城まで魔物が来ずとも、王都が魔物で溢れて大混乱になる恐れはあった。
そう思えば、王妃の判断は真っ当だろう。
「王都に霧光の鹿が、だなんて話、にわかには信じられなかったけれど、まさかあなたまで巻き込まれているなんて」
「イルヴァがいなければ、壊滅的な被害を出したかと」
「彼女の大活躍も耳に挟んだわ。話が本当なら無謀にも思えたけれど」
エレオノーラはそういうと、いつのまにか用意されていた紅茶を口につけた。
「イルヴァ嬢も大きな怪我はないの?」
アルファウルフにのしかかられた、血まみれのイルヴァがパッと頭浮かんだ。
あと一歩遅かったら、と思うと心臓がきゅっと縮こまる。
その顔を見て、エレオノーラも顔色を変えた。
「怪我したのね?」
母に心配をかけないようにしたいが、ここまで顔に出してしまっては誤魔化せない。
「……はい。ただ、治癒魔法で完治しています」
「彼女1人で囮になり、エリアスがそのあと合流して2人で霧光の鹿を討伐したというのは?」
「事実です」
「あなたから見て、最善策だった?」
母の質問に、エリアスはどう答えるべきか悩んだ。
軍人として答えるなら肯であるし、個人としては否である。
迷った末に、エリアスはイルヴァの言葉を借りることにした。
「全員が助かる可能性があったのは、この度実行した作戦だけです」
エレオノーラの目がスッと細くなった。エリアスの曖昧な答え方が、何を表しているのか考えているのだろう。
すると隣にいたアウリスが、そっと思考の手助けをするように質問した。
「この作戦の実行で、気になることがあるんだ」
父の言葉にぎくりとした。
「どういうことかしら? あなたは詳細を?」
「事前の作戦と、実際の動きについて聞いたんだ」
そこで一度言葉を区切ると、アウリスはスッと手を差し出して、執事から何かの書類を受け取った。
そうして机の上に広げられたのは、古樹森林帯の地図だ。
その上に兵士に見立てた駒を並べていく。
「有事判定の時の状態はこうだね?」
問われて、自分の見ていた部隊の位置を微調整した。
「南部の2部隊の実態については分かりませんが、おおそよこの配置かと」
「それで、事前の作戦に従い、エリアスはイルヴァと合流を」
そういいながらアウリスはエリアスにみたてた地図上の駒を動かした。
「次に、残された部隊は、南下しながら西部にいた部隊と合流。イルヴァのいた部隊員も合流」
そういいながら3部隊の駒を動かした。
「……不自然な点があるのですか?」
エレオノーラは軍事方面に明るくはない。この盤上を見てもピンとこなかったようだ。
アウリスはそんな彼女に説明を付け加えた。
「この駒のうち、魔法以外の戦闘手段を確実に持っていたのは、監督官5人だ」
そこで言葉を切り、北部にいた3部隊を順番に指差した。
「この逃げ方だと、霧光の鹿の支配域に入るかもしれないリスクを追いながら、18人の部隊員を1人の監督官が責任を持って退避させることになる」
ここまで説明されて、エレオノーラもアウリスの言わんとしていることに気づいたようだ。
「つまり、気になる点というのは……エリアスは、隊員の退避行動の補助が本当の仕事だったのでは、と?」
「ああ、普通の指揮官ならそうするね。……どうだったんだい?」
ここまではっきりと聞かれれば、答えないわけにもいかない。
「はい、命令に背いて助けに行きました。イルヴァは合流作戦は放棄するよう指示したので」
「それは……どういう理由なの? 軍事的? それともーーー」
「ーーー個人的な理由です。あの場でイルヴァを見捨てることはできませんでした。たとえ、軍令違反で懲罰対象になったとしても」
きっぱりと言い切ると、両親は対照的な反応を見せた。
母は穏やかに微笑んで、頷いた。イルヴァを助けにいったことを支持してくれているようだ。
父は、神妙な表情をして、黙り込んだ。
もしや、咎められるだろうか。
そう思って身構えていると、長い沈黙の後、静かにアウリスが口を開いた。
「露呈していないのは偶然かな?」
「特に隠蔽工作はしていません。ただ……部隊員には理由も告げて単独行動しているので、彼らが口をつぐんでいることには違いありません」
レンダール公爵家のものとして、弱みを作るのは良くない。
