70.栄誉か嫌がらせか、それとも……
「黒いのは確か……特別任命書ね?」
マリアに確認すると、彼女は頷いた。そしてイルヴァを先導しながら言った。
「そのことで、ご家族の皆様がお待ちです」
「目の前で開けろと言うこと?」
「はい」
「部屋に案内して」
マリアに先導され、屋敷の一室に入ると、両親と兄が勢揃いしていた。
兄イクセルの隣が空いていたので、そこに座ることにした。
普段はリラックスできるクッション性のよいソファだが、今日は落ち着かない。
手に持っている黒封筒のせいだ。
「お疲れさま。帰って早々悪いけど、それ、開けてもらえる?」
「開けますね」
本人しか開けないように限定されている魔法印を解き、封筒を開けた。
そして、中身に目を通す。
「特別昇格通知および……王命特任位への任命」
イルヴァが読み上げると、その場の空気が凍てついた。
しかしその理由がわからず、イルヴァは話を続けた。
「王命特任位の中の、王立魔法戦略研究監督官に任命だそうです」
王命特任位に任命されること自体は、栄誉なことである。
任期は1年と決まっており、現職の職務よりも優先することを求められる。
その代わり、この役職についている間は、大佐階級としてみなされるため、大佐にできることは実行可能だ。
「任期は……1年ですね。特に問題はなさそうですが……?」
そう思ったのだが、イクセルが首を横に振りながら言った。
「任期が1年なのは、貴族にとってそれなりに重要な制約があるからだよ」
「制約?」
「任期中は、結婚できない」
そう言い切られて、しばし沈黙した後、イルヴァは思わず叫んだ。
「え!? ……エリアスとついさっき、早めに結婚しようという話をしたばかりなのに」
「「「え?」」」
イルヴァの文句に、家族3人が揃って声を上げた。
信じられないものを見る目をしてこちらを見ている。
「私が結婚に意欲的なのはそんなに不思議ですか?」
なんだか釈然としない気持ちで問いかけると、ミネルヴァがいつもより明らかに多いまばたきの中、言った。
「そ、その……早く結婚したいと言うのは、あなたから? それともエリアス様から?」
向かい側に座っていた母ミネルヴァに問われて、先程のやりとりについて簡単に説明した。
イクセルを排除する動きがあるかもしれない、という話には、3人ともとくに驚いた様子はなかった。
すでに折り込み済みだったようだ。
「そう言う流れなので私からですね。エリアスも喜んでましたが」
「まさかこの話で陰謀論に戻ってくるとは……。でも……イルヴァは結局どう思っているの? エリアス様のことを特別に思っている?」
「特別……まあ、特別ではあるのではないでしょうか?」
「なんだか嫌な流れね。続けて」
ミネルヴァが何を察知したのかはわからないが、ソファの肘掛けに肘をつきながら先を促した。
「エリアスとの結婚は利益も大きいです。それに……エリアスは私のことをよく理解してくれますから」
「……政略一辺倒ではなさそうで安心したわ」
話が落ち着いたタイミングで、イクセルがパンと両手をたたいた。
「話を戻すけど、今回の任命って、イルヴァのやることは研究員として変わりはある?」
「えっと……任務の要綱は……」
手紙に再び目を通す。
•魔封じ対策理論の実戦配備試験
•各部隊への理論適用監修
•王都防衛戦略への助言
書かれている内容を見る限り、魔封じが研究題材として決まってしまったぐらいで、他はそこまで今の仕事から逸脱してはいない。
「そんなには変わりはなさそうです」
「つまり、任命する必要もないのに任命されたって考えるべきだね」
「何のためにでしょう? ……まさか、結婚の邪魔を?」
「十中八九そうだろうね」
幼稚な手段だ。
イルヴァに名誉と一時的な階級を与えることになっても、結婚の邪魔をした方がいいというのは、一貫しているし見事な手際ではある。
「まあ、1年なら受け入れるしかないですね……」
準備も考えれば半年はかかると踏んでいたので、半年延期したぐらいに考えるべきだろう。