隠さないと決めて、責任を負う覚悟があるなら、火消ししない方がむしろ好都合だ。
「……後から糾弾されるかもしれないけれど、覚悟の上かい?」
「はい」
しっかりと返事をして、まっすぐと父の瞳を見つめ返した。
しばし無言の時間のあと、父は目をそらし、小さく息をついた。
「……そうか。ならいい」
「いいのですか?」
あっさりと許されて、エリアスは思わず問い返してしまう。
すると呆れ顔の父が、盤上の駒を指した。
「何かを守るためには、何かを捨てる覚悟が必要なこともある」
アウリスが指し示しているのは、イルヴァの駒だ。
「……単純に、心を読みづらいだけの相手ではなくなったようだからね」
「え?」
気づくと、両親がそろってクスクスと笑っていた。
「あら……気付いてないの? 婚約の話をしていたあの日よりも、ずっと、心を傾けているでしょう?」
もちろん気付いていた。
自分はイルヴァとは違う。
自分の気持ちを見誤ったりはしない。
ただ、それを両親から真っ正面に問いただされると、気恥ずかしくて、頰がじわじわと熱くなった。
2人の生暖かい視線が、エリアスをより、いたたまれない気持ちにさせた。
「からかわないください」
「ふふ。嬉しいのよ」
そういうと、エレオノーラは何故か立ち上がって、エリアスの真正面に来た。
何をするのだろうか、と思ったら、次の瞬間には抱きしめられていた。
『あなたも、共に生きたいという人ができたのね』
母の心の声が流れ込んでくる。
ようやく、エリアスは母の突然の行動の真意を理解した。
『私とアウリスにとっては、あなたの幸せが何より大切だから』
直接聞こえてきたその声に返事をできずにいると、すっと母はエリアスから離れた。
そうして父の隣に座ると、その肩にもたれかかる。
「あなたを蚊帳の外にしてしまったわ」
「君が何を言ったかは、分かるつもりだ」
父には聞こえなかったはずだが、見栄を張っているようには見えなかった。
これぞ、夫婦の絆というものなのだろうか。
エリアスが感心していると、エレオノーラがふと、思い出したとばかりに身を乗り出して、地図を見つめた。
「それにしても、古樹森林帯全域で魔法を展開するなんて……イルヴァの魔力は無尽蔵なのかしら?」
「そのことで、一つ、ご報告が」
「報告?」
両親に話すことはイルヴァの許可をとったとはいえ、事件のことは詳細に話すのは少し気がひける。
そのため、彼女が裏切りを受けたことと、その事件をきっかけに精霊との契約を結んだということに絞って話すことにした。
「イルヴァが精霊と契約を……」
「あの魔力量も納得だね」
話を聞いていた2人は、驚き半分、納得半分といった様子だった。
「精霊との契約には対価が必要なはず。対価については?」
エレオノーラの問いに首を横に降った。
「聞いていません。ただ……予想はついています」
「予想が?」
「おそらくですが、嘘をつけないことが対価なのかと」
2人は揃って目を見開いた。
イルヴァが率直な女性であると伝えてはいたが、本当に嘘がつけないとは思っていなかったようだ。
「もしかして、あなたが最初、声が聞こえないと思ったのは、発話と心の声が完全に一致しているから?」
「はい。そうだと思います」
「それなら、エリアスの力のことも、受け入れやすいかもしれないわね。彼女にはもう打ち明けた?」
「いえ、まだです。打ち明けようとは思っているのですが……」
エリアスはもう何度も、イルヴァに打ち明けようと思っていた。
しかし、その度に、打ち明けられずにいた。
イルヴァの性格上、過剰な反応はされないと分かっている。
エリアスが懸念しているのは別のことだ。
「拒絶されるのが怖いの?」
「……イルヴァに限って言うのであれば、それは恐れていません。フェルディーン家の方々に打ち明けるのは勇気が入りますが」
過去のレンダール家の当主の日記を見ている限り、心を読む力というのは、嫌悪されやすい。
結婚相手はすぐに受け入れたものの、その家族には握手を断られたり、ひどいと会うことも嫌だと拒まれたこともあったという。
愛した人の家族に拒絶されるのは、どれほど辛かっただろうか。
「先に彼女だけに打ち明けたら? 彼女は受け入れてくれそうなのでしょう?」
「実は……逆なんです」
「逆?」