すると、イクセルが首を傾げて言った。
「ちなみに、イルヴァの任期は伸びないけど、エリアス様がちょうど入れ替わりに任命されたら、結婚は2年伸びるよ」
「え? ……そうするつもりですかね?」
「狙いが結婚の邪魔であれば、おそらくは」
なんだか早く結婚しないと、次々に新たな手で邪魔されそうだ。
それにしても、王家はなりふり構ってなさすぎはしないだろうか。
アマルディアの執着があるからといえ、ここまで結婚の邪魔をしてくるとは。
「レンダール家にも連絡が必要ですね」
「向こうはもう掴んでると思うよ」
イクセルがボソリと言った言葉に被せるように、父ヴァルターが続けた。
「イルヴァからも連絡しなさい。エリアス様にね」
「分かりました」
「結婚のタイミングは……2人の意思を尊重しよう。早めがいいというなら、基本的にはイルヴァの任期終わりを目指すでいいね?」
その話に頷き、そしてイルヴァは両親に確認しようと思っていたことを思い出す。
「お兄様から聞いたかもしれませんが、エリアスに精霊と契約した話はしました」
前置きしてみたものの、昨日の車の中の話は両親は知らなかったようだ。
2人とも驚いた様子で顔を見合わせた後、ミネルヴァがそっと尋ねてきた。
「それは……経緯もお話ししたの?」
「はい。ただ、対価に何を差し出したかは話していないのですが……エリアスと公爵夫妻にはお話ししても良いでしょうか?」
「私たちは構わないが……レンダール公爵夫妻はどう考えるだろうか……」
ヴァルターの指摘に、イルヴァは自分の考えの至らなさに思い当たった。
シュゲーテルの貴族として、嘘をつけないというのは致命的な欠点である。
それは、婚約を解消しうる瑕疵と言っても良い。
「お父様は、隠し通す方針でしたか?」
「隠し通せるとは思っていなかったが……レンダール家も……いや、なんでもない」
「?」
「先ほどはああいったが、隠し通さないのであれば、打ち明けるタイミングも何もないのだから、イルヴァが言いたいタイミングで構わない」
何か言いかけてやめた内容が気になるところではあるが、父が良いと言うなら良いのだろう。
ーーーエリアスと結婚できないかも、と考えてはなかったわね。
レンダール公爵夫妻が認めないと言うのであれば、その時は仕方がない。
幸いにも兄を後継者としてお披露目はできたので、イルヴァが破談になっても後継者は揺るがない。
エリアスと結婚できずに未婚だったとしても、それはそれで仕方がないことだ。
イルヴァとしては、婚約したかった理由を既に果たしたと言っても良い。
今までなら、そう割り切れていた。
しかし今、自分の心に、僅かに揺らぎがある。
合理性で割り切るには、煮え切らない。
きっと、自分はーー
「ーーイルヴァ? 大丈夫?」
イクセルの言葉に、現実に引き戻された。気づいたら3人とも心配そうにこちらを見ている。
「あ……考え事をしていました」
思考の波に溺れていたからか、話を聞き逃していたかもしれない。
「父上はああ言ったけれど、おそらくそこまで気にしなくていいと思う」
「どうしてですか?」
「父上も言いかけたけれど……おそらく、エリアス様、あるいはレンダール公爵家にもイルヴァが良い理由があるからだよ」
それはイルヴァもずっと気になっていたことだ。
エリアスはおそらく政略的でも恋心でもない何かでイルヴァを選んだはずだ。
しかしここに至るまで、本当のところは分かっていない。
現在のエリアスの愛を認めていても、始まりが愛だけでないことには確信的だった。
「私もそう思っていますが……エリアスと直接話す機会の少ないお父様やお兄様は、なぜそう思うのですか?」
「外堀の埋められ方が、尋常じゃないんだよ。僕も帰国して気づいたけれど。父上も、そうですね?」
「……ああ。レンダール公爵夫妻自身が、かなり手を回して情報を操作している。エリアス様がイルヴァにベタ惚れで、イルヴァが素晴らしい女性だと言う内容を、ありとあらゆる表現でな」
2人のいうことに、イルヴァ自身はピンと来ていなかった。