「イルヴァに打ち明けたら、おそらく彼女の心は読めなくなるので……それが、名残惜しくて。僕の方が心の準備ができていないんです」
彼女は魔法でこの力を防ぐことができる。
そう、彼女は心を読まれない手段を持っているのだ。
「読めなくなるとは、どう言う意味なの?」
「イルヴァは魔力を制御することで、この力を無効化できます」
「! そんなことが可能なのか?」
横で聞いていたアウリスが身を乗り出した。魔法理論に関することなので、興味深々だ。
「はい。魔力過剰受容症だと勘違いされ、その治療法として提案をされたので、そちらの治療法にもなるかと」
「そんな方法が……! もっと詳しくーーーあ、いや……なんでもない」
すっかり新しい魔法に魅了されたアウリスは、その話に大いに食いついたが、隣にいる自身の妻の冷めた表情に我に帰ったようだった。
「ひとまず、魔法理論のことはいいわ。それよりも、無効化されるのが惜しいということは……その力を使っていたいということね?」
「そうですね……」
「イルヴァ嬢は嘘をつかないのだから、最も必要ない相手なのでは?」
母のその指摘は真っ当だ。
合理的に考えたら全くもってその通りである。
「もちろんそうですが……黙っている時の心の声を聞けなくなるのは残念と言いますか……」
「エリアス」
エレオノーラが諭すような声を出した。
「心の声に頼るなんて、イルヴァにも信用されていないのでは、と疑われるわよ」
「そんなつもりではないのですが……」
「そんなつもりでなくとも、相手はそう受け取るわ」
「はい……」
「じゃあ、イルヴァには打ち明けられるわね?」
「……」
彼女は嘘はつかないが黙っていることはある。
それにポーカーフェイスも得意で、顔にもあまり出ない。
エリアスは彼女のことをできるだけ多く知りたいのだ。
彼女の中にある喜怒哀楽の全てを見逃したくない。
「エリアス?」
そんな心を見透かしたかのように、母の視線が突き刺さる。
「……はい」
まだ、後ろ髪引かれるところもあるものの、母の念押しに、勝てず、頷かされた。
*****
次の日の帰り道。
エリアスは、端的に言って、浮かれていた。
イルヴァから、結婚に前向きな言葉を引き出せたからである。
それに、自分自身の秘密を打ち明けることも約束した。
これで、なんの後ろめたさもなく、結婚に進める。
彼女が降りる間際、感極まって、つい頬にキスをしてしまった。
彼女はとても慌てていて、照れていた。
その照れた様子が可愛かった。
ーーー嫌がられてない、よね?
頬にキスした瞬間は、そういえば彼女の心の声は聞こえなかった。
エリアスもそんなものを聞いている場合ではなかったし、イルヴァも、あの瞬間は焦っていて何も考えていなかったのかもしれない。
彼女は嫌なら嫌だと言える性分なはずだ。
それに車から降りた後も、彼女はちゃんと手を振ってくれたので、大丈夫なはずだ。多分。
結婚の約束と、頬へのキスの反応を思い返して、ふわふわした気持ちで帰宅したエリアスは、その甘やかな気持ちを一瞬で壊される知らせを受け取った。
なぜか家に揃っている両親に、ウキウキで結婚の話をすると、気まずそうな表情でアウリスに告げられた。
「イルヴァが王命特任位に任命される。……結婚は、任期の一年を終えるまでできないね」
その言葉で、急激に胸の内が冷えた。
アマルディアの一件で、元々、王家に対しては良い感情を持っていなかったが、ますます嫌になる。
この任命は、イルヴァにとっては名誉なことだが、だからと言って割り切れない。
「すぐにでも結婚したいと思っていたのに」
「まあまあ、一年の任期が終わったと同時に結婚すればいいのよ」
エレオノーラが慰めの言葉をかけた。しかし隣で父がボソリと呟く。
「……エリアスも任命されて、結婚禁止期間が伸びるかもしれないけれどね」
「アウリス?」
「す、すまない。ただ……そういう可能性もあると思って」
結婚をさらに延期させられるかもしれない要因に、エリアスの気持ちは一気に憂鬱なものになった。
だからエリアスは決めた。
この一年は、余計な注目を集めない。
派手な武勲も、王命に繋がる働きも、極力避ける。
仕事は全うする――だが、“目立つ”ことはしない。
目立ちそうな時は、誰かに手柄を引き受けてもらおう。
これ以上、結婚を延期させられないように。