人付き合いが悪い上に、研究者は他人に興味のない人間も多いので、噂話に疎い。
ただ、そういえばユーフェミアは以前、似たようなことを言っていた気がする。
「知りませんでした。ユフィに聞いてみたら知ってるかしら……」
「ライスト嬢なら知っていると思うよ」
「今度、会うときに聞いてみます」
イルヴァはそう答え、落とした封筒を拾うと、通知書に続きがあることに気づいた。
紙をめくり、さっと目を通す。
「任命式は……4日後?」
通常は任命式は通達から1ヶ月から3ヶ月あくことも多い。異例の速さなのは、結婚を妨害したいだけではない気がした。
「……マナーの勉強は詰め込みだな」
「今日からやるしかないわね」
両親がたたみかけるように言ったので、その圧に負けて、イルヴァは頷いた。
そのせいで、その日から任命式までの4日は、ずっと寝不足だった。
本職の研究に、魔法兵団からの呼び出し、そして家では話法を主としたマナーの授業。
それらをなんとかのりこえて、今、謁見室に来ていた。
最奥にいる国王陛下のもとまでは真紅の絨毯が引かれている。
宰相と国王と王妃、そしてその護衛や補佐官と、軍の総司令官などが揃い、50人ぐらいが部屋の中にいる。
研究職とはいえ、軍事的な表彰の面も強いためか、文官より軍の人間が多そうだ。
「イルヴァ・フェルディーン」
「はい」
彼らの見守られながら、イルヴァは絨毯を踏みしめて国王の座る壇上の近くまで歩いていく。
貴族ではなく研究者としての正装のため、濃紺のシンプルなドレスに支給されたローブを羽織っているだけなのだが、いつもより服が重く感じられた。
その重みを感じながら、指定された位置まで歩き、一礼をする。
そして顔をあげると、国王の侍従が淡々と勅命書を読み上げた。
「イルヴァ・フェルディーンは先日の古樹深林帯における異常な魔物発生において、迅速かつ適切な対応で王都を霧光の鹿の脅威から守った功績を讃え、少佐に任命する」
「拝命いたします」
まずは少佐昇格の勅命書を受け取り、礼をする。
普通ならこの後、陛下からの声がけがあるところだが、侍従はもう一枚の勅命書をとりだした。
その瞬間、会場が一気にざわめきたった。
イルヴァは承知していたが、知らされているものは少なかったようだ。
そんな中、視界の隅にいるエリアスの父、レンダール公爵は涼しい顔をしているので知っていたようだ。
「続いて、この度の王都の異変を重く捉え、王都の防衛戦略を担う目的で、イルヴァ・フェルディーンに王命特任位を授け、王立魔法戦略研究監督官に任命する」
「拝命いたします」
続いて拝命書を受け取り、一礼をしたところで、名を呼ばれた。
「イルヴァ・フェルディーン」
ハッとして顔をあげると、国王がこちらを見ていた。その視線の意味するところは推し量れない。
「監督官の任においては、強かな黒兎の世話より、責務を優先することを期待する」
王からの言葉は、受け取る可能性があると母に言われていた。
言質を取られない言い回しも言い含められている。
「責務が国益に資する限り、監督官としての任を全ういたします」
イルヴァが宣言すると、王は眉を顰めた。
勝手に条件付きにした上に、結局のところ、家門を置いて任務に取り組むかには応えていない。
「よい。ならば国益の名の下に、貴殿を用いよう。――監督官は、王命により国益を量る者と心得よ」
「承知いたしました」
「家名は黒いままだ。だが、刃が切れるなら鞘は問わぬ」
イルヴァは悩んだ末にその言葉には一礼で返した。王の真意がどこにあるのか掴み難かったからだ。
任命式を一通り終え、イルヴァは赤い絨毯を踏み締めて退出する。
その赤い絨毯は、来た時より長く感じられた。
会場を出る時に、一瞬だけ、レンダール公爵と目があった。
彼は少しだけ表情を緩めたようにも見えた。
ささやかすぎる動きだったので、そうあって欲しいと言うイルヴァの願望だったかもしれなかった。
次の瞬間には、アウリスの目は、まっすぐに王のいる方に向いていたのだから。




